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夜想曲『花の国』  作者: ことは
第二部『月の詩』
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第九楽章7節

チユを囲むように見つめる子供たち。

一つ、小さな手が、桃色に煌めく髪を撫でる。

一つ、小さな手が、震える背中に寄り添う。

一つ、小さな手が、雫に濡れた頬に触れる。

一つ、小さな手が、冷たくなった手のひらを包み込む。

一つ、小さな手が、嗚咽の止まらないチユを抱きしめた。


彼らは、いつも一緒に居た。

この村に住む、八人の子供。

だけど、三人は、もう目が覚めることはない。

それは、子供たちも、痛いほどに理解している。


それでも、彼らは、チユに、ありがとうという言葉を贈った。

それは、チユにとって、揺るがぬ鍵となった。


崩壊した心の扉。

流れ出すのは、言葉にできない数々の想い。

それは、たった一つの音色に収束する。

「ごめんね。」

ただただ繰り返される、小さな旋律。

雫に溶けた言の音が、チユの紡げる全てだった。


だが、いつまでも、此処に委ねていることはできない。

魔獣の脅威がなくなったわけではない。

自らに刃を突き立てるように、チユは前を向く。


「ありがとう、みんな。もう平気。」

静寂に零れ落ちた詩が、子供達の耳に触れる。

その消え入りそうな声は、遠くには届かない。

瞬く間に土の中へと溺れていき、安らぎを忘れようと踠く。


自ら張り詰めていく見えない糸が、チユにとって、立つための唯一の糧。



手が届かず、灯火を失ったのは、これが初めてではない。

ブランノワールでは、誰よりも大切な仲間を失った。

数えきれない灯火が、目の前で潰えていくのを見てきた。


未だ、一つとして、乗り越えられてなどいない。


泣き喚く自らの声の中で、その事実だけが、心の奥から這い出てくる。

だからこそ、それを断ち切るように、糸を張り詰めていった。

「すぐに、この場を離れましょう。救援を待つ時間さえも、今は危険です…。」

チユは、顔を上げ振り返る。

その先に立つのは、ロスマーリン。

「二人ずつ、馬に乗せて、一人は、背負っていきましょう。」

それは、自らの灯火が歩んできた旅路故の答えだけではない。

子供たちの、そして、仲間たちの安全を確保するためだけではない。

何かをしていたかった。

そうすることで、心の奥に澱む本当の想いを閉じ込めることができる。

全ては無理でも、完全には無理でも、今よりは前だけを見つめることができるはず。


ここで、止まるわけにはいかない。

自らの弱さに、負けるわけにはいかない。

この道の先で、何が起ころうとも、歩み続ける。

そう決めたのは、自分自身。


チユは、立ち上がった。

背負うのは、最も幼い子供。

枯渇していた魔力を少し取り戻したとはいえ、まだ足取りは覚束ない。

それでも、大地を踏み締め、チユは、微笑んだ。

「今から、安全なところに行こうね。もう大丈夫だからね。」

ただ前だけを向き、チユは奏でる。

「うん。お姉ちゃんのこと、信じてる。」

きゅっと閉まる小さな手に、強く大きな温もりを感じる。

「任せてね。お姉ちゃんは、逃げ足が早いから。」

誇るように奏でた音色が、拭うことのできない不安を包み込んでいった。



村の傍に広がる森が、この旅路を覆い尽くす。

二つの蹄の音が、チユを囲む。

その足跡には、言葉一つ芽生えることはない。

息を潜め、僅かな魔力さえも見逃さないように、心を研ぎ澄ませる。

「やっぱり、魔獣は遠くに居るみたいです。」

ようやく紡いだ言葉からは、チユの想いを拾うことはできない。

明るく振る舞われる音色に、ロスマーリンは、心に突き刺さる痛みを知る。

「ならば、背負うのを変わろう。」

馬を止め、ロスマーリンは、大地に足を繋いだ。


柔らかな草の音が、ロスマーリンの力強さを奏でる。

それは、誰しもが身を委ねたくなるような、優しい旋律。

だが、チユは首を振った。

「私は、馬が得意ではありません。一人でゆっくり乗るのならできますが、みんなを安全に乗せて進むことはできません。もし魔獣が来る事になれば、尚更…。」

顔を上げ、柔らかく微笑むチユに、ロスマーリンは手を差し伸べる。

「そうか。ならば、やはり、私の馬に彼女も載せよう。」

足だけでも軽くさせたい。

ロスマーリンの小さくも、何より叶えたい願いが、優しく囀る。

「ありがとうございます。でも、何かしていたいのです。」

自らに負荷を与え続けなければ,重くのしかかる自らの想いに押しつぶされてしまう。

そんな気がして、チユは何も手放せずにいた。



メルと特訓した日々が、いつしか自信になっていた。

治癒魔法ならば、みんなを救えると信じていた。


チユは、小さく首を振る。

「それは、私の驕りよね…。」

誰にも聞こえない、自らへの詩が、この旅路を紡いでいく。

「私には、できないことがたくさんある。」

それだけは、揺るがない。

「でも、私にも、できる事もあるから…。」

辿り着いた想い。

「だから…、私は、私にできる事を手放したくない。」

ずっと持っていたのに、気づかなかった答え。

小さく囁いた音色は、自らへと刻み込むように、溶けていく。

それを握りしめるように、チユは灯火を背負った。



木々の隙間から漏れる光。

見上げると、世界は煌めいているように振る舞っている。

思い出すのは、ルナとの日々。

森の奥で、家族と共に過ごした色彩。

あの日も、木漏れ日が煌めいていた。

それが壊れる予兆。

あの日は気づかなかった、不協和音。

刃を向けるように、雲が太陽を蝕む。


光が消えていく。

厚い雲が、空を隠していく。


チユは、小さく振り向いた。

背に感じる幼い鼓動が、不思議そうに見つめてくる。


遠くに感じる、小さな魔力。

その身に潜ませた、大きな敵意。

「お姉ちゃん、どうしたの?」

無垢な音色が、チユに縋る。

震える体を必死に抑え、彼女に安らぎを紡ぐように、チユは微笑んだ。

「何でもないよ。ねえ、それより…。お馬さんに、乗ってみたい?」

「乗りたい。…でも、お姉ちゃんのおんぶも好きなの。どっちがいいかな?」

弾むような音色が、足跡に寄り添う花に揺れる。

「じゃあ、今はお馬さんに乗って、後でおんぶするのはどうかな?」

可憐な花を愛でるように、チユは穏やかに囁いた。

「そうする。」

その音色を包み込む笑顔が、チユの想いを強く固めていく。

チユは、笑顔のままに頷き、ロスマーリンへと顔を上げた。

「あの…、お願いしてもいいですか?」

その声を待ち望んでいたかのように、ロスマーリンは手を差し伸べる。

「もちろんだ。チユも、乗らないか?」

穏やかな笑顔が、チユの心に刺さる。

小さな痛みが、体中を巡る。

でも、それを悟られたくはない。

「私は、もう少し、この森の香りの中で歩きたいのです。」

微笑みに奏でた穏やかな音色が、揺るがない意志を包み隠した。


背中に感じる魔力は、まだ小さい。

まだ、時間はある。

だからこそ、今は、自らの魔力を回復させることに努めたい。

抗えずとも、治癒魔法を使うに至らずとも、駆ける力を取り戻したい。

腰に揺れる小さな宝剣、ジプソフィル。

そこに描かれた、火の魔法陣。

メルが捧げてくれた、旅路への祈り。

それを確かめるように、チユは柄に触れた。

手首にそよぐ、可憐な花。

シャリテが贈ってくれた、大切な宝物。

「全部が、私を見守ってくれている。」

好みに刻まれたのは、振り返るための傷なんかじゃない。

途絶えてしまった足跡さえも、未来へと紡がれる旅路。

だからこそ、この意思は、揺るがない。



凪を描くような、小さな安らぎ。

そこに爪を立てる魔力。

少しずつ近づく敵意。

もう少し近づけば、ロスマーリンなら気づくことができる。

でも、その時では、もう遅い。

小さな子供たちを乗せたままでは、すぐに追いつかれる。

ただ、今は、まだ…。


「もう少し…。」

高鳴る鼓動。

その刹那を間違えれば、また失うことになる。

一歩ずつ近づく敵意を帯びた魔力が、背中に突き刺さる。


まだ、その影は遠い。

だが、遂に、その手がチユの魔力に触れた。

「ロスマーリンさん、逃げて。」

可憐な叫びが、森に反響する。

その旋律に、ロスマーリンも、影に気づいた。

「チユも、馬に乗るんだ。」

差し伸べたて共に紡がれる、悲痛な叫び。

だが、チユは、それを掴もうとはしない。

「私も乗れば、追いつかれてしまいます。」

それは、ロスマーリンにも、ジニアにも、わかっていたこと。

だが、チユを置いていくことなど、できるはずがない。

それでも、チユは、微笑みに隠した意志を変えることはなかった。

「私は、逃げ足だけは自信があるのです。」

精一杯の笑顔。

その煌めきは、大切な人を騙す、優しい音色。


「急がなきゃ。」

一つとして、悟られないように、チユは、叫んだ。

駆け出す二つの蹄。

それを追うように、チユも駆ける。


小さく紡いでいく魔法陣。

それは、手のひらに描かれた、チユの唯一の攻撃魔法。

これまで、水を温め、木の実やクッキーを焼くことにしか使ってこなかった魔法。

生きることを紡いできた魔法が、生かす為に焔となる。

後は、魔力によって、それを形にするだけ。


チユたちにカノンするように駆け始めた影が、魔獣の輪郭を鮮明にさせる。

魔法陣に描かれた三つの印に、魔力が注いでいく。

詩うのは、火の魔法、最大火力。

それでも、チユの力では、中等火力にも満たない。


でも、それで充分。

目的は、道を塞ぐこと。

チユは振り返り、回復した魔力で、焔を描いた。

「どうか、振り返らずに、駆け抜けてください。」

離れゆく背中に、チユは叫ぶ。

救援隊との合流は、この道を進めば成せる。

「この道の先で、再会しましょう。」

その旋律と共に、チユは、森の中へと入った。


蔦が、草が、枝が、その道を阻む。

岩が、小川が、陽光さえもが、壁となる。

それでいい。

チユは、小さく頷いた。

道を塞いだ魔法の火は、魔獣保の敵意を滲ませた。

故に、その魔力を辿って、魔獣は進路を変える。

その先に在るのは、チユ。

故に、残された魔力をできる限り解放した。

「私は、ここに居るよ。」

振り向くことなく、チユは囁く。

その音色に乗って、阻む全ての壁を避け、森を駆け抜ける。

背後に迫るのは、牙を剥き出しにした魔力。

姿は見えずとも、魔獣の強大な色彩は手に取るようにわかる。

「逃げ切ってみせる。」

自らに言い聞かせるように、チユは詩った。

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