8
五月。
暖かい気候が道ばたのタンポポを咲かせ、気の早い綿毛は風に乗って飛んでいく。衣替えには早いが朝でも暑く、一馬はブレザーを脱いで肩にかけた。シャツの袖を捲ると、心地よい風に晒されて気持ちがよい。登校中の憂鬱さが少しはやわらぐ。
先月起こった、“ファントムペイン”を巡る騒動はひと段落がついた。その結果、烏丸は“発症者”用の隔離施設に入れられた。永遠に生きながらえることは不可能なので、死への恐怖をゆっくりとときほぐす方向になるだろう、とありさは言っていた。いつか、話だけでも聞きに行ってあげようと一馬は考えている。いつになるかはわからないが。ちなみに、烏丸の代わりに二年二組の担任となったのは、時間に厳しい先生。今は時間に余裕があるとはいえ、あまりゆっくりとしていられないので、歩くスピードを上げた。
「あ、待ってよ、お兄ちゃん」
あの後家に帰ったかえでは、両親からこっぴどくしかられた。あまりの剣幕に一馬がフォローしようとすると、両親はかえでを抱きしめて泣き出した。かえでがいなくなってからもあまり心配していない様子だったが、内心では気が気ではなかったのだろう。かえでもつられて泣き始めると、涙の大合唱が行われた。不覚にも一馬も目頭が熱くなってきたので退散しようとすると、かえでに袖を引っ張られ、そのまま一家揃って随喜の涙を流すこととなった。
「お兄ちゃん」
「何だよ」
「何でもない。ちょっと呼んでみただけ」
二つに結んだ髪が跳ね、顔をほころばせるかえで。
戻ってきて以来、こうして何かと一馬とスキンシップを取ろうとする。一馬自身、それを満更でもなく受け入れていた。
「早く行こっ。ありさが待ってるわ」
一馬の手を取って引っ張る。
その手は氷のように冷たい。
かえでの“ファントムペイン”は残ったままだった。当然、正義の味方の真似事は二度としないと固く誓った。ただ、魔法少女趣味は健在で、玉滝との魔法少女研究の会合はたびたび行われている。何故か一馬も誘われ、三人でアニメ鑑賞会をやったり。
“ファントムペイン”の能力はもう使わないと約束をした。雪山で遭難した恐怖、苦痛をこんなものに頼って発散せずとも、理解してあげられる人物がそばにいてやればいい。こんなものは使う必要のないものだ。
(持って夏までだろうな……)
暑くなってくると凍らせる力は重宝する。もしかしたら一馬も頼りたくなる場面があるかもしれない。
周りに迷惑も心配もかけないなら、少しだけなら大目に見てもいいかな、と思っている。
「あ、もう待ち合わせ場所にいるよ。おーい、ありさ!」
街路樹の木陰に佇む少女はかえでの声に気が付き、手を振る。
「おはよ。一馬、かえで」
宮前ありさは微笑んで迎えた。
事件が解決した後は協力関係も解消されもう会えないのでは、と一馬は危惧していたが、こうして一緒に登校を続けている。
隣で一緒に歩くありさとかえでの姿に一馬は、当たり前にある普通のありがたさを噛みしめる。自然と表情が緩んだ。
「一馬、何笑ってるの?」
「いや、こうして普通に生活を送れるっていうのはいいもんだなって思っただけさ」
入院した時に担当した医師と再会した。
『もしかしたら君の“ファントムペイン”はありさちゃんの力で生き返った時に“発症”していたのかもしれないね。死ぬわけにはいかないという思いが、手術に耐えられる超回復を発揮したのだと僕は考えるよ』
一馬の死をないものとする、無尽蔵の命をもたらす“ファントムペイン”については、早急に対処する必要はないと判断し、対応はとりあえず保留となっていた。いつかは“ファントムペイン”を消去して人並みに寿命を迎えるだろうが、それは今日明日のことではない。まだまだずっと、人生を歩んでいける。
「このままみんなで一緒にいられたらいいな」
「……」
「……」
「あれ、沈黙!?」
「このまま関係も変わらずないでずっとっていうのはちょっと……」
「うん」
ありさとかえでは息もぴったりに頷きあう。
事件後に最も変化があったのは、この二人の関係だった。両者は名前で呼び合い、旧来の友人のように接している。
(言葉にするなら、“発症者”同士で同病類憐れむといったところか)
「んー、というより、類は友を呼ぶってとこかしら? それとも、昨日の敵は今日の友でも合ってるかも」
「お前、人の考えてることを読むなよ」
「家族なんだからわかるのよ」
「わ、私だって一馬の考えてることくらいわかるよ。えーと……か、カレーパン!」
「それはお前がお昼に食べたいものだろう……」
この二人が仲良くなったきっかけとみる決定的な場面としては、烏丸が連行された直後、ドッグファイトならぬ決闘をしたという時が挙げられる。
(河原でタイマン張って友情が芽生える少年漫画かよ)
その決闘に関して、勝敗は決して教えてくれなかった。炎と氷、どちらが勝ったのか気になるところだったが、どれだけ条件を提示しようとも二人は頑として口を割ろうとはしなかった。
「一馬、急ぐよ」
「お兄ちゃん、置いてくよ」
それでもいい、と一馬は思う。
これから先、いくらでも訊ねる機会はあるのだから。
「今行く!」
一馬は先を行く二人に合わせて、歩調を速めた。
(了)