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ラスト・サイレンス ― 核の冬に芽吹く祈り ―  作者: tky@3作品同時連載中


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第1話:沈黙の夜明け

【2040年 6月26日 14:00】


空は、いつからこんなに濁ってしまったのだろう。


遠くに見える地平線の向こう、本来なら雄大な景色が広がっているはずの方角には、黒とも灰ともつかない不気味な雲が重く垂れ込めている。


あれが、札幌や函館だった街の残骸なのだという噂は、風に乗ってこの山地にも届いていた。


人類は、どこまでも愚かだった。


数日前、某国が核兵器を使用したという信じられないニュースが、世界中のネットワークを駆け巡った。


それを引き金に、潜伏していた潜水艦から報復のミサイルが次々と放たれたらしい。


核を使えば世界が終わるなんて、小学生でも知っている理屈だ。


使うはずのない兵器、ただの脅しであるはずの兵器。


だが、そんなパンドラの箱の管理は、左遷されたような無責任な軍人たちに委ねられていたという。


三人の管理者が同時にキーを回さなければ発射できないという、厳重なはずのシステム。


それが世界中の海に散らばっていたことが、結果的に最悪の連鎖を生み出した。


結局のところ、誰が最初にボタンを押したのかすら、今となっては誰も確かめようがない。


北海道の東部、海沿いから少し入った山地に住む佐伯湊は、十五歳のありふれた中学生だった。


地形の恩恵か、幸運にも直接的な熱線や爆風からは逃れることができた。


だが、仕事で北見市へ向かってた両親は、あの日を境に音信が途絶え、数日経っても帰ってこない。


北見が、そしてその先にある街がどうなっているのか、今の湊には知る由もなかった。


通信網は完全に沈黙し、スマホはただの冷たい板切れに成り下がっていた。


静まり返った家の中にいると、嫌な想像ばかりが膨んで息が詰まりそうになる。


湊は焦燥感に背中を押されるように、玄関のドアを開けて外へ飛び出した。


「父さん……母さん……」


無意味だと分かっていても、声に出さずにはいられなかった。


人気のない山道を歩きながら、周囲の木々に目を凝らす。


その時、乾いた土を踏みしめる切羽詰まった足音と、かすかな悲鳴が湊の鼓膜を打った。


木立の隙間から見えたのは、見覚えのある少女だった。


同級生の北条栞だ。


しかし、彼女の背後には、目を血走らせた大柄な男が刃物らしきものを手に迫っていた。


湊の心臓が、早鐘のように打ち鳴らされる。


恐怖で足がすくみそうになったが、考えるよりも先に身体が動いていた。


玄関から持ち出していた金属バットの冷たい感触を、両手で強く握り締める。


栞が木の根に足を取られて転倒し、男が下卑た笑いを浮かべて刃物を振り上げた。


その瞬間、湊は男の背後から一切の躊躇なくバットを振り抜いていた。


硬い金属が頭蓋骨を打つ、ゴキッという鈍い音が響き渡る。


「あ……がっ……!?」


白目を剥いて崩れ落ちる男を見下ろし、湊は間髪入れずに二撃目を放った。


狙ったのは、地面に投げ出された男の右膝だ。


容赦のない衝撃音が響き、男の骨が砕ける確かな感触が両手に伝わる。


これで、追ってくることはできない。


「立てるか!?」


「え……湊、くん……?」


「いいから、走るぞ!」


腰を抜かしている栞の腕を強引に引き寄せ、湊は自宅へと全力で駆け出した。


「ハァッ……ハァッ……ここまで来れば、とりあえずは……」


頑丈な玄関の鍵をいくつも掛け、リビングのカーテンを隙間なく閉めたところで、湊は床にへたり込んだ。


荒い息を整えながら、手の中でじっとりと汗ばんでいる金属バットを見つめる。


自分がたった今、人の頭を全力で殴り飛ばし、足を砕いたという事実が、遅れて恐怖となって押し寄せてきた。


しかし、震える手を隠すように顔を上げた湊の脳内を、全く別のパニックが上書きしていく。


目の前のソファで、膝を抱えるようにして座っている栞の存在だ。


「……あの、助けてくれて、本当にありがとう」


まだ顔面を蒼白にしながらも、栞が震える声で頭を下げた。


「いや、その……たまたま、通りかかっただけだから」


湊の裏返りそうになる声は、決してさっきまでの修羅場に対する恐怖だけが原因ではなかった。


同級生の女の子と、家の中に二人きり。


つい先日まで、宿題がどうとか次のテストがどうとか、そんな平和な悩みしかなかった十五歳の少年ににとって、それは致死量の緊張感だった。


「……怖かった。本当に、殺されるかと思った……」


「怪我は? どこか痛むところはないか?」


「大丈夫。転んだ時の擦り傷くらいだから」


少しだけ落ち着きを取り戻した栞に、湊はずっと気になっていたことを尋ねた。


「北条は、市街地のマンションに住んでるんじゃなかったっけ。どうしてこんな山の方まで?」


その問いに、栞の顔が再び暗く沈む。


「街は……もう、めちゃくちゃだよ」


「めちゃくちゃって……」


「テレビもスマホも繋がらなくなって、みんなパニックになって……。スーパーやコンビニの食べ物は、あっという間に奪い合いになったの」


栞の言葉に、湊は息を呑んだ。


「最初は並んでた人たちも、少し経ったら窓ガラスを割って押し入るようになって……。警察も全然来ないし、夜になるとあちこちから悲鳴が聞こえて……」


「……それで、逃げてきたのか」


「お父さんとお母さんは、私を逃がすために……」


そこで言葉を詰まらせ、大粒の涙をこぼす栞に、湊は気の利いた慰めの一つも言えなかった。


ただ、彼女をこのまま帰すことなど絶対にできないという事だけは確信した。


「北条、しばらくここにいなよ」


「でも……ご迷惑じゃ……」


「こんな時に迷惑も何もないだろ。街があんな状態なら、戻るのは絶対に危険だ」


湊は、どうにか頼もしさを演出しようと胸を張った。


「うちは山の井戸水を使ってるから、手動ポンプで水は出せる。電気は止まっているけど、屋根にソーラー温水器があるから、明るいうちならシャワーもお湯が使えるんだ」


「そんな……悪いよ。湊くんの家族の分だって、ギリギリなんでしょ?」


「……父さんと母さんは、仕事で北見に行ったきりなんだ」


湊の言葉に、栞がハッとして口元を押さえる。


「あ……ごめんなさい」


「謝ることじゃないよ。だから、俺も一人で心細かったし……。それに、二人なら何とかなる。母さんたちもすぐに帰って来るはずだから、心配しないでいいよ」


自分に言い聞かせるようなその言葉が、栞の警戒心を解くための言い訳のようにも聞こえて、湊は少しだけ居心地が悪かった。


【同日 19:00】


結局、湊の両親が帰ってくることはなく、冷たい夜の闇が家を包み込んだ。


暗くなる前に夕食とシャワーを済ませた二人は、リビングのろうそくの灯りを囲んでいた。


「その……寝る場所なんだけど」


湊が切り出すと、栞の肩がビクッと跳ねた。


「あ、私はソファで全然構わないから! 本当に、居させてもらえるだけで……」


「いや、そういうわけにはいかないだろ。……客用の布団を出すけど、どこに敷くか迷ってて」


「どこでも……いいよ?」


「えっと……一階は外から見えそうで怖いだろ? それに、もし夜中にうちの親が帰ってきた時、リビングに北条が寝てたらビックリするかもしれないし……」


しどろもどろになりながら、湊は最悪の提案を口にしてしまう。


「だ、だから……俺の部屋、使う?」


「え……?」


「俺は、その……リビングで寝るから!」


慌てて付け足した湊の言葉に、栞は少しだけ考え込み、それから恐る恐る口を開いた。


「……湊くんも、一緒に部屋にいてくれないかな」


「は!?」


「ご、ごめんなさい! 変な意味じゃなくて……まだ、あの男の人の顔が頭から離れなくて……一人で部屋にいるのが、すごく怖いから……」


涙目で訴えられては、断れるはずがなかった。


「わ、わかった。俺は床に寝袋を敷くから」


そうして、暗い六畳の部屋に二人きりという、狂気じみた状況が完成してしまった。


布団に入ったものの、湊の脳内はかつてないほどのフル回転を見せていた。


いやいやいや、一緒にいてくれって……これはまさか、そういう事なのか!?


思春期特有の都合の良い妄想が、暴走機関車のように駆け巡る。


いや、待て落ち着け俺。


北条とはクラスが同じってだけで、まともに話したのも今日が初めてじゃないか。


こんな世界が終わるかもしれない状況で、誘ってくる女の子なんているわけがないだろ!


必死に理性を総動員して、湧き上がる感情をねじ伏せる。


しかし、同じ部屋のすぐ近くで、同い年の女の子が横になっているという事実は、どうやっても消すことができなかった。


「……湊くん、起きてる?」


暗闇の中から、不意に栞の声がした。


「お、起きてるよ」


「……ごめんね、私のせいで」


「気にすんな。俺も、親が帰ってこなくて不安だったから……誰かがいてくれると、少しホッとするっていうか」


「うん……私も、湊くんが助けてくれて、本当に嬉しかった」


それきり、会話は途絶えた。


やがて、規則正しい微かな寝息が聞こえ始めた。


極限の緊張から解放された栞は、深い眠りに落ちたようだった。


だが、湊にとってはここからが本番だった。


帰ってこない家族の安否と、すぐそばで眠る女の子の存在。


全く質の違う二つのプレッシャーに挟まれて、湊が眠れるはずなどなかった。


【翌日 06:30】


結局、一睡もできないまま朝を迎えた湊は、冷たいシャワーの蛇口を捻っていた。


頭の中はぐちゃぐちゃで、目は血走っている。


火照った身体と、どうにもならない苛立ちを洗い流すように、冷水を頭から被った。


俺は一体、何をしてるんだ……親父とお袋は無事なのかも分からないのに。


そんな自己嫌悪に陥っていた時、脱衣所のドアの向こうから、切羽詰まったような声が聞こえた。


「……湊くん!? いるの!?」


バンバンとドアを叩く音に、湊は慌ててシャワーを止めた。


「いるよ! シャワー浴びてる!」


「あ……ごめんなさい。目が覚めたら、誰もいなかったから……」


ドア越しの栞の声は、泣き出しそうに震えていた。


「ごめん、すぐ出るから!」


慌ててバスタオルを巻き、ドアを開ける。


そこには、パジャマ代わりの湊のジャージを着て、目に涙を溜めた栞が立っていた。


人類の半分以上が消え去ったかもしれない、静かすぎる終末の世界。


そこで、あまりにも不器用な共同生活が始まろうとしていた。

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