第1話
ソフトクリーム機内部のポンプが激しく脈打ち、それがあまりにも心臓そのものみたいに見えた日だった。ファミレスでのバイトが終わるとそのまま流れ作業で着替えを済ませ、裏口から外へ出て鉄製の階段を錆びついた音を立てながら下った。午後十時すぎの繁華街は酔ってふらついた人間が道の真ん中を堂々と歩き、まるで終電後のように夜更けじみていた。
駅への裏路地を進んで、大通りに出ると夜に跳ねる光の粒が隙間なく漂っている。それがいかにも、鬱陶しくて摺り足で歩いてゆく。
そして赤信号の待ち時間が表示されたメモリがいつ見ても最大値になっているような気がする横断歩道で今日も変わらず立ち止まった。大型トラックが目の前を通過し、地面を微かな振動が伝う。質の悪い風が僕の前髪を揺らしつつ、人混みの間をすり抜けていく。
こんな繁華街は、人の入れ替わりは激しいけれど、騒ぎ方のマニュアルがあるかのように思える。昨日誰かが酔い潰れていた道端に、今日は別の誰かが同じように横たわっている。昨日と同じように誰かが不機嫌そうにパチンコ店から勢いよく飛び出し、昨日とはまた別の客に、昨日も言われたようなイチャモンをつけられる。そしてまた明日は別の構成員によって繁華街の騒がしさが繰り返されていく。どうしてわざわざこんな場所で働いているのかも、自分でもあまり分からなくなってくる。
「一時間二千円ですー!どうですかー?」
横断歩道から見える繁華街の入り口にはアイドルみたいな格好をしたガールズバーのキャッチが何人もいる。彼女らは全員、マニュアル化されたような甲高い声を出して、必死に客を寄せている。そしてそれにまんまと着いていく人たちが今日もたくさん存在する。僕は毎日繰り返される、押し売りされているようなその圧迫感が嫌で、変わらず無視をする。
けれど今日はいつもと少しだけ違った。赤信号の待ち時間のメモリが残り二つになった時に、僕はそのキャッチの中で一人だけ離れて立っていた女性に目が行った。その人は控え目な猫耳を付けつつも、色彩豊かな店の看板を右手でダラんと下げて気だるそうに立っている。そして行き交う人々を呼び止めようともせず、多くの人が彼女の横を通過する。可愛らしくて目立つ格好をしているのに、なぜか気が抜けたような表情をしていた。そのギャップが不思議で、一体どんな感情であの場所に立っているんだろうかと興味を惹かれる。なんだか、この人だけは繁華街のマニュアルとは違う何者かであると不意に思った。
僕の背中が青信号で照らされている感覚がありながらも、そんな彼女の姿から目が離せずにいた。そうして油断している時に、彼女と目が合ってしまった。僕は慌てて目を逸らす。しかし彼女はそんな僕に手招きをした。どうしてか、自分でもよく分からないがその刹那、初めてキャッチに着いて行きたいと思った。点滅する青信号の光が頬に当たりつつ、目の前の横断歩道を渡らずに、引き返した。
引き返したはいいものの、彼女らの方へ自ら近づいていくのが何だか無性に恥ずかしく、俯いたままで歩みを進めた。でも、どうして僕は一人でこんなに緊張しているのかとふと我に返る。結局、ただ一人の客として、どうせよく分からない店へと連れて行かれるだけの話なのに。彼女は単なるキャッチに過ぎないのに、それ以外の何かを期待しているのか。そう考えると自分が感じている緊張感が我ながら滑稽だと思った。
それから、瞳に風が吹き付けて、一度目を閉じてから、近づいた彼女の姿をはっきりと見つめる。その時、僕は驚いた。あまりにも彼女が可愛くて一瞬だけ呼吸ができなかった。鼻先がするりと尖り、優しい猫目で、薄汚い繁華街にしっとりと佇む彼女が白浮きしているみたいで、彼女以外の風景がぼやけて見えた。まさしく人を寄せ付けるために生まれた人間のようだった。
そんな彼女は僕と目が合うと満足気に微笑んだ後、店の看板を両手で握り直す。最初から分かっていたけれど、やっぱり客として呼び寄せられたに過ぎないのだと理解する。
「お兄さん素敵ですね。」
「え?」
でも僕はそんな彼女の第一声に拍子抜けをした。
「今日は私と一緒に居ませんか?」
「いや、あの、、」
彼女はじっと僕のことを見ながらそう言うが、その言葉には体温が無く、まるでうろ覚えのセリフのように聞こえた。だから途轍もないボッタクリの店にでも連れて行かれるのではないかと恐れた。
「それはどういう、、そういう設定ですか?」
「設定とかじゃなくて、、なんかお兄さんが素敵で好きになったので。」
「いや、そんなわけ、、、」
真っ直ぐに「このガールズバーに来てください」と言われたら客としてそれで終わりだったのに、僅かな期待感が頭の隅から溢れ出てくる。でも、なんというかやっぱり拭いきれない違和感が彼女の言葉にはあった。
「色恋営業ってことですか?」
僕は、はっきりとそう言った。すると彼女は何かのスイッチが切れて諦めたようにふっと笑う。
「やっぱり、今日はもうダメですね。」
そうして絞り出されたその言葉には、はっきりと体温があった。
「なんか上手くいかなくて恥ずかしいので、ちょっと話聞いてくれないですか?」
訳はわからないけれど、細い指先が触れて、そのまま彼女は僕をどこかへ連れて行こうとする。
「お店には、、行きたくないですよ?」
「はい。もう大丈夫です。」
彼女の意思は分からなかった。でも猫耳をつけたまま人混みををかき分けて小走りで、揺れる彼女の背中に自然と心がついて行く。とても不思議だった。




