第九話 燃える
数日間の入院を経て迎えた退院日。
「ひより、忘れ物はない?」
外で準備を進めていた母が、病室で最終チェックを行っていたひよりに声をかける。
「あ、うん……」
ひよりの視線が、病室のコンセントプラグを、天井を見る。
「……そう、じゃあ、準備が出来たら出てきなさいね」
「うん……」
そうっと、扉が閉じられて。それきり会話は途絶えた。
個室の中、たった1人になったひよりは、すっかり痕跡を失った部屋を見る。
「こんなに広かったっけ、この病室」
呟きが、落ちて、広がり、溶ける。
その様子を肌で感じ取ったひよりは、僅かに眉をひそめてトートバッグを持ち直した。入院に際して持ち込んだ私物の詰まったトートバッグだ。
そして、扉を開けて、閉じる。ひよりは、1度も振り返らなかった。
家に来客があったのは、退院してからすぐの事だった。
「や、ひより。調子はどうかな」
おねーちゃん、お客さんが来ているから通すよ。とだけ伝えられて、ベッドの上で出迎えることになってしまったその客人は、鳩羽色の頭をしていた。
「まことさん?!」
「ごめんね、退院したてなのに。ちょっと急ぎで話さなきゃいけない事があって」
ひよりが立ち上がろうとするのを制して、まことはベッド横にしゃがみこむ。
その表情は、固く、暗い。
「間違いなく病み上がりにするべき話じゃない。だけど、知らない状態で外に出れば、君が傷つくと思うから」
穏やかではない前置きに、ひよりの喉が上下する。
2、3度。迷うように息だけを吐きだして、まことはとうとう口を開いた。
「炎上している」
「えっ……」
「君が戦闘中に気絶で変身解除したという事実が、炎上しているんだ。ごめん、守り切れなくて」
「いえ、そんな」
反射的にそう答えたひよりの手は、震えていた。
「君の正体はなんとか誤魔化せた。制服を着ていなかったのが幸いしてね。だけど……」
「新しいレオが足を引っ張ったという事実は、どうにもならなかったんですね」
口にした事実はずしりと重く、その場の空気を押し潰していく。
「……本当に申し訳ない、僕の責任だ。君が追い詰められていた事をわかっていながら、勝手にもう大丈夫だと安心してしまった。まだ、大丈夫なんかじゃなかったのに……!」
まことの膝の上で握り締められた拳がぶるぶると震えているのが見える。
全身の血液が逆流しているような心地で、ひよりは必死に口を動かした。
「いいえ。これはわたしの責任です」
「いいや、僕の責任だ。君は僕のチームのメンバーなんだから。メンバーの身に起こったことの責任は僕にある」
「いいえ、私のせいなんです! こんな事になってしまったのは……!」
言葉が、途切れる。
ひよりの視線が、何かを探すように揺れ動く。
沈黙の帳が、下りた。
「……僕に黙って、訓練していたんだろう」
それをそっと破ったのは、まことだった。
「……!」
揺れ動いていた視線が、うつむいたままのパープルシルバーの頭に釘付けられる。
「いつ、から」
「君に訓練をつけるようになって、すぐの頃かな。忘れ物をした時、訓練室に戻っていく君を見掛けたんだ」
ひよりの目が、大きく見開かれる。
「ご、ごめ……」
「気付いていて、止めなかった。今の君にはそれが必要だと判断したからだ。その判断が、結果としてこの事態を招いた。心から申し訳ないと思う。……だけど、ほとぼりが冷めるまで待つ余裕は無い。だから、君にお願いがあるんだ」
ワインレッドの瞳が、ウイスキー色の瞳をまっすぐに見つめる。
「君に向けられるあらゆる感情に耐えて、魔法少女として戦ってくれ」
ずくん、と胸が痛む。ささくれを剥いたら予想外に深くまで剥けてしまった時のように、熱をもって。
ひより自身、魔法少女の炎上は何度も見かけた事があった。意見の範囲のものから、罵詈雑言、誹謗中傷に至るまでが混然一体となってネットの海から魔法少女に襲い掛かるのを。その度に、魔法少女に襲い掛かる悪意のうねりに恐怖した。
それがいよいよ自分の身に降りかかろうとしている。その事実に、ひよりの指先が冷えていく。
けれど。
「分かり、ました」
「……ひより」
「まことさん、庇ってくれてありがとうございます。でも、わたしはやっぱり、わたしのせいだと思うので。自分で責任を取ります。守ってくれて、ありがとうございました」
今度はひよりが見つめ返す番だった。
まことはその目の強い光を認めると、ひとつ頷くだけにとどめて、帰路についた。
とはいえ、次の出動の際に浴びせられる視線は、ひよりの覚悟を上回るものだった。
「皆さん、ここは危険です! すぐに避難してください!」
誰よりも早く現着したひよりが、弓に矢をつがえながら叫ぶ。
「よりによってレオかよ……!」
「早く逃げよう、あいつじゃアテになんねぇ!」
「前のレオだったらよかったのに……」
「早くやめてほしい……」
返って来たのは、とげのある言葉と視線ばかり。
いや、これはかなりマシな方だ。ひより自身にとっても、覚悟の範囲内だったのだから。
本当に酷かったのは、SNS上におけるレオに対する意見だった。
「魔法少女レオ、帰還しました」
無事にオドロを片付けたひよりは、報告をするために、MagiA本部の中にある総合作戦室を訪れていた。この総合作戦室は廊下の他に、4つの部屋と繋がっている。それぞれがブレイズ、ペトラ、ティアーズ、ゲイル、各部隊の作戦室となっている。報告書を作るためのパソコンは、その各部隊の作戦室に置かれていた。
総合作戦室には、4人の少女がいた。他の部隊の魔法少女が3人、と。
今は凍てついた、歓談の余韻が残る中を、ひよりは平気な顔で進んでいく。
その様子を、最後の1人――金森もここは、鋭い視線で見つめていた。
「レオです、入ります」
ブレイズの作戦室の中では、まことがキーボードを叩いていた。
「おかえり、ひより。大丈夫だったかい」
「はい、おかげさまで問題なく」
「それもそうだけど。……そうじゃなくて。その、精神面と言うか」
もごもごと言うまことに、ひよりはあっけらかんと笑って見せた。
「覚悟していた事ですから、全然平気です! 報告書、作っちゃいますね!」
「……そう、そっか。うん。頑張ってね」
心配そうな視線を受けながら、ひよりはパソコンを操作していく。
当然ながら、全然平気、であるわけがなかった。
死ね、消えろ、前のレオと交代しろ、魔法少女の面汚し。ここまでは、ひよりも予想していた。
だが、ブス、メイク下手くそ、性格悪そう。などの、この件とは関係のない人格攻撃までは、ひよりは予想できていなかった。
「……はぁ」
報告書を作り終えた後、ひよりは、休憩所でスマートフォンに視線を落としてはため息をついていた。
「どうしたの」
「ひゃっ……!」
ゆらり、人影が角からひよりを見る。
どこまでも呑み込んでしまいそうな、深い深い深海のような瞳が。
「っいちちゃん!」
「落ち込んでるの? 今度は、何があったの?」
「あ……その、えっと……」
「話してみて。わたし、ひよりの力になりたいから」
真っ暗な目が、三日月を描く。
底冷えするような、抗いがたいものを感じて。ひよりは、気が付けば炎上の事も、家族の事も全て話してしまっていた。
「そっか。ひよりは、傷付いているんだね」
「う……まぁ、自分のせい、なんだけど」
「確かに、きっかけを作ったのはひよりかも。だけど、全部正面から受け止めようとしなくていいんじゃないかな」
「……え?」
ひよりのオレンジ色の目が、またたいた。
「全部受け止めてたら、ひよりが倒れちゃうから」
「でも、わたしのせいだし……」
「じゃあ、ひよりは、自分が攻撃を避けたら他の誰かが傷付いちゃうとき、絶対に自分が怪我をする道を選ぶ?」
「選ぶ、と、思う、けど……」
質問の意図を汲めずに首を傾げるひよりに、いちは夜闇のように黒い髪を左右に揺らした。
「攻撃を誰もいないところに逸らしたりして、自分も傷付かない道を探さない?」
「……それは、する、かも……」
「責任の負い方はひとつじゃないんだよ。って、おねえちゃんが言ってた」
「お姉さん……スコルピオが?」
「そう、受け売り」
正直、ひよりには例え話が100%ピンとは来ていなかった。だけど。
「いちちゃん」
「うん?」
「ありがとう、励ましてくれて」
いちの顔が、きょとん、とする。
それから。
「どういたしまして」
ぱぁ、と笑顔が花開いたから、それでもう、どうでもよくなってしまった。
同時刻、総司令室で、魔法少女スコルピオである毒嶌あまねが、ある話を聞かされて絶望の涙を流している事も知らずに。




