学芸員と偶然
金曜日。
仕事が終わった。
明日は休み。
高宮にとって、それだけで少し気分が軽くなる。
「……飲むか」
特に予定はない。
いつも通り、駅前の居酒屋へ向かう。
一人で飲むつもりだった。
博物館を出て、駅へ向かう途中。
「高宮さん」
後ろから声がした。
振り返る。
松下だった。
「……松下」
「今帰りですか?」
「そう。お前も?」
「はい」
松下は少し間を置いて、高宮を見る。
「飲みに行くんですか?」
「そのつもり」
「一人で?」
「まあな」
「じゃあ、一緒に行ってもいいですか」
「珍しいな」
「そうですか?」
「お前、あんまり自分から誘わないだろ」
「……そうかもしれません」
「まあ、いいけど」
二人はそのまま駅前の居酒屋へ向かった。
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「何飲む?」
「ビールで」
「じゃあ俺も」
注文して、しばらく待つ。
やがてジョッキが二つ届く。
「じゃあ」
「はい」
乾杯。
一口飲む。
高宮が息を吐く。
「うまい」
「仕事終わりだからですかね」
「それもある」
「明日休みだから?」
「それが一番大きい」
松下が少し笑った。
「高宮さんって、休日前になると分かりやすいですよね」
「そうか?」
「ちょっと機嫌がいいです」
「普段そんなに悪いか?」
「声質が暗いです」
「それ、悪口だろ」
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料理が運ばれてくる。
二人で適当に取り分ける。
しばらく仕事の話をしていたが、やがて松下が言った。
「高宮さんって、休みの日は何してるんですか?」
「寝てる」
「それだけ?」
「あと酒飲む」
「……健康的ですね」
「皮肉はやめろ…実際なんか駄目人間みたいだな」
「違うんですか?」
「違わないけど」
松下が笑う。
「松下は?」
「私は……その日によります」
「趣味とかないの?」
「ありますよ」
「何?」
「考えておきます」
「趣味ないじゃん」
二人とも笑った。
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二杯目。
少し酔いが回ってきたところで、松下が料理を眺めながら言った。
「こういう店って、面白いですよね」
「何が?」
「同じ料理でも、店によって値段が全然違うじゃないですか」
「まあな」
「例えばこの唐揚げ。家で作ればもっと安い」
「そうだな」
「でも、店で食べる」
「作るの面倒だからな」
「それですよ」
松下が箸を置く。
「人って、物そのものにお金を払ってるわけじゃないんですよね」
「唐揚げに金払ってるんじゃなくて、作らなくていいことに払ってる?」
「たぶん」
「じゃあ居酒屋って、料理屋じゃなくて面倒くささを買う場所なのか」
「そう考えると、かなり儲かりそうな商売ですね」
「『面倒くさい』を商品にするのか」
「逆です。『面倒じゃなくなる』を商品にするんです」
高宮は少し考える。
「なるほどな」
「だから便利なものって、結局、人間の面倒くさがりを商売にしてるのかもしれません」
「お前、酔ってる?」
「少し」
「俺も」
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三杯目。
高宮は焼酎に変えた。
松下はまだビールを飲んでいる。
「でも、それなら面倒なことって、全部なくしたほうがいいんですかね」
松下が言った。
「さあな」
「例えば料理」
「うん」
「全部外食にすれば、料理しなくていい」
「そうだな」
「洗濯もクリーニングに出せばいい。掃除も人に頼めばいい」
「仕事も誰かにやってもらえばいいな」
「それは無理でしょう」
「なんでだよ」
「高宮さんの仕事を代わってくれる人、あんまりいなさそうなので」
「余計なお世話だ」
松下が笑う。
「でも、面倒なことって、全部が悪いわけじゃないと思うんです」
「例えば?」
「料理って、作ってる間は面倒ですけど、出来上がるとちょっと嬉しいじゃないですか」
「分からなくもない」
「だから、面倒をなくしすぎると、結果だけになってしまう」
「過程がなくなるってことか」
「はい」
高宮は焼酎を飲む。
「でも俺は、面倒なことは少ないほうがいいな」
「私もです」
「じゃあ何でそんな話したんだよ」
「面倒なことを考えるのが趣味なので」
「一番面倒な趣味だな」
松下は笑った。
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店を出る。
夜の駅前。
少し冷たい風が吹いている。
「じゃあ、また月曜」
「はい」
二人は別れようとする。
高宮がふと振り返る。
「松下」
「はい?」
「今日は、偶然だったのか?」
「何がですか?」
「いや……」
高宮は少し考える。
「俺が飲みに行こうと思った日に、お前と会っただろ」
「そうですね」
「珍しいなと思って」
松下は少し黙った。
「……偶然じゃないかもしれませんよ」
「え?」
「けど私も、今日は一人で飲もうと思ってたんです」
「そうなのか」
「だから、たまたま会っただけですけど」
松下は少し笑う。
「会わなかったら、一人で飲んでました」
「俺も」
「じゃあ、やっぱり偶然ですね」
「……そうだな」
高宮は納得したように頷く。
二人はそれぞれ反対方向へ歩き出した。
高宮は数歩歩いてから、ふと思う。
自分がいつもの道を通らなかったら。
松下がいつもより少し早く仕事を終えていなかったら。
どちらかが数分ずれていたら。
たぶん、会っていない。
「……」
高宮は立ち止まる。
「偶然って、意外と条件多いな」
そう呟いて、また歩き出す。
その頃、松下も一人で歩きながら、少しだけ笑っていた。
果たして二人が出会ったのは、
本当に偶然だったのか。
それとも――
ただ二人とも、同じ時間に同じ道を歩いただけなのか。
答えを知っているのは、
たぶん本人だけだった。




