30話:二人繋いだ手
私がモスからの聞き取りを終えると、ウィリアムとアンリも学校へ戻ると山を下りた。
私はお兄さまに調査の様子を聞くため別荘地にある本家へと向かっている。
馬車の中には、エリオットと二人きり。
向かい合って座っていると、エリオットがちょっと不機嫌そうに聞いて来た。
「お嬢さま、よろしかったのですか?」
「何がかしら?」
不機嫌そうだと私は思うけれど、基本無表情を貫いているのよね。
「今回の失敗を理由に、アーフの姫から今後の関与をお断りすることもできたのではないかと」
「あら、私は今回気づいてなかったのだから、マリアがいてくれて良かったでしょう?」
「それでも、あの方が関わることでお嬢さまが、なんというか、悪役を押しつけられるような印象が…………」
間違ってはいないわ。
だって私はゲームにおける悪役令嬢だもの。
そこに主人公ポジションのマリアが関わればゲームが進展する。
そうかそういうことだ。
「たぶん、私が助かるためにマリアは必要よ」
「お聞かせ願えますか?」
「え、うーん。なんの根拠もない私の肌感の話よ?」
「かまいません」
さて、そうなるとエリオットがどうゲームのことを理解しているかよね。
異世界の日本へ行ったエリオットだけれど、きっと正しく理解することは無理ね。
物語はわかっても、それがマルチルートだなんてわからないし、私も説明できる気がしないわ。
「アルティスを捕まえて解決したつもりだったけど、実はまだまだ残っているのよね、私の死亡フラグ」
「フラグ、ですか? 何やら悪いことであるようなのはわかりますが」
「あ、ごめん。死ぬ可能性のことよ」
途端にエリオットの目の色が変わる。
「落ち着いて、あくまで可能性の話だし、マリアたちが必ず関わってるわけではないの。まずね、私が死ぬ可能性のあった未来は、私が悪いことをしてそうなる未来と、今回のように図らずも巻き込まれる未来があるの」
ゲームのシナリオだったら『不死蝶』が数々の問題を引き起こしていた。
現実の今は、その裏にアルティスとウィリアムがいて、マリアは隠れ蓑に使われていたとわかっている。
ゲーム上のメインストーリーであるそちらは解決し、乃愛がゲーム新章で見たような未来は阻止している。
ではイベントは?
ジョーとアンディを争わせるイベントのように、『不死蝶』が発端のイベントもある。
けれど今回の廃墟のようにその場が最初からイベント仕様だと足を踏み入れた時点で私の意思は関係ない。
「アルティスの思惑が絡んで私が悪い立場になる未来は阻止したわ。けれど一定の条件を満たさないとたぶん動かない場が今も存在してる。その条件は、きっと私かマリアが関わることなの」
「今回はアーフの姫がそうだったということでしょうか」
「えぇ、マリアが関わったことで私とマリアが知る未来へと動き出した」
「となると、やはりアーフの姫に釘を刺したほうがよろしいのでは?」
「逆よ。私が発端になった時、それを覆せるのはマリアしかいないわ」
モスはループの中で私を助けようとしたけれど、上手くいかなかったそうだ。
自分が関わると悪い方向に行くと言っていた。
だから自主的に関わらず私が接触して来た時に応じ、その時に出来上がっている流れを変えないよう立ち回っていたのだとか。
きっと、モスがどうにかするために関わるべきは私とマリアの両方だった。
けれどすぐ側にアルティスという見ることもできない相手が暗躍してたのだ。
アーチェを捕まえた籠を完成させる以外、モスには打つ手がなかったのではないかと思える。
「今回私も気が抜けていたわ。考えればわかることなのよ。イベントを潰すために劇団ゲームにシナリオ提供として未来の先取りをしてもらっていたのに。啓蒙劇にしてフラグを折っていないイベントは、あるに決まっているわ。ここはまだ、ゲームの舞台よ」
乃愛がゲームをしている姿で思い出した。
ゲームはまだ進んでいるし、その分イベントも増えている。
それは同時に、以前私の体に宿った人たちの失敗の記録。
そうなると頼りになるのは乃愛がいなくなった私ではなく、自分の力でイベントを預言として見られるマリアしかいない。
「モスが知る過去とも違ってくる可能性がある。だったらマリアには今度、ちゃんと協力をお願いしなきゃ」
ほぼ独り言のように話していた私に、エリオットが身を乗り出して私の視線を誘う。
「お嬢さま、いっそ留学なさいますか? 歴史と格式は下がりますが、学生としてルール島にいることが危険だと言うなら、他国にも魔法学校はございます」
「エリオット、忘れたの? 王籍に復帰するためには、この魔法学校で優秀な成績を修めなきゃ。その言い方だと、私一人で留学させる気はないのでしょう?」
エリオットは目を言い訳が思いつかないのか泳がせる。
やっぱりついてくる気満々だったのね。
「…………私と結婚する気ないのかしら」
「え!?」
思わず零れた呟きに、エリオットが普段ない大きな声を出した。
私もまさか聞こえているとは思わず慌てる。
だってここ馬車の中よ?
「ど、どど、どうして聞こえているの!?」
「わた、ぼ、わた、ぼく…………」
あ、エリオットが壊れた。
何とも言えない沈黙の中、困った末に視線を泳がせると、そのタイミングで目が合う。
同時に、お互いに思わず赤面してしまった。
揺れる車体の音の向こうにヒポグリフの蹴爪の音まで聞こえるくらいの沈黙。
「…………わ、私も、あまりエリオットを巻き込んで、愛想を尽かされる可能性くらい考えて」
「それはありえません!」
気まずさに考えなしに口走る私を、エリオットが全力で否定してくれる。
驚いて身を引くとエリオットまた赤面してしまった。
「で、でも、エリオットこのところ、ずっと顔つきが厳しかったから。さすがに自分が危険な目に遭う可能性を失念するなんて、呆れたでしょう?」
「…………一つ、お嬢さまに、謝らねばならないことが、あるのです」
私の問いには答えず、エリオットが全く別のこと真剣な表情で訴える。
聞き流すこともできず目で促すと、エリオットは深呼吸を繰り返して口を開いた。
「実は…………最初にお嬢さまに襲われたと知った時、嬉しかったんです」
「…………はい?」
「わ、私を狙った理由はお嬢さまが、その、吸血鬼ではないと思えるほど取り乱すことを前提にしていたのでしょう? あの場で、ロバートさまもご友人方もいる中で、その、私を、選んでくださったということは、ですよ…………」
それだけエリオットを頼っているから、失くせないから、…………好きだから。
自分で考えて顔から火が吹きそう!
両手で顔を覆うとやっぱり熱い!
指の隙間から見るエリオットは耳を赤くして笑っていた。
すごく満足そうに。
「そんなことを真っ先に考えてしまった自分が、その、格好悪くて」
「も、もう!」
顔を覆い直すと、私の手にエリオットが触れる。
また指の隙間から見ると、はにかむような口元が見えた。
「そちらに行ってもよろしいでしょうか?」
私は答える代わりに広がったスカートを寄せて隣を空ける。
揺れる馬車の中、エリオットが危なげなく隣に移動した。
狭くはないけれど肩同士は触れ合う距離。
体の横に置いていた手に、エリオットが手を重ねる。
「少し、うぬぼれてもいいでしょうか?」
「…………駄目だなんて言えると思っているの?」
横目に睨めば、エリオットは溶けるという表現が合いそうな笑顔を浮かべている。
ずいぶん大人びたのに、その笑顔は子供のようでなんだか胸が詰まった。
実際子供の頃、こんな風には笑わなかった気がする。
ただ赤いままの耳を見ると私もなんだか気恥ずかしくなってきた。
「やはりだめですね」
「え?」
「この程度でうぬぼれてはお嬢さまに釣り合いません」
「えぇ?」
エリオットは自分で答えを決めたように呟くと、途端にきりっとした表情に戻る。
「シリルさまに聞いた限り、お嬢さまが不調であったのは吸血鬼の配役のせい以外にも、私の不在があってのことだと思われると。私の不在がお嬢さまの安全に危害をもたらすと言うのであれば、私はお嬢さまのお側にいなければいけなかった」
「私が襲ったのに?」
「それでもです。攫われた、姿が消えた。それだけで心配され、お嬢さまの足手まといになるのなら私はいないほうが」
「そんなことないわ!」
私は強く否定して、重なっていたエリオットの手を握り締める。
お互いに顔を見合わせ、さっきのエリオットと同じことを言っていると気づいて思わず笑った。
エリオットもつられて微笑んでくれる。
「すみません、お嬢さま。シリルさまと同じなのです。大切な人のために格好悪いままでいたくないという男の意地でした。…………本心は、決して離れたくなどありません」
エリオットは幸せいっぱいそうな笑顔の後に、違う種類の笑みを浮かべると私の耳元に口を寄せた。
「あなたのすぐ側にいられるのが、私ではないなんて、想像したくもない」
見つめ返した緑の瞳が熱っぽい。
なんだか見つめるだけで私も煽られたような熱さを感じる。
「私の我儘でしょうか?」
「…………そんなこと、ないわ」
答えるとエリオットの顔がさらに近づく。
促すように目を細められると、抗えない気持ちになった。
私は握った手に指を搦めて瞼を閉じる。
また触れ合えた喜びを分け合うように、私たちは唇を合わせたのだった。
「…………なんにしても、次にお嬢さまの危機がある場合は絶対に私が助けます。ロバートさまを始め色んな方々に話を聞いて回るだけなんて屈辱です」
「もう、エリオットったら。あまり私を甘やかさないでちょうだい」
エリオットは私の死亡フラグに巻き込まれることさえ許容してしまっている。
これは私も諾々と巻き込まれるばかりではいられないわ。
イベントという死亡フラグはまだ残っている。
正直死ぬのは怖い。
それでもこの繋いだ手がある限り、乗り越えて行けるのだと私は確信していた。
ここまでお読みいただきありがとうございました。