5.契約
上野御徒町のアメ横は戦後闇市が盛んだった地域で、その影響が色濃く残っている。そのためなのかどうかは知らないが、とにかく賑やかだ。マグロやらタコなんかの海鮮が売られているかと思えば、隣の店では古着を売っていたりする。昔ながらの居酒屋や台湾料理、ケバブ屋、バルまで多様な店が暖簾を並べている。外国からの観光客も一際多い。ふらりと足を踏み入れたなら、自分が異国の繁華街に迷い込んだのかと錯覚する。
アメ横の路地にあって、一際その胡散臭い空気を強調する飲み屋がある。どこで使われるのかまったく想像がつかない大きな仮面、延々と謎のガスを吐き出す加湿器に似た何か、禿頭の残りの髪を四方八方に捻った奇妙な出立の店主その人。ひどい内装だ。
店主が夜な夜な違法な商売に手を染めていて、その陰気な思考が店内の様子として顕現している、というわけではもちろんなくて、単に店主の趣味が悪いだけである。お陰でこんな好立地にもかかわらず店内には閑古鳥が鳴いていることも少なくない。
俺は店の隅に置かれたテレビを眺めながらビールをあおった。Tシャツ、パーカー、ジーンズの普段着は昼間の丸の内で着ていたジャケット姿よりもずっと気楽だ。
「それで、契約はとれたの?」
正面の席に座るマキタもビールをあおりながら言った。事務的に俺は答えた。
「さっきメールでD-genes社の役員の名前が入った契約書が送られてきた。今回俺が請け負うセキュリティホール対策の業務委託契約書だ」
NDA(秘密保持契約書)は依頼のヒアリングに必要であるため、事前に結んでいる。
「ともあれこれでようやく受注だ。わざわざ出向いた甲斐があったね」
「そりゃそうさ。普段リアルでわざわざ打ち合わせることなんてほとんどないんだ。仕事が取れないんじゃわざわざ慣れないジャケット姿でビル街に行ったのか分からないだろ」
俺はそう言ったが、本気ではなかった。いくら労力をかけても先方の都合で仕事が白紙になることなどいくらでもある。
「ハッキングなんて仕事にしていると、どうも胡散臭く思われがちだからね」
俺の考えを先読みしたかのようなマキタの言葉に肩をすくめる。
「まあ、営業活動で狙うインパクトと堅実性はトレードオフになっているんだろう。ハッキングというと印象には残るが、不安にも思われる。セキュリティ調査といえば堅いが、印象には残らない」
「それで、インパクトと堅実の二兎を追って、リモートでいくらでも仕事ができるエンジニアがわざわざ客先に出向くと」
マキタは再びからかい口調で言ったが、実際に現場に行った方が仕事しやすい場合もあるのだ。特に今回はそのケースに当てはまるだろう。俺はサーバールームに置いてきたUSBを思い出す。
「ま、受注してからが本当に忙しくなるんだけどね」
嫌なことを言いやがる。俺は彼の言葉を受け流して、怪しい内装に囲まれた古臭いテレビに目をやった。




