学芸員と雪
朝。
高宮が博物館へ向かっていると、頬に冷たいものが当たった。
「……雪?」
空を見上げる。
白い粒が、ぽつぽつと落ちてくる。
この地域では、雪そのものが珍しいわけではない。
ただ、まとまって降ることは少ない。
まして、積もるほどとなると年に何度もあるものではなかった。
高宮は足を止める。
「降るとは言ってたけど……」
スマホを見る。
予報では昼頃まで雪。
積雪の可能性もあるらしい。
「本当に降るんだな」
少しだけ声が弾んだ。
---
博物館に着く。
開館前だった。
高宮は鍵を取り出したものの、すぐには扉を開けなかった。
駐車場を見る。
まだ積もってはいない。
しかし、車の屋根にはうっすら白い。
「午後には結構いくかもな」
誰に言うでもなく呟く。
館内に入り、照明をつける。
いつもの朝。
いつもの仕事。
ただ、窓の外だけがいつもと違う。
---
開館してしばらくすると、
案の定、来館者は少なかった。
雪の日にわざわざ博物館へ来る人間は少ない。
高宮は受付で書類を整理しながら、時々窓の外を見る。
「……まだ降ってる」
雪は止むどころか、少し強くなっていた。
昼前。
外を見ると、駐車場が白くなっている。
「積もったな」
高宮は少し嬉しそうに呟く。
仕事を続ける。
しかし数分後には、また窓を見る。
そしてまた数分後。
「……」
高宮は自分で気づいた。
「何やってんだ、俺」
仕事に戻る。
だが、しばらくするとまた見る。
---
昼休み。
高宮は外へ出た。
喫煙所へ向かう。
足元には、数センチの雪。
「おお……」
思わず声が出る。
朝とはまるで違う。
博物館の屋根も、
植え込みも、
ベンチも、
全部白くなっている。
高宮は煙草を取り出した。
火をつける。
一服。
白い息と煙が混ざる。
雪が静かに降っている。
「……いいな」
煙草をくわえたまま、
しばらく雪を眺める。
普段なら聞こえる車の音も少ない。
人の声もない。
雪が音を吸っているようだった。
高宮はもう一度煙草を吸う。
「寒いけど」
少し笑う。
「こういうのは好きだな」
---
ふと、足元を見る。
雪の上に自分の靴跡が残っている。
高宮は少し歩いてみる。
一歩。
また一歩。
誰もいない駐車場に、靴跡だけが伸びていく。
「……子供か、俺は」
自分で呆れる。
それでも少し楽しい。
煙草を吸い終える。
灰皿に押しつける。
館内へ戻る前に、
もう一度だけ空を見上げた。
---
午後。
雪はさらに強くなった。
高宮は窓の外を見る。
駐車場の車がほとんど雪に埋もれている。
「これは帰るの面倒だな……」
スマホで交通情報を見る。
大きな問題はまだなさそうだ。
ただ、夜まで降ればどうなるか分からない。
高宮は少し考える。
「早めに帰るか」
そう思ったものの、
結局いつも通り閉館まで仕事をした。
---
閉館。
外へ出る。
「……おお」
朝とは別の場所みたいだった。
一面の雪景色。
街灯の光が雪に反射している。
車も少ない。
人影もない。
高宮はしばらく立っていた。
そして、
また煙草を取り出す。
「今日、二本目か」
火をつける。
冷たい空気の中で煙を吐く。
煙が白く漂って、
雪の中に消えていく。
「雪の日に煙草って、なんか贅沢だな」
特に意味はない。
ただ、
いつもと違う景色の中で吸う煙草が妙にうまかった。
---
帰り道。
高宮はコンビニに寄った。
店内を歩きながら、
夕飯を考える。
「鍋だな」
肉。
白菜。
豆腐。
きのこ。
それから酒。
酒の棚の前で立ち止まる。
ビールに手を伸ばしかけて、
止める。
「……いや」
日本酒を見る。
「今日はこっちだな」
少しだけ良いものを選ぶ。
---
家に帰る。
暖房をつける。
雪で冷えた部屋が少しずつ暖まっていく。
高宮は鍋を作る。
具材を切る。
出汁を入れる。
火をつける。
その間も、
窓の外では雪が降り続いている。
鍋が煮える。
高宮は日本酒を取り出す。
「雪見酒か」
窓際に小さなテーブルを寄せる。
外は真っ白。
街灯に照らされた雪が静かに降っている。
徳利から酒を注ぐ。
一口。
「……うまい」
鍋を食べる。
酒を飲む。
また雪を見る。
「今日は当たりだな」
普段なら、
仕事から帰って酒を飲んで、
煙草を吸って、
適当に寝る。
それだけの夜。
でも今日は、
窓の外に雪があるだけで少し違った。
高宮は酒をもう一口飲む。
「……明日まで降ってくれればいいんだけどな」
明日の仕事のことを考えながらも、
しばらく雪を眺めていた。




