武者修行してたら変な女が付いてきたんだが?
本編とはあんまり関係ないですが、マサハルとチハルの馴れ初めに関する物語です。
なぜかこいつだけバトル漫画系主人公。
深い海の底、光の届かぬ暗礁の空洞。
そこには一柱の瑞龍が、永い眠りについていた。
白銀の鱗を持つその龍は、齢百を超えてなお、一族の中では「若輩」に過ぎない。
かつては地上へ這い出し、人の子らと戯れたこともあった。しかし、人の世に戦火が広がるにつれ、一族の長老たちは厳命を下した。「断じて、人に関わるなかれ」と。
以来、ただひっそりと、隠れるように深海に沈む日々。
(――退屈じゃ)
祭りの笛の音、子供たちの笑い声。遠い記憶の残滓を抱きしめ、龍は再び微睡みへと落ちていく。
だが、その日は違った。
静止した時間の中に、異質な「拍動」が響いたのだ。
洞窟の直上。はるか高みに、誰かがいる。
弾む心。疼く本能。
(……いや、ならぬ。掟は絶対じゃ。……じゃが、しかし……)
葛藤を置き去りに、白龍は闇のなかで静かに身をよじった。
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谷口マサハル。それが俺の名だ。
親父から叩き込まれた「谷口流拳術」の継承者。
世に蔓延る近代格闘技とは、毛色が違う。
この拳に「華」はない。ただ、飛鳥の世に修験者が編み出し、平安の闇で異形を屠ったとされる、泥臭くも鋭利な「殺すための理」があるだけだ。
「龍が岬」の断崖。
名のある僧や修験者が籠もった洞窟がある――そう聞いた。
潮の匂いが濃い。
森に覆われた岬だが、ところどころ岩肌が剥き出しになっている。
道らしきものを辿る。
岩に打ち込まれた杭と、そこに繋がれた鎖だけが、かろうじて進路を示していた。
やがて、視界が開ける。
切り立った岩壁。
まるで侵入者を拒むようにそびえ立っている。
「……ここか」
海風に晒された岩肌に、ぽっかりと不気味な口を開ける洞窟があった。
俺は額の汗を拭い、迷わずその闇へと足を踏み入れる。
洞内は、濃密な潮の香りと冷気に満ちていた。
暗い。
だが、これも修行のうちだ。
手にした錫杖で足場を探り、耳で空間を測る。
水の音、風の音、反響――すべてが手がかりになる。
やがて、最奥に辿り着いた。
岩の隙間から、月光が一条の糸となって降り注いでいる。
海水が薄く広がる空間の中央に、古びた石塔。しめ縄と、朽ちた紙垂。
――なるほど。
「……いい場所だ」
俺は平らな石の台座に胡坐をかいた。
古の修行者に倣い、ただ目を閉じる。
波の音、
風のうなり、
自分の鼓動。
すべてが溶け合い、
世界と一体化していくような感覚――。
どれほど経ったか。
違和感が、来た。
目の前に――“何か”が顕現した。
巨大な、柔らかい塊のような気配。
――瞬間、身体が動いた。
跳ぶ。
思考より先に、肉体が跳ねた。
ドォォォンッ!
直後、俺がいた台座が粉々に砕け散る。
光は遮られ、一瞬で完全な闇が訪れる。
――だが、
皮膚がビリビリと震えるほどの威圧感。
何かが、そこにいる。
シュッ――と、風を切る音。
即座に上体を沈める。頭上を、鞭のような巨躯が凪いでいった。
(なんだ、これは)
わからない。
だが――
俺のやることは、一つだ。
(殴れば、わかる)
一歩、踏み込む。
水面を蹴る飛沫を置き去りに、俺は「それ」の懐へ飛び込んだ。
全身のバネを拳一点に凝縮し、意志を叩きつける。
(打つ!)
「――っ!」
重い衝撃。
鋼鉄の壁を打ったような硬質な手応え。
だが、俺の拳は芯を捉えた。
悲鳴のような風の音が洞内に反響し、
巨大な気配は水飛沫とともに奥へと退いていく。
鎖を引きずるような音を残し、やがて静寂が戻った。
「……ふう」
正体は、結局見えなかった。
だが、拳を通じた確かな「対話」の感触に、俺は奇妙な満足感を覚えていた。
「ま、いいか」
そのまま石の上に体を投げ出し、心地よい疲労感に意識を委ねた。
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翌朝。
洞窟を出た俺を待っていたのは、目に刺さるような青空。
そして猛烈な空腹――。
「腹、減ったな……」
港町の小さな店でパンと炭酸飲料を買い込み、堤防に腰を下ろす。
――潮風が心地いい。
おもむろに袋を開け、パンをかじろうとした、その時。
「お主、何を食っておるのだ?」
声がした。
振り向く。
誰もいない。
視線を下ろした。
そこにいたのは、古風な白い貫頭衣をまとった、妙に目つきの鋭い少女だった。
「……誰だ、お前」
「名乗っておらなんだか」
少女はドヤッと小さな胸を張る。
「妾は海の民、カイリュウ族が巫女――水波チハルじゃ」
「……お前何言ってんの?」
「もう一度言おうか? 妾は――」
「……もういい。俺は、谷口マサハル」
「うむ、知っておる」
「は?」
「それより、それは何じゃ?」
パンを指差す。
「パンだよ」
「ほう……パン、とな?」
じっと見つめてくる。
そして尊大に手を差し出した。
「寄越せ」
「は?」
「腹が減った」
「いや、店で買えよ!」
「知らん。それが欲しいと言っておるのじゃ!」
「おい――」
次の瞬間、パンは消えていた。
「うまい!!なんじゃこれは、至高の供物ではないか!」
「早えよ!!」
さらにジュースも奪われる。
「これはなんじゃ?」
「ここをこうやって、開けて飲むんだよ」
「ほほう?こうか……」
ごくごくと飲み干す。
「うまい!!」
「全部飲むな!!」
俺はため息をついた。
「で?お前、なんなんだよ」
「昨夜、手合わせしたであろう」
「……は?」
「洞窟でじゃ」
「……まさか」
「そうじゃ」
少女はにやりと笑う。
「久しぶりの客じゃったのでな。少し遊んでやったのじゃ」
――あの、巨大な気配。
これが?
昨夜のあの化け物は、どう考えても人間サイズじゃなかった。こんな瑞々しい小娘であるはずがない。
(ぜってーありえねえ)
たまにいる。
山奥や古戦場のような「それっぽい場所」に居着いて、自分を特別な存在だと思い込んでいる手合いだ。
名前も「水波チハル」とか言っていたが、どうせ「みずは」とかそれっぽい読み方を自分で考えたのだろう。
「……帰れ」
チハルは青天の霹靂のような顔で目を瞬かせる。
「は?なんじゃと?」
「お前さ、あんな暗闇で、あんなデカい獣と俺がやり合ってる横で、隠れて見てたんだろ。で、そのどさくさに紛れて、俺をストーキングしてたってわけか」
「は?すとーきんぐ?とはなんじゃ」
しっしっと手で追い払う。
「俺は旅の途中だ。お前に構ってる暇はない」
俺は深いため息をつき、最後の一口のパンを口に放り込んだ。
「なぜじゃ」
「ついてくるなって言ってんだ」
俺は荷物を乱暴に方に掛け、立ち上がる。
関わってはいけないタイプだ。拳術の修行以前に、現代社会にはもっと厄介な「敵」がいることを忘れていた。
「なぜじゃ!」
少女は一歩踏み出す。
「妾に勝った者は、お主が初めてじゃ」
「……」
「つまり――」
満面の笑み。
「お主は妾の夫じゃ!!」
「は?なに言ってんのお前」
全く意味がわからん。
無視して歩き出す。
「待て! 置いていくな! 掟に従い、妾はお主についてゆくと決めたのじゃ!」
「ついてくるな! 警察呼ぶぞ!」
「けいさつ? どこの一族の隠密じゃ! 妾を捕らえられると思うてか!」
――こうして俺は、
堤防を早足で歩く俺の後ろを、少女がパタパタと素足で追いかけてくる。
どうやら、この「自称・龍の嫁」を振り切るには、拳術よりも根気が必要になりそうだった。
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時は遡る。洞窟の底。
白龍は思い出した。
確か、爺が言っておった。
『もしも人の子と出会い、力で負けた時、人化の法を使い、その者を追うのじゃ。そしてその者の力を超え、勝つまでは、この海へ戻ってはならぬ』
姉様も言っておった。
『チハル。お前は本当に人の子が好きじゃの。かつて我らの一族に、人の子に負け、その者を追い、番いと成った者がおってな。その者を夫とし一生人として生きた者もおる。ま、お主も好きに生きると良い』
久々に、人の子と試し合いをするか。
白龍は暗闇の洞窟を、上へ上へと登っていった。
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結局、修行どころではなかった。
どこまでも、文字通り影のように張り付いてくる自称・龍の巫女。
一人分のはずの路銀は、彼女の底なしの胃袋によって、魔法のように消え去った。
俺は半ば逃げるように、実家へと足を向けた。
住宅街の喧騒から少し外れた場所に、その古い家はある。長い塀の角を曲がると、質素な冠木門が姿を現した。
『谷口流拳術』
古びた看板が、控えめに、だが確かな威厳をもって掲げられている。
木戸を開け、慣れ親しんだ飛び石を抜けて玄関の引き戸を引いた。
「ただいま――」
「おじゃまするのじゃ!」
「……お前、なんで当然のように家の中まで入ってきてんだよ」
背後から響いた、場違いに明るい声に頭を抱える。
「なぜじゃ? 夫についていくのは妻として当然の務めじゃろ!」
「あのな、俺はまだ14歳だ。中二だ。夏休みを利用して修行の旅に出てただけの、法的には立派な未成年なんだよ!」
現代日本の常識を叩きつける俺に、チハルは不思議そうに小首を傾げた。
「む? お主、元服はまだか? おかしいのう。昔聞いた話では、人の子は十二、三も超えれば立派な大人だと聞いておったのじゃが……」
「いつの話してんだよ……。いいから、設定を盛りすぎるな」
深いため息をついた、その時。
廊下の奥から、静かな、だが重みのある足音が聞こえてきた。
「おー、マサハル。よう帰ったな」
現れたのは、祖父だった。
谷口流拳術の現当主。俺が一度もその背中を捉えたことのない、真の武人。
「……その娘さんは、どなただね? ――む?」
祖父の言葉が止まった。
細められた眼光が、マサハルを通り越し、背後のチハルを鋭く射抜く。
静寂。
空気がピリリと震えるような感覚。修行中のあの洞窟で感じた「気配」に似た何かが、一瞬だけ家の中に満ちた気がした。
だが、祖父はすぐに表情を和らげると、深々と頭を下げたのだ。
「……なるほど。良う参られました。どうぞ、狭い家ですがお上がりください」
「ふむ。話のわかる年寄りがいて助かるのじゃ。苦しゅうないぞ」
チハルは満足げに頷き、我が物顔で畳の上へ上がっていく。
俺は、呆然とその光景を見届けるしかなかった。
「……は? じいちゃん、何言ってんだよ!? こいつ、ただの変な……」
「マサハル」
祖父が俺の言葉を遮った。その目は、冗談を言っているようには見えなかった。
「礼を失するな。……このお方は、お前が連れてくるべくして連れてきたお方だ」
「…………はい?」
俺の「常識」という名の防波堤が、音を立てて崩れ始めていた。




