第8話 ギャル姉の呼び方
「おまたせー!」
膝まである長いパーカーの上にエプロンをかけた深愛は両手にミトンをつけて大きな土鍋を持っていた。
テーブルの上にじゃIHコンロと大量の豚肉や白菜、ネギなどの野菜が並べられていた大皿が置かれている。
「……なにこれ」
「何ってしゃぶしゃぶだよ?」
そう答えた深愛は土鍋をIHコンロの上に置いた。
「……それぐらいわかる、何でしゃぶしゃぶなんだ」
「スーパー行ったらしゃぶしゃぶ用の豚肉が安かったから!」
それだけの理由なら、しゃぶしゃぶじゃなくて他の肉料理でもよかったんじゃないか?
「それにこうでもしないと、悠弥はすぐにご飯持って行って1人で食べるでしょ!」
思っていることを先に言われてしまったが深愛の言う通り俺はいつもできた物を部屋に持っていって食べている。
理由はゲームをやっていたいのと、1人でいたいからだ。
「これならさすがに部屋に持っていくことはできないよね〜」
深愛は自信に満ちた表情でこちらを見ていた。
俺は悔しい気持ちを顔には出さないようにしながら渋々、椅子に座る。
「それじゃ食べようか! いただきまーす!」
「……いただきます」
渋々と肉を箸で掴んで土鍋の中に沈めていった。
「ポン酢とごまだれどっちがいい?」
「ポン酢」
「ちなみにゆずポン酢もあるけど」
「……ゆずポン酢で」
深愛からゆずポン酢を受け取り、皿によそうと豚肉をとって土鍋の中で肉をゆすっていき、色が変わったのを確認してゆずポン酢につけて食べていった。
そして再度豚肉をとって土鍋の中に入れることを繰り返していると深愛はこっちをじっと見ていた。
「お肉もいいけど野菜も食べなきゃだめだよ?」
母親かよ……。
そう思いつつも俺は黙々と皿に装った肉を食べていった。
『姉さん! 俺は……!』
『ごめんね……私、行かないと!』
リビングに演技かかった声が聞こえてきた。
もちろん俺や深愛の声ではなくテレビの音声だ。
食べている途中で見たいドラマがあることを忘れてたと深愛が言い始め、テレビをつけたところ、このセリフが流れてきたのである。
「これ今日で最終回なんだよね〜」
深愛の話では映っている男女は実は姉弟だけどお互いを好きになっており、姉弟としてそのまま過ごすか禁断の恋に発展するのかが話題になっているとか?
勝手に耳に入ったことだが、正直興味は微塵もない。
「私としては禁断の愛になると思うだけど、悠弥はどう思う?」
「どっちでもいいんじゃない……」
俺は土鍋の中で肉をつけながら素気なく答えた。
そしてドラマはクライマックスを迎え姉と弟は禁断の恋へと発展したところで幕を閉じていった。
「ずっと『姉さん』って呼んでいた弟が最後に姉のことを名前で呼ぶのがすごくエモくない!?」
番組終了後のCMが流れているにも関わらず深愛は1人で騒いでいた。
(ってかエモいって何だよ……)
心の中で思いながら俺は黙々と豚肉を食べ続けていた。
「そういえば……」
土鍋の中に溜まった灰汁をとっていた深愛が何かに気付いたのか手を止めて俺の顔を見ていた。
「……なに?」
「そういえば悠弥から名前呼ばれたことない!」
「え?」
突然のことすぎて思考回路の稼働が止まりかけていた。
「私は悠弥って呼んでいるんだから私も名前を呼ばれるべきだと思うんだけどー!」
いつもの癖で『必要ないだろ』と言いかけたが、ドラマの影響で興奮冷めやまない今の深愛にそんなことを言ったら、普段の倍どころか何十倍にもなって返されそうな気がしたので黙っていた。
「ってことで今すぐ呼んでみて!」
「……深愛さん」
呼べば納得するだろうと思い、すぐに名前で呼んでみた。
「なんかものすごく他人行儀な感じがする!」
ちゃんと名前で呼んだのにとわがままだなと、内心思いながらため息をつく。
「……じゃ『おまえ』と『あなた』」
「それ姉弟じゃなくて夫婦じゃん! しかも冷め切った感じの!」
流されると思ったがツッコまれた。
「……それじゃ深愛」
『違う! 「さん」はいらない! 呼び捨てがいいの!』
深愛の名前を口にした瞬間、頭の中で昔の出来事が蘇る。
さっきまで気分がよかったのに一瞬で不快な気分になっていた。
「あ、それいいかも! もしかしてさっきのドラマ意識しちゃった?」
「……やっぱやめとく、背筋がゾッとしてきた」
「なんでよ! いいじゃん!」
目の前で深愛が騒ぐ中、俺は他の呼び方を考えていた。
何でこんなことで頭をフル回転させなきゃいけないんだ。
「ねえ! もう一回『深愛』って呼んでよー!」
「深愛——」
「うんうん!」
「——ねえ」
「うん?」
「深愛姉って呼んだんだよ! これでいいだろ!」
思わず俺は震えた声で大声をあげていた。
「深愛姉かぁ……うん、それもいいかも!」
深愛、改め深愛姉はにっこりとした表情で呟いていた。
納得したことを確認すると俺は茶碗に残ったご飯を勢いよく飲み込むと静かに箸と茶碗を置いた。
「……ごちそうさまでした、風呂入る」
逃げるように俺は風呂場へと向かい、嫌悪感に苛まれながら湯船に浸かっていった。
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