その一
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私は今までに、全く価値の無い下らない忠告に数多く接してきました。そして何ヵ月かぶっ続けに腹を立てていた時期もありました。しかし或る時突然思いました。
「御前は腹を立てているが、御前は別にそういう数多くの忠告に従った訳ではないのだろう? 下らないと思って、それをその場できっぱりと捨てたのだろう? 馬鹿馬鹿しいと思って即座に後足で砂をかけたのだろう? それだったら御前は何も悪くないじゃないか。だったら後悔する事は無い筈だ。下らない無価値の忠告にただ接しただけの御前が悪い訳ではない。御前が下らないと分かっていながら不本意にそれに従った時、初めて御前は自分を呪うべきではないか」
何故斯んな凄まじく冷静な反省が突如として私の中に浮かんで来るのでしょうか。私は守られているのだと思います。本当に、名状し難い何者かに。
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自分が心からそうだと思う事が幾つかあるとします。ところがその自分が心からそうだと思う幾つかの事というのは、それを他人に伝えるべき事、伝えても良いと思う事、そして決して伝えてはならないと感じる事に私の場合分かれます。ここが面白いところであると思います。私が面白いと思うのはそれが実に私らしいと感じるからです。
大切な事には、機会を見付けて他人に開陳すべきものとずっと自分一人の胸の裡にあたため続けなければならないものとがあります。あなたにもその区別が若しもあるなら、その差異が何故生まれてくるのかについて考えてみて下さい。そういう考察はとても面白い、そして有益な結論に達するものであると思いますから。
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自分が今立っているその場所、立場、状況に居ながら全く動き移動する事無くして、それでいてそれ以外の場所、立場、状況に自分が在る様子をまざまざと、ありありと、知る事が出来る様になって下さい。これは異能超能力というものではありません。人間らしく、深い想いをもって、一定の年齢まで生きた者であれば、具えるのが誰にでもそう難しいものではありません。私はそう思っています。誠実に生きるなら自分の大切なものを守る為、誰に言われずとも何度も何度もそれをするからです。現在とは異なる状況を想定し、その場合でもそれを守ろうとするからです。
誠実に思い悩む事が決して無駄には終わらないという事、その意味が分かるでしょう。誠実、心の底からの想いはそんな風に人に『能力』を具える事もちゃんとするのです。
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如何に鋭い言葉もその言葉を全く考えてみようと思わない者には無力でしょう。如何に正しい言葉も何が正しくて何が間違っているのかに全く興味の無い者には無価値でしょう。如何に深い真理を示した言葉でも抑々(そもそも)真理を求めても居らず必要としていない人間にとっては意味が無いでしょう。そんな風に立派な言葉であっても何の働きもしない時があります。しかしこれは言葉の『無力』でしょうか。そう見えますか。
私ならそうは思いません。思えません。寧ろ斯う思います。真実に価値のあるものはその力を及ぼす対象を選ぶのだと。誰にでもではなくそれを必要としている、それを受け取りたい、探しているのだという人間に対してだけ『働く』のだ、と。それでこそ本物ではありませんか。正にそうであるべきではないでしょうか。
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