010 Texas Brisket
数日後。
俺たちはオルディアの町を出発し、大きな交易街へと到着した。
街道を進み、高い城壁に開いた門に向かうその時、ランクルの窓から吹き込んできた風に混ざる『ある匂い』を感じ取った。
「……Wait。みんな、ちょっとストップだ」
俺は急ブレーキを踏んでランクルを路肩に寄せた。
助手席で景色を眺めていたエルナが不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの、Ken? 急に車を止めて」
「匂いだ……。間違いない、この力強くも無骨な煙の香り。ヒッコリー(クルミ)じゃない。このガツンとくる香りは……ポスト・オーク(樫の木)だ! しかも、この焦げた強烈な牛脂とブラックペッパーの匂いは!」
:『おいおい、BBQレーダーが感知したぞww』
:『匂いだけで木の種類まで当てるの草』
:『うそ! 新しい町についたのにまた街の中おあずけ!?』
俺は興奮を抑えきれず、車を飛び出した。
カンザスシティの魂を持つBBQMANとして、この匂いを見過ごすわけにはいかない。匂いを辿って門から少し離れた広場へ向かうと、そこにはすでに凄まじい人だかりができていた。
「金ならいくらでも払う! 早くあの『黒い肉』を食わせてくれ!」
「おやっさん! 今日も最高の匂いだな!」
群衆の中心に鎮座していたのは、見慣れた地球のドラム缶……いや、おそらくプロパンガスの巨大タンクを改造して作られた、真っ黒で無骨な『特大オフセットスモーカー』だ。
そして、その強烈な熱気と煙の前に立つ一人の男。
テンガロンハットを深く被り、煤と脂で汚れた分厚い革エプロンを着た、50代半ばほどの無精髭の男だった。その太い腕には、無数の火傷の痕が刻まれている。
「Oh my god……! 異世界に俺以外のBBQMANがいるなんてな!」
俺はライブ配信のカメラを男に向けながら、たまらず最前列へと歩み寄った。
「Hey! そこのアンタ! そのスモーカーとオークの煙、それにその黒胡椒の効いたラブ(スパイス)……もしかしてテキサススタイルの……」
だが、テンガロンハットの男は俺の方を見向きもしなかった。
彼は無言のまま、スプレーボトルを取り出し、スモーカーの中の巨大な肉塊に向かってシュッシュッとアップルサイダービネガーを吹きかけている。
「Wow、見事な肉だ。テキサスからこのISEKAIに召喚されたクチか? 俺はカンザスシティから来たKenだ。アンタのBBQについて少し話さな――」
「……うるせえ」
ドスの効いた、地を這うような低い声だった。
男はテンガロンハットのツバを少しだけ上げ、鋭い鷹のような目で俺をギロリと睨みつけた。
「Boy、黙ってろ。今、肉が俺に語りかけてんだ。……気が散る。温度がブレるだろうが」
そう吐き捨てると、再びスモーカーの温度計に全神経を集中させた。完全に『ゾーン』に入っている。BBQへの異常なまでの真剣さ。職人だ。
:『まさかのアメリカン転移者 !!!』
:『テキサスおじさんキターーー! ガチ勢のオーラ半端ない!』
:『Kenが完全に子ども扱いされてて lol』
Mama:『あらぁ、ずいぶんと硬派なピットマスターね。職人気質でカッコいいじゃない』
Dad:『Ken!! 見てみろあの無骨な焼き方を! テキサスBBQだと!? カンザスシティの誇りにかけて、絶対に負けるなよ!!』
:『ダディバチバチで最高 lmao』
Mike:『カンザスシティ vs テキサスの異世界BBQ戦争勃発か!?』
チャット欄が爆発的に盛り上がる中、俺は思わず両手を上げて笑った。
「HAHAHA! OK、OK! 悪かったよ。焼き上がりの邪魔をするのは重罪だからな。黙って見させてもらうぜ」
◆◆◆◆◆
「……よし。仕上がった」
男が短く呟き、分厚い耐熱グローブでスモーカーから巨大な塊肉を取り出した。分厚いブッチャーペーパー(肉包み紙)を開くと、そこにはまるで隕石のように真っ黒な『Brisket』(牛の肩バラ肉)が姿を現した。
街の人々から「うおおおおっ!」と歓声が上がる。彼らはすでに、このテキサス親父のBBQの熱狂的なファンのようだ。
:『うわ、真っ黒!! 焦げてないのこれ!?』
Mama:『ノンノン、あれは焦げじゃないのよ。スパイスと煙が肉の脂と反応してできる最高の鎧、樹皮よ! 見事な仕上がりね!』
Dad:『ぐぬぬ……認めざるを得ん、完璧なテキサス・ブリスケットのツラをしてやがる……!』
男が巨大なナイフを滑らせて肉をスライスする。
漆黒の樹皮に包まれた断面から、美しい紅色の『スモークリング』と、滝のように溢れ出す透明な肉汁が現れた。自らの重みで、肉塊がプルプルと震えている。
男は切り分けた最高の一切れを紙皿に乗せ、何も言わずに俺の前に突き出した。
「……御託はいい。まずはこれを食え」
「……You got it(頂こうか)」
甘辛いソースをたっぷり絡めるカンザスシティスタイルとは対極。テキサスのBrisketは、塩と大量の粗挽き黒胡椒 (ダルメシアン・ラブ)のみで肉の旨味を極限まで引き出し、ソースを一切使わずに「肉そのものの暴力的な美味さ」で殴りかかってくるスタイルだ。
俺は敬意を込めて、その真っ黒な肉片を口に運んだ。
「……Oh my God」
噛んだ瞬間、俺は天を仰いだ。
長時間かけてトロトロに溶け出した牛脂の強烈な甘み。ポスト・オークの野性的なスモークの香り。そして、ガツンと脳天を突き抜ける黒胡椒のパンチ。ファンタジー世界の巨大牛なのか、地球の牛肉を遥かに凌駕する濃密な旨味が、口の中で爆発した。
悔しいが、文句のつけようがない。完璧なテキサス・Brisketだ。
横で見ていたガンツやエルナ、トーマスも、男から肉を受け取って口に放り込んでいた。
「なんだこりゃあ!? Kenの甘い豚肉も最高だったが、この牛肉……噛まなくても溶けちまうぞ! 胡椒のピリッとした辛さがたまらねえ!」
「す、凄い……! Kenのお肉は魔法みたいに複雑で華やかな味だったけど、こっちのお肉は……まるで熟練の戦士の一撃みたい! 重くて、力強くて、真っ直ぐに美味しいわ!」
「ソースがないのに、肉自身の脂と塩胡椒だけでここまで味が完成されているとは……! テキサス……恐ろしい国ですぞ!」
:『異世界人、テキサススタイルにも陥落! lol』
Mike:『Ken、顔がマジになってるぞ』
:『美味そうすぎる。画面から匂い出せよ!』
俺は目の前の気難しいテキサス親父に向かって、最高級の笑みを向けて手を差し出した。
「負けたぜ。最高のBrisketだ。アンタの肉への情熱、しっかり伝わったぜ!」
男は俺の差し出した手をチラリと見て、フッと鼻で笑った。
「……Boyにしては、少しは舌が肥えてるようだな」
そう言いながらも、油まみれの分厚い手で、俺の手をガッチリと握り返してきたのだった。
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次話明日7:00に公開予定。




