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ラスト・サイレンス ― 核の冬に芽吹く祈り ―  作者: tky


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第29話 吹雪の夜の温かい箱舟

「出力上昇……増産ノルマ、クリアしました」


リビングの端末を操作していた湊の言葉に、安堵と歓声が湧き上がった。


ズキズキと脈打つ右手の激痛に耐えながらも、蓮の心にはかつてないほどの静かな安堵が広がっていた。


約五時間にも及んだ、地獄のようなピストン作業が終わったのだ。


窓の外はスーパーコールドの本陣に飲み込まれ、完全な白一色の死の世界と化しているが、稼働を始めた大型タービンがこの砦に絶対的な熱と電力を供給し続けている。


「はぁ……終わった……」


リビングの隅で、空になった白湯の入ったヤカンと何枚ものタオルに囲まれながら、三人の少女たちがへなへなと座り込んだ。


美羽、菜月、楓の三人だ。


タービン輸送ヘリに同乗してこの砦に辿り着いた直後、彼女たちはこのコミュニティの異様な結束力に衝撃を受けた。


休む間もなく始まった決死の屋外作業。


彼女たちはただ見ているだけでなく、極寒の吹雪の中から戻ってくる者たちの凍りついた防寒着を剥ぎ取り、泣きながら体をさすり、温かい白湯を飲ませて必死に介抱を続けていたのだ。


極度の緊張と疲労で、三人の体は鉛のように重かった。


「お前らも、本当によく手伝ってくれたな。助かったよ」


体温が多少回復した駿が、三人の前に腰を下ろして労いの言葉をかけた。


「ううん……私たちこそ、駿くんたちが呼んでくれなかったらどうなってたか……」


美羽が目元を拭いながら答える。


「感動の再会は後にしてくれって言われてたからな。改めて紹介するよ。俺の高校の同級生の、西崎、高木、松本だ」


駿に促され、三人は立ち上がって大人たちに向かって深く頭を下げた。


「あの、西崎美羽です」


「高木菜月です」


「松本楓です。介抱くらいしかできなくてすみません……これから、よろしくお願いします」


三人が自己紹介をすると、ストーブの前で毛布にくるまっていた健吾や誠が、疲れ切った顔に優しい笑みを浮かべて頷き返した。


「よく来てくれた。地獄の屋外作業の後、君たちの介抱は本当に助かったよ。ありがとう」


誠の言葉に、三人は恐縮して首を横に振った。


その時、反対側のストーブから離れた少年が歩み寄ってきた。


黒いジャージ姿の佐伯湊だ。


「西崎さん、高木さん、松本さんですね。ここの責任者をしている佐伯湊です。到着直後から過酷な介抱に巻き込んでしまって申し訳ありませんでした。おかげで乗り切れました。感謝します」


落ち着いた、どこか底知れない深みのある低い声だった。


美羽たち三人は、居住まいを正して湊を見つめ返した。


先ほど、到着直後の再会を遮られた時は、少し冷たい少年だと思った。


だが、この五時間、彼が誰よりも的確に大人たちに指示を出し、自らも同年代の少女である栞と共に死の吹雪の中へ飛び出していく姿を目の当たりにした。


十五歳という若さでありながら、この巨大な砦の命運をたった一人で背負い、大人たちから絶対的な信頼を寄せられている存在。


(この子が……この砦のリーダー……)


美羽の胸の内に湧き上がったのは、驚きではなく、深い畏敬の念だった。


大の大人たちを束ねるだけの理由が、彼にはあるのだと痛いほどに理解できた。


大役を終えた湊が少しだけ張り詰めた表情を緩めた、その後ろで、湊と共に過酷な作業をこなした栞が優しく微笑んでいた。


「さあさあ、挨拶はそのくらいにして!みんな極寒の作業でお腹ぺっこぺこでしょ!温かいご飯ができてるわよ!」


恵の声がリビングに響き渡った。


外の嵐とは無縁の明るいLED照明の下、リビングの大きなテーブルに湯気を立てる深い皿が並べられた。


NICから届いたばかりのレーションの肉と、備蓄の玄米を一緒に煮込んだ濃厚で栄養満点のシチューだ。


「いただきます……っ」


美羽がスプーンですくい、一口食べる。


途端に、強烈な旨味と塩気、そして体の芯から温まる熱が全身を駆け巡った。


「おいしい……」


菜月の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。


NICの一般避難民区画での食事は、冷たいレーションだけだった。


「温かいご飯が食べられるなんて……ずっと、夢見てた」


楓も言葉を詰まらせながらスプーンを口へ運んでいる。


美羽は言葉もなく無我夢中で皿を空にしようとしていた。


こんなに美味しいご飯を食べたのはいつぶりだろう。


生きているってこういうことなんだ。


美羽は涙で視界を滲ませながらシチューを喉の奥へと流し込んだ。


「おいおい、そんなに泣くほど美味いか?」


向かいの席で、蓮が左手で不器用にスプーンを握りながら笑った。


彼の右手は分厚い包帯でぐるぐる巻きにされている。


「左手じゃ食べにくそうですね!私が食べさせましょうか!」


美羽が涙を拭いながらからかうように言う。


「アホか!子供扱いするな!」


蓮が顔を真っ赤にして怒鳴ると、ドッと周囲に笑いが起きた。


極限の死闘を終え、張り詰めていた砦の空気が心地よくほぐれていく。


食事が終わると、恵と芳江が三人にタオルと着替えのジャージを渡した。


「さあ、泥と汗を落としておいで。お風呂のお湯、たっぷり出しておいたからね」


「……お風呂、ですか?」


楓が目を丸くする。


脱衣所から浴室に足を踏み入れた瞬間、三人は信じられないものを見た。


もうもうと立ち込める湯気の中で、蛇口をひねれば勢いよく本物のお湯がシャワーから降り注ぐのだ。


「お湯だ、本物のお湯……!」


歓声を上げ、急いで服を脱ぎ捨てるとシャワーの熱いお湯を全身に浴びた。


冷え切っていた皮膚が、細胞の隅々から生き返っていく。


体を洗い流した後、大きめの湯船に三人で身を沈めた。


「はぁぁぁ…………」


極上の安堵のため息が浴室に響き渡る。


「温泉を直接引き込んでるんだって……信じられない」


楓が赤らんだ頬を手で包みながら言った。


「それにしても、一番すごいのはやっぱりリーダーの湊くんだよ」


美羽がお湯の中で膝を抱えながら呟く。


「あの若さであの威厳……。私たちがここに着いた時、真っ先に状況を判断して大人たちに指示を出してた。想像もつかないような修羅場を、あの子は越えてきたんだね」


「私たちも、明日から家の手伝い、いっぱい頑張らなきゃね。タダ飯食らいになるわけにはいかないし」


菜月が真剣な顔で言い、三人はお湯の中で小さく拳を合わせた。


風呂上がり。


恵に案内されたのは、二階にある空き部屋のひとつだった。


扉を開けた瞬間、一階と変わらない暖かさが体を包み込む。


「ここも暖かい……」


「湊くんたちがね、温泉が湧いてからずっと、二階にもコツコツ配管工事を続けてくれていたのよ。おかげで今は、他の家族もみんな個室を持てるようになったの。これからは、あなたたち三人でここを自由に使ってね」


「こんなに素敵な部屋を……本当に、ありがとうございます」


恵が去った後、用意されていたふかふかの布団に潜り込んだ三人は、部屋の圧倒的な暖かさに包まれながら静かに息を吐いた。


暖かい。


柔らかい。


まるで世界が壊れる前の日常に戻ったみたいだ。


菜月は布団の感触を確かめるようにぎゅっとシーツを握りしめた。


ふと、廊下に出た美羽が、一階へと続く階段の踊り場で足を止めた。


下の窓際に、二つのシルエットが立っている。


湊と栞だった。


窓の外からは、絶望的なスーパーコールドの暴風雪の音が響いている。


湊が窓の隙間から漏れる冷気を肌で感じながら呟いた。


「嵐は、しばらく止まないな」


その声には、砦の命運を背負うリーダーとしての重い響きがあった。


しかし、隣に立つ栞がそっと湊のジャージの袖を引いた。


「でも、ここはすごく暖かいよ」


栞は湊の顔を下から覗き込むようにして、優しく微笑んだ。


湊の張り詰めていた横顔が、その言葉によってほんの少しだけ緩むのを美羽は確かに見た。


絶対零度の世界に浮かぶ、温かい箱舟。


外の地獄がどれほど牙を剥こうとも、この砦の火は決して消えない。


美羽は足音を立てないようにそっと部屋に戻り、布団に潜り込んだ。


極限の疲労と、それ以上の安心感。


泥のような眠りが、三人の少女を優しく包み込んでいった。

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