Fastest Communicator ν 挿絵付
目の前にあるのはただただ真っ白いだけの空間。縦×横×高さがそれぞれ50m程度の立方体。
床と壁、壁と天井の境界すらボヤケて見えてしまうほどに無垢な白色。
これでもかと言う程にシミ1つない清廉潔白な白。
そこに「カラフルなペンキでもぶちまけたら気分爽快になるかしら?」などと下らない事を考えている少女が1人。
少女は自分の視界の端に映る「蠢く影」の数を頭を動かさずに眼だけで静かに追い掛け数えていた。
「影は全部で5つ。これならラクショーねッ!」
「さてと、どうやって処理しようかしら?」
少女の左手のデバイスには汎用魔術刃が既に展開してある。右手には愛銃であるSMGのウージーの手に馴染んだグリップの感触がある。
ウージーのマガジン内には9mmフルメタルジャケット弾が既に装填してある。
少女は身体を中腰にし踵は軽く浮かせ両の手は脱力しているかの様に下げたままで構えていた。
更に自分の前方・左方・右方で素早く蠢く影を眼だけで追い掛けながら「どうやって効率よく狩るか?」の戦術を頭の中で組み立てていく。
幾つもの戦術を頭の中に描き、それらを頭の中にある幾つもの思考回路で並列処理しながら的確な戦略を導き、最善且つ効率よく敵を狩っていくスタイル。
少女にハンターとしての「いろは」を教えてくれた師匠が行っていた事を自分なりにアレンジして生まれたスタイルだ。
特に複数の対象がいる場合は効率良く狩れば実弾の節約にもなるし、武器・防具の劣化も防げるから結果的に最適解としてこのスタイルになっていた。
少女の纏う空気が変わり脱力していた腕の筋肉に電気信号が流れていく。
少女はウージーを持つ右手を素早く肩の高さまで上げると、右方で蠢く影を一瞥した。そして何も言の葉を紡ぐ事なく愛銃の引き金を弾く。
タラララララララッ
銃口から紡がれた連続した軽い破裂音と共に弾丸が影に向かって空気を引き裂き疾走り抜けていく。しかし少女は着弾を見届ける事なく正面に向かって駆け出し速攻を仕掛けていった。
「だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
「ちっ」
正面の影に向かって脱力状態で下がったままの左手の汎用魔術刃で下からの切り上げをしていく。
風切り音すらさせずに汎用魔術刃は垂直方向に疾走りその切っ先を天井に向けていたがそこに手応えは無かった。
「そこッ!!」
「動かないッ!!」
タラララララララッ
「デバイスオープン、9mm弾リロードッ!」
速攻に手応えを感じなかった少女は、身体を右回りに半回転させ自分の後ろに銃口を向けるとウージーを斉射していく。
ウージーのマガジン内の残弾で残りの影に対して牽制の為の弾幕を張る。弾切れになった所でデバイスに命令を飛ばし、デバイスはマガジン内の弾薬を満たしていく。
こうして少女のハツラツとした声が白い空間内に響いていった。
少女の最初の斉射と2回目の斉射の先にいた影は音も残さずに霧散していた。牽制射撃で成果が出た事に多少驚いたが逆風斬りで倒すハズだった事も鑑みれば倒せた数に計算違いは無かった。
ただ違うのは敵との距離だけだ。
「残り3つねッ!」
たったた
「次はどうしようかな?」
少女は次の戦術の為に後ろ向きに飛ぶと影から一度距離を取る。ウージーには既に新たな弾薬がリロード済み。
だが今度は先に少女に対して先制する1つの影が動いていた。
動いた影は一目散に少女へと向かっていく。その手には斧の様な得物が握りしめられていた。
グガガガっ
ぎぃんっ
パラララッ
しゅたっ
「着地成功!」
「残念でしたッ。えへ」
先制した影は手に持っている斧を少女に対して振り下した。だが斧が振り下ろされた場所にいた少女の姿は既に失くなっていた。
敵の速攻を察知した少女はその場で飛び上がる事で速攻からの回避行動を取っていたからだ。
更に伸身宙返りの様に宙を舞っていく少女は、影の直上から影に向かって軽い破裂音を掻き鳴らしていた。
そして、床へと向けて数発の9mm弾が降り注ぎ、影は霧散していった。
「残りは2つね?」
「さて、お次はどう料理しようかな?」
「でも位置的にウージーでのハントは難しいわよね」
影は少女の正面に1つ。少女の左方に1つずつありそれぞれがうごうごと蠢いている。
右手にウージーを持っている少女は正面は狙えても左方の敵は狙い難い。正面にも意識を向けている以上、動きが効率化出来ないからだ。
しかし影達は時間をくれなかった。
拠って少女が考えている傍から2つとも同時に動いていった。
ググッグガガっ
ががぎぃぃん
ほぼ同時に少女に向かって正面と左方から2本の斧が振り下ろされていく。だが当然の事ながらそれらの斧は少女に当たる事無く然も当然の様に鈍い音を立て地面に突き刺さった。
斧は重量級の武器になる為に筋力値が高くなければ重力に従い、振り下ろす動作一択になる。
拠って二振りの斧が地面に突き刺さったのは至極当然と言える。
何よりも影の武器が斧である事に設定ミスがあるとも言えるがそれは余談だ。
しゅたッ
「再び着地大成功!」
「で、惜しかったわね」
しゅぱんッ
少女は先程同様に斧が振り下ろされ始めた直後に宙を舞って2つの影の背後へと降り立っていた。しかし今回はウージーの銃口からではなく少女の口から言の葉が紡がれていく。
少女は影に対して一切の感情を込めず一言だけ呟いていた。
張りのある小さな愛らしい唇から出た少女の小さな呟きは、瞬く間に虚空へと消えていく。
少女は影が振り返り体制を整える前に汎用魔術刃を横薙ぎに一閃した。
その一閃に拠って2つの影は余韻も残さずに霧散して消えていった。
「さっすが!!あの程度なら秒殺だなんて星持ちはやっぱり違うねぇ!!」
「リップサービスなんて、アタシはいらないわよ?どうせそんなコト思ってないのは分かってるんだからッ」
「あははのは。バレてるし」
白い立方体の中に不釣り合いな感じの声が不自然に響き渡っていく。
少女はその声の主の姿形は知っているが少女の今いる場所からだとその者の姿を視認する事は出来ない。
一方で全ての影が霧散したコトで白い壁に囲まれた空間はブラックアウトしていく。そして再び明かりが灯ると先程までの立方体状の空間の様相は見る影も無い程に様変わりしていた。
床には白いタイルが敷き詰められており天井までの高さは4mくらいある。背が比較的小さい少女からすれば4m上の天井は手が届く気配がしない。
するワケもない。えぇモチロン届くワケもない。
「でも本気を出せば届くかもしれないと言い切る自身はある」と強がった事がいつの日かあった気がしなくもない。
それくらい背が低い事はコンプレックスになってると言えるし揶揄われればその事でケンカをする自負もある。
人の尊厳を侮辱するなら、血を見る覚悟があってこそと思っているフシすらあるからだ。
先程まで50mはあった部屋の奥行きは今では10mくらいになっている。更に横幅はその半分程度の直方体で、何も置かれていない殺伐とした部屋だ。
強いて言えば高さだけがあるコンテナボックスか小会議室と言えなくはない。
然しながら床にも周囲の壁にも何も無いが、正面の壁の上方にだけはスピーカが1つだけ申し訳無さ気な様子でこじんまりとくっ付いている。
その点はコンテナボックスや小会議室とは違うかもしれない。
兎にも角にも先程の音声はそこから響いていた。拠って先程まではスピーカは部屋にはなかったので変な感じに声が響いていたが不釣り合いな感じの声はその限りではない。
「ウィル、さっき秒殺って言ってたけど何秒掛かってたの?」
「えっとねぇ、じゃらららららん、だらんッ!」
「いいから早く答えてもらえる?」
「はい、42秒でした」
「そっか、ちょっと遊び過ぎたかしらね」
部屋の中で少女はスピーカに向かって言の葉を紡いでいく。少女の声は高く透き通っていてとても耳触りがいい響きを持つ声だ。
だが当然の事ながらスピーカは音を拾わない。
然しながら少女が発した問いに対してスピーカからウィルの声が聞こえてきたので、部屋のどこかにマイクがあるのかもしれない。だが少女はそんな事を気にはしていない。
だから声の聞こえた方に言の葉を紡いでいく。
「あぁ、そう言えばさっき、マムが呼んでたよ」
少女はB2Fにあるトレーニングルームを後にしてエレベータに乗り込むと最上階へと向かっていく。その足取りは多少重たくてその表情には「?」が浮かび上がっていた。
少女がマムから直で呼び出されるような心当たりは無いと思い(否「思いたい」)ながらも部屋の前に辿り着くまで色々と考えを巡らせていた。
少女はアレコレと考えを色々と巡らせながらも部屋の前に着くとそれまでの思考を一度リセットし軽くドアを2回ノックした。「こんこんッ」と軽快な音が廊下に響いていく。
恐らく部屋の中にも当然のように響いている事だろう。
これが少女のいつものお決まりの行動パターンなのだ。
「入っておいで」
少女がドアを軽く叩いた事を起因として声高なしゃがれ声が中から返って来ていた。
その声に誘われるように少女は部屋に入っていく。
ドアを開けると少女の視界に正面の椅子の上にいる存在感のある女性の姿が飛び込んで来る。後ろには大きな窓ガラス。
その向こうには高い建造物等は無く青く雲1つない空が広がっていた。
窓の向こうは晴れている様子だが太陽は高い位置にあるらしく見る事は叶わない。
ここが権力者の部屋なら大きな窓ガラスは本来ならばダメかもしれないが、窓の向こう側に同等の高さの建造物が無い事から狙撃の危険性は考えていないのかもしれない。
座っている女性は「マム」と呼ばれている。この国の公安のトップでありこの国の最高権力者でもある。
本名は誰も知らないとされており、皆が呼ぶ時は必ず通称(愛称?)の「マム」だ。
最高権力者でありながら敬称をつけさせない事をモットーにしていると、過去に誰からか聞いたことがあるような気がするがよく思い出せない。
更には肩書きで呼ぶ事も認められていないから「マム」の事を呼ぶ時は「マム」としか言いようがない。
まぁどっちみち初対面の時から「マム」と呼ばされているので、今となっても相変わらず「マム」と呼ぶようにしている。
拠って「マム」と言う名前だと思えば抵抗などあるハズもない。
「アタシのコトを呼んでたって聞いたけど?」
「何か厄介な依頼でも舞い込んで来たのかしら?」
少女は呼び出しの影響から表情こそ緊張していたが、それを悟られまいと親しみのある声で気さくに言の葉を紡いでいく。
だがやっぱり内心はドギマギしているのは言うまでもない。
しかし、先に何かを指摘されるよりは自分から話題を振って話しが逸れれば儲けモンなので適当な話題を振ってみた。
一方でマムはその声に反応する様に顔をゆっくりと上げていくだけだった。
「ああ、アンタかい。早かったね。公安にいるのが分かってたから、この依頼をアンタに任せたかったのさ。今そっちに投げるから確認してくれるかい?」
「えっ?ナニコレ?ケンカの仲裁?それをアタシに任せたかったの?他に依頼を受けられる人はいないの?」
「この国ってそんなに人手不足だったかしら?新人とかいたと思ったけど?」
「まぁまぁ、そう言いなさんな。あたしゃ別に特段、アンタでなくても構わないが、アンタの方が適任って事さね。詳細の下の方をよく読んでみな」
「下?うーんと、下の方、下の方っと…。あぁ、なるほどね」
「この内容じゃ、新人には難しいかもね」
少女はマムからデバイスを通して渡された依頼に対してご立腹気味だった。
こんな内容は、誰でもこなせるような内容だったからだ。
だが少女はマムに言われた通り視線をずらしていった。するとすぐに納得した様子になった。
下の注意書きに目が止まったからだった。
「注︰対象は独特の言語を有する獣人種が絡んでいる恐れアリ。拠って不測の事態に対応出来る者を求ム」
「そしたら、他に依頼は無いの?あればそれも併せて受けるけど?」
「そうだねぇ。アンタ向きの依頼となると、こんな感じかねぇ?」
「えっとどれどれ?うんうん。りょーかい」
「おっけぇ!じゃあ、これもアタシがついでに受けるわねッ!」
「じゃ、行ってくるねぇ」
少女が言の葉を紡ぐとマムから依頼がもう1つ投げ返って来た。もう1つの依頼もその詳細に一通り目を通すと少女は2つ返事で快諾した。
こうして目的を終えた少女は最上階の部屋を後にしていった。
「爺、クエストを受けたから適当に銃火器をセブンティーンに積んで送ってもらえるかしら?」
「えっ?うん、そうそう。クエストの内容はそっちに送信したから他に役立ちそうなのもあったらお願いねッ」
「それじゃ、宜しくッ」
少女はデバイスを通信モードにすると屋敷にいる爺に向かって話していた。話している声はいつもよりワントーン高く朗らかにハキハキとしていたと言える。
先程までの緊張していた表情とは打って変わって落ち着いた様子だった。
少女は爺と話しながら公安の1Fまで向かって降りていく。落ち着いているからこそ、その足取りはとても軽やかだ。
「爺」は少女の亡き両親に代わり少女の住む屋敷の家事全般・武防具・その他資材類の管理を1人で全て行っている非常に優秀な執事だ。
ちなみに「爺」は当然の事ながらそんな名前ではない。少女は過去に本名を聞いた事がある気がするがよく覚えていない。
要するに「マム」同様に「爺」もまた「爺」なのだ。
更に付け加えると「セブンティーン」は少女の愛車の事を指している。少女が17歳の誕生日に買った為にその愛称が付けられた。
従ってその愛称に特に意味は無い。
だが車としての性能は非常に優秀である。高度な自立型人工知能を搭載しており、相互通行型の意思疎通が出来る上に無人で自動走行が可能なのだ。
またトランク部分には虚理で編んだ空間を備えており、ほぼ無制限に銃火器類などを積む事が可能となっている。
尚、トランク内の管理は人工精霊が行っている。
ただし欠点として挙げるとすれば乗車定員は3人なので、モノは積めても人を積むのは苦手といった所であろう。
少女は車の運転を苦にしない。むしろそれは好きな部類であると言えるから、基本的には自分で運転している。
オンロードの状態を機敏に察知するステアリングの感覚をその手に受け取り、エンジンの奏でるビートとアクセルを踏み込む事で盛大に放たれる、エグゾーストノートで刻まれるリズムを楽しみながら運転している。
逆にセブンティーンに自動走行をさせる時は、少女が疲れていたり眠かったり考え事をしている時であったりと、運転に差し支える時だけにしていた。
それともう1つ、少女を迎えに来る時は当然の事ながら自動走行である。
少女が公安の中で他にも諸用を済ませてから外に出たのとほぼ同時刻に、セブンティーンが見計らったかのようなタイミングで公安のゲートから入場し、少女の前に停車していった。
少女は積載済みの銃火器リストをセブンティーンから受け取り軽く目を通すと依頼の内容をセブンティーンに投げていく。
然しながら少女はセブンティーンに乗り込もうとした直後に何か忘れていた事を思い出し、公安の中に駆け足で戻っていくのだった。
「ミトラ、イグスタ市の保護施設に連絡して、1部屋開けておいてもらえるように伝えてくれる?」
「じゃ、宜しくッ!」
たったっ
「分かったにゃって、あれれ?」
少女は公安の2Fまで階段を一段飛ばしで一気に駆け上がっていく。そして受付にいるミトラに対して、捲し立てる様な早口で言いたい事だけ伝えた。
言い終わると返答も聞かずに踵を返し、駆け足で階段を降りセブンティーンに戻っていく。
捲し立てられたミトラからの返答は、その時には既にエントランスにいた少女の背中が、微かに聞いていたハズである。
「オ帰リナサイマセ。イグスタ市ノ目的地マデ最短ルートデ約20分デス。運転モードニ切リ替エマスノデ運転中ニ何カ必要ナ場合ハ仰ッテ下サイ、マスター」
「うん、ありがとう。セブンティーン」
少女は愛車に返答するとそのままアクセルをふかし、重低音のエグゾーストノートを響かせ公安の敷地を後にしていくのだった。
「貴女が通報者の方かしら?」
「ひゃッ。は……いッ。そう……です」
「驚かせてごめんなさいね。公安から来たハンターだけど、通報者の方で間違いないわよね?えっと、エノモト・リカさん?」
突如として声を掛けられた通報者は身体を一瞬だけビクっとさせていた。そんな彼女に対して少女は言の葉を優しく紡ぎながらハンターライセンスを見せていく。
少女から紡がれた内容と少女が手に持つハンターライセンスに対して、多少混乱している様子でエノモトは目を白黒とさせていた。
「えっ?貴女が公安の?あ、はい、そうです。私がエノモトです。あのお店で口論があって、それで通報しました。店主が刃物を持ち出して女性のお客さんに今にも襲い掛かりそうでしたので」
「うんうん、じゃあ、現場はあそこでいいのよね?」
「はい、あのお店です」
通報者のエノモトは早口で捲し立てるように少女に伝え終えると、何やら戸惑った様子でオドオドとしていた。
何故にエノモトがオドオドとしているかは、少女には皆目見当もつかなかった。しかしそれはそれと今回の依頼には関係無い事だと割り切って、エノモトに対して言の葉を紡いでいった。
「分かったわ、ありがとう!エノモトさん、貴女はもう帰っていいわよ。後はアタシが解決するから……」
「あぁ、そうだった、そうだった。忘れる所だったわ」
「通報のご協力感謝します!えへへ」
「まったく何度言えば分るんだ!!カネだよカネ、マネーだ、ゴールドだ、ゼン(統合通貨)だ!!こんな変な石じゃなく自分で食った分のカネを払えって言ってるんだッ!!」
聞こえてきているのは店主と思わしき人の怒号だ。
少女はエノモトの元を離れ店の方に少し近寄ると、店の前で2人が言い争い、(と言いながら一方的に店主が怒鳴っている感が強い感じの言い争い)をしているのを陰ながら見ていた。
既に通報から30分以上経っている。更に店の前で店主が大声で怒鳴っている事から少ないが、野次馬も集まっている様子だった。
拠って少女は今のこの現状の把握をする為に、様子を窺ってみる事にした。
怒鳴っているのは店主だと思われる。身長は180cmくらいだろうか?大柄な男で横幅も広い。
余り若くは見えないが、そこまで老けているようにも見えない。
だから見た目だけで判断して壮年(40歳前後)あたりの世代だろうと解釈した。
右手には包丁を持っているが振り回す気配は今のところ無いように思える。
手に持っている包丁は脅しのつもりだろうか?あの体格であの剣幕なら、並の人間ならば肝を冷やす事だろう。
左手には何か小石のような物を持っているが、距離が離れている事から肉眼では確認し辛い。
「デバイスオン、スコープモード」
「さてさて、左手の持ち物は何かしら?」
「へぇ、そういう事かぁ……。じゃあ、デバイスはオンのままの方がいいわね」
少女は声を張り上げず小さめの声量で言の葉を紡いでいく。それでもデバイスはちゃんと認識してくれる。
「優秀!」と褒めてあげたいが、それは今は非常に余談過ぎると言える。
少女から投げられた命令に拠ってバイザーはスコープモードとなり、少女はズームをかけた事で店主が左手に持つ小石を確認する事が出来ていた。
少女は自分が見た小石から、店主の前にいる女性の種族を判断しデバイスは必須と判断したのだった。
店主が放つ怒号は声が張られており、少女がいる場所までちゃんと耳に届いて来ている。だが一方で正面に立っている女性の声は、当然のように聞こえては来ない。
先程まで少女がいた場所から遠目に見ている限りに於いて、店主の前にいる女性は身振り手振りで何かを伝えようとしている事だけは分かっていた。
そしてズームで見た時の女性の表情は困惑している様子が見えた。だが覗えた表情の中に包丁を持った巨漢の男性に、怯えているような様子は見えなかった。
その為にもう少し情報を得ようと考えた少女は、更に近寄ってみる事にしたのだった。
近寄っていくと怒鳴り声は相変わらず聞こえている。しかしその他に聞き慣れない言語が耳に入って来ていた。
要するに言葉の壁が今回の騒動の発端であると言えるだろう。依頼書にもあったが店主と口論になっている女性は、見た目からしてヒト種ではない様子だ。
身長は対峙している店主と比べても遜色ない程に低くない。髪は肩甲骨にかかるくらいに長く、明るめで艶がある翠色をしているが束ねられてはいなかった。
肌の色は健康的に日焼けしたくらいに黒く、露出が多めの装備から覗いている豊満な胸元は少女にイラだちを持たせた程だ。
なのでパッと見すると亜人種のダークエルフ族に見えなくもない。
然しながらダークエルフ族と、似ても似つかない特徴が他にあった。
それが頭と背中に……である。
頭には魔族の特徴にも似ている角が2本生えている。さらに背中には龍種の特徴にも似ている翼が生えていた。
そして種族としての特徴ではないだろうが、端正な顔立ちが勿体無いとも言える程の傷痕が左頬に4本奔っている。
それは何かの魔獣に引っかかれた引っかき傷にも見えた。
ダークエルフ族やエルフ族といった種族の「耳が長い」といった種族固有の特徴はないので、確実にそれらの種族ではないだろう。
しかし「ハーフ」であればそれらの特徴は出ない事も多いから、100%違うとは言えないかもしれない。
まぁでもそれは、子供が作れれば…の話になる為に余談である。
話しは戻るが店主の前にいる女性の見た目以外の詳細は、言わずもがな……だ。
その為に仲裁役として依頼を受けた以上、少しでも情報が欲しいのは事実だ。だが様子を窺っていた少女が、飛び出さざるを得ない状況は直ぐにやって来てしまったのだった。
それは意思疎通が出来ず業を煮やした店主の怒声が一気に張り上がり、包丁を持った右手が振り上がったからである。
店主が包丁を振り上げた瞬間、その場に少なからずいた野次馬からは「ひッ」と悲鳴の前段とも言える音声が口から漏れていた。
少なくとも流血沙汰になれば、それから続く音声は「キャー」とか「ギャー」とかだった事だろう。
だがそうはならず振り下ろされた右手からは、「パシッ」と乾いた音だけがしていた。
何故ならば少女は様子を窺っていた場所から飛び出し、振り上げた店主の右手首を店主が振り下ろしきる前に掴んだからだ。
「なんだぁ?テメェはぁ?」
ぶぉん
パシっ
「へぇ、なかなかいいパンチじゃない!」
店主は鬼種のような形相で、掴まれた自分の右手を見たその後で掴んでいる少女の方をゆっくりと振り返っていく。
それと同時に店主は身体を捻らせ、小石を握っている左の拳を、右手を掴んでいる少女の顔面目掛けて浴びせたのであった。
店主が少女に拳を見舞った瞬間に、周囲の野次馬から「ひッ」と再び声が漏れていた。
だが少女は自身の左手で店主から放たれた拳を掴んでいたのだった。
野次馬からすれば流血沙汰を抑えようと止めに入った、いたいけな少女が店主に因って殴られたと映った事だろう。
「それにしても、随分と短気な店主さんねぇ?アタシじゃなければ今のパンチはもらってたかもね?」
「あと、大きなお世話かもしれないけど、そんな短気を出してたらお店、続かないわよ?お客さん店で待ってない?大丈夫?」
「お、大きなお世話だ!!て、手を離せコノヤロウ!!」
「あっそう。アタシの忠告を大きなお世話って言うんなら、こっちも話しを聞いてあげる義理はないわよね?にひっ」
少女は顔面に飛んできた拳を掴んだまま、店主に向かって挑発気味に言の葉を投げていた。
そんな少女の口元は不敵にあくどく歪んでいた。
通称、悪っるい顔である。
少女の言の葉を受けた店主の顔はみるみる内に赤くなっていった。何故ならば少女は掴んだ店主の両腕を引っ張った上に、そのか細い脚からは予想だに出来ない程の脚力で店主の身体が回らないように固定していたのだから。
尚、少女と店主の身長差は20cm以上ある事を踏まえると……。
完全にキマっている事になる。要は首が締まっている状態……と言えるだろう。
「ギ、ギブ……」
「あら?もう降参?じゃ、仕方ないわね。はい」
どさっ
「げほっげほっげふぉっ」
「テ、テメェは一体……」
店主は苦しそうに顔を歪めながら噎せ返っていた。しかし突如として現れた自分よりも遥かに年下で、尚且つ背の小さい(色々な意味で)小柄な少女に対して、腕力では負けても虚勢だけは負けじと強がっていた。
「公安から来たハンターよ。はいっ、これがハンターライセンスね」
「近隣の善意の方から、「この店で口論が発生しており店主が包丁を持ち出した上で口論をしている」と通報があったの」
「だからアタシが来たんだけど、この状況はもう聴取しなくても平気そうね?」
少女はハンターライセンスをしれっと提示しながら言の葉を紡いでいた。
その表情はあくどい微笑みを湛えているが、当然の事ながら目は微笑ってなどいない。
「この状況で貴方だけが凶器を手にしている。これってもう、既に貴方は被害者じゃないわよ?」
「それに野次馬もいるし決して言い逃れは出来ない状況なんだけど、このまま恐喝及び殺人未遂の容疑で問答無用で逮捕されてみたいかしら?」
少女はさらっとハンターライセンスを仕舞うと、店主の手にある包丁を指差した上で口角の端を歪に少しだけ上げていく。
それはなんと言うか弱者を甚振るような、悪魔的な笑みだったと形容するのが適切かもしれない。
「それに付け加えるならば、先に手を出したのも貴方からだし、アタシも公安から依頼を受けてここに来ている以上、公務扱いになるの」
「だからそれの執行妨害で逮捕も可能なんだけど……。でもまぁ、礼状取るのも面倒いから、証拠は出揃ってるし、全部まとめて現行犯逮捕されてみるってのはどう?」
「ひ、ひぃぃぃ」
少女は悪魔的な笑みを崩さず、今度は意地悪そうにニヤニヤと更に甚振る様な笑みを浮かべている。
更には多少の嘘も交えて挑発気味に、店主に対して言の葉を投げていく。然しながら、目は微笑ってなどやっぱりない。
強いて言えば獲物を追い詰める肉食獣のようでもある。
さてその結果、先程まで赤かった店主の顔はみるみる内に青ざめていった。
「さてと、はいッ!手を出して?」
「ひ、ひぃッ」
からんっ
「包丁は凶器でもあるけど、この包丁は貴方の商売道具でしょう?それをそんな雑に扱ってはダメよ!」
すっ
「はい、どうぞ。これは返すわ。大事にしないと包丁が泣くわ」
「あっ」
「「手を出して」って言ったのは貴方の両手に手錠を掛けて拘束するって意味じゃないわ。貴方が左手に握っている、そこの女性から渡された石を見せてと言ったのよ」
「ほへっ?」
「もう1回言わないと分からないかしら?」
「ふへっ?は、はい。こちらです」
「よろしい。じゃあ、見せてね」
「へぇ、これはこれは。ふむふむ。やっぱり」
店主は拘束されると勘違いした結果、慌てて手に持っていた包丁を道端に投げ捨て、両手を少女から見えないように隠した。
まぁ、それはイヤらしい言い方をした少女に非があるだろうが、少女としてはワザとやっているのだからまぁ、タチが悪いとしか言えない。
あの話しの流れからすれば、誰だって勘違いするだろう。
だから言うなれば、「落として上げて、ムチとアメで1人吊り橋効果作戦」とでも言えるかもしれないが、そんな作戦名はただの蛇足だ。
散々落とされた挙句に拾い上げられた店主は抵抗する事も虚勢を張る事もやめて、安心した様子で少女に素直に従っていた。
だから、1度は投げ捨てた包丁すらも受け取っていた。
更には左手の小石を少女に渡す。
『この店主さんの言い分をアタシが解決してもいいかしら?』
『っ?!』
こくんっ
少女の口から女性に対して紡がれた言葉は、2人以外には誰も理解出来ない言語だった。
何故ならばヒト種ではないこの女性に向けた、彼女の故郷の言葉だったからである。その言語を以って少女は問い掛けた。
全てはバイザーの持つ翻訳機能の賜物と言えるだろう。
少女から郷里の言葉で話しかけられ女性は多少なりとも面食らっていたが、その提案に乗るしかないと瞬時に判断した様子で頭を1回だけ縦に振った。
「さて店主さん?1つ提案なのだけれど良いかしら?アタシが、この方の代金を立て替えて払います。だから、この石は持ち主に返してもいいかしら?」
「あ、あぁ、それならぜんぜん構わない。むしろ大歓迎だ。代金は統合通貨で1500ゼンだが、大丈夫か?」
「うっ、けっこう食べてたのね。普通の家庭の1ヶ月分以上の生活費で食事されて、お金がありませんじゃ、確かに激怒するのも分かるわ」
「だ、だろ?だからオラは悪くないだろ?なっ?なっ?」
「まぁ、仕方ない…って言うと思った?」
「ふぇッ?!」
「だからね、短気は損気って言うでしょ?こういったトラブルは大事になる前に早めに公安に連絡する事ッ!これからちゃんと出来るかしら?約束出来るなら今回は見逃してあげるッ」
ぶんぶんぶん
「約束する、約束する。短気は出さねぇ。これからはちゃんと公安に連絡する」
「よろしい。はい、じゃあこれ、代金ね」
ちゃりん
「ひい、ふう、みい…。確かに15枚。1500ゼンだ。毎度ありッ!」
「はぁ。流石に経費じゃ落ちないわよね?まぁ、いっか」
少女が出した提案は想定外だったらしく驚いた表情を取りながら、口をあんぐりとだらしなく開けていた。
逆にその金額を聞いた少女も口をあんぐりと開けるハメになった。
この時代、一般家庭に於ける1ヶ月あたりの平均収入は1000ゼンくらいなのでその金額の異常さが分かるだろう。さらにこの店主の店は高級小料理屋などではなく、ただの定食屋だ。
ただの定食屋でそんな金額を食べる方が、どうかしてるとしか言いようがない。
だがこの小石は、その金額よりも遥かに値が張るコトを少女は知っていた。
『はい!それじゃこの石は貴女に返すわね。この石はそんな、端金の対価にしていい程の価値では無いでしょう?大事にしていなきゃダメよ』
『貴殿はこの石がなんだか知っているのか?』
女性は石の事を知っていそうな口振りだった少女に対して問いを投げていた。初めて会話したその女性の声は、凛として響いていた。
音域は少女とは正反対で決して高いとは言えないが、しっかりと筋が通りハキハキとしている。いわゆるオトコマエな声と言えるかもしれない。
いや、女性だから決して褒め言葉にならないかもしれないが、それはご愛嬌だ。
『それはドラゴタイトの原石。別名・龍鱗石でしょう?龍種の体内で生成される、この世で最も貴重な輝石の1つよ。違ったかしら?』
『えっとところで、貴女は龍人族よね?えっとそうだ!名前を伺ってもいいかしら?』
『クリスだ』
『ただのクリスでいいのかしら?一応、後で書類として残すけど、その名前で問題ない?』
『あぁ、此の身はクリスで問題ない』
『分かったわ、ありがとう、クリスね。ところで、この石は龍麟石で間違いはなかったかしら?』
この2人の会話はキャッチボールのように、ハツラツと繰り広げられていった。然しながらその場に誰かがいて、2人の会話をもし聞いていたとしても何を言っているかは理解出来ない事だろう。
そういった言語に拠る会話だった。時に戦争すら巻き起こすのだから、偏に言葉の壁とは恐ろしいものと言えよう。
『さて、本題に入っていいかしら?今回は一応、公安のハンターとしてこの依頼を受けてるから書類を作って提出しないといけないの』
『だから応じられる範囲でいいから質問に応えてもらえるかしら?協力してくれるわよ…ね?』
『あぁ、出来る限りで良ければ協力しよう』
少女は有無を言わさずに「協力しろよ」と目で訴えていた。それをクリスが察知したのかは分からないが、協力を取り付けられたので話しは先に進むだろう。
拠って少女はクリスをセブンティーンの助手席に誘導して、乗車させ中で調書を書く事にした。しかし少女が運転席に乗り込むと、セブンティーン自体は低いエグゾーストノートを奏でながら自動走行で動き出していった。
『名前はクリスで良かったわよね。えっと、住所はどこ?』
少女は狭い車内で形式的な職務質問をしていく。
その結果、少女がクリスから得た話しを纏めていくと……。
・国外からの密入国であった事
・身分証明書の類の一切を持っていない事
上記2点を筆頭にその他諸々の事も判明していった。それが良い事か悪い事かは、まぁ想像に任せるしかないのだが……。
後者である事はどうにも否めないだろう。
公安にいる並のハンターであれば即逮捕して留置場に入れ、上からの判断を仰いでいた事だろう。それが新人なら尚更のコト、オドオドしながらテンプレ通りの行動しか出来なかっただろう。
それが本来の手続きであり、留置場に入れて取り調べを受けさせるのが本来の流れだ。
だが少女は敢えてそういった形式上の対応はしなかった。
それは偏にめんど……ではなく、少女の流儀に反するからだ。
根拠としては、少女が知る限り龍人族という種族が自分の故郷を離れ独断で動くといったことに奇妙な感覚を覚えたからというものだった。
そもそも龍人族は獣人種と呼ばれる生態系に入っている。多くの獣人種は現状に於いて、密猟の憂き目に遭っていた。
その「憂き目」を遠ざける為に、多くの獣人種は「人目につくような行動は避ける」という認識を少女は持っている。
だが目の前のクリスは違っていた。言葉が通じない国に単独でやって来て、そこで言葉の壁が原因でトラブルまで引き起こしている。
だから少女は当然の事のように腑に落ちなかった。
このままクリスを「保護」という名目で、その大義名分を以って公安に連れて行っても一向に構わない。だが、そうしたくない「何か」が少女の心の中で少女の心を掴んで離さなかった……。
まぁ一言で言ってしまえば、所謂「好奇心」と呼ばれるヤツだ。
『クリスは何をしにこの国に来たの?』
『人を探しに来た』
『人?』
『うむ。その人を村に連れて帰らなければ村が滅んでしまう。だから、此の身はここに来た』
好奇心から形式的な職質をやめ聞いてみたものの、ちょっとだけ後悔が生まれた瞬間だった。
内容が重過ぎると判断した結果だ。
クリスの顔付きは次第に険しくなり、その口から紡がれる言の葉が重くクリスにのし掛かっているのだと少女は感じた。
『この街にその人がいるの?』
『それは分からない』
『えっ?分からない……の?』
『そ、それじゃ、手掛かりとかその人の名前とかは分からない?よければ、その人探しをアタシが手伝うけど?』
少女は優しく言の葉を紡いでいく。だが一方で、そんな言の葉を紡ぎながらも「この件は時間が掛かりそうだ」とも感じていた。
然しながら「乗りかかった船だ」と考え直す事で、割り切る事にしたとも言い直せる。
『忝ない。だが…手掛かりは全く無い。名前も分からない。その昔、此の身の村を救ってもらった事がある。それだけが唯一の手がかりだ』
「はぁ、まぁ、仕方ないわね」
『ところで話しは変わるけど、今日はどこに泊まるのかしら?特にアテが無いなら一緒に来てもらえる?これからアテもなく人探ししても効率が悪いし、もうじき日も暮れてしまうわ』
『此の身は野宿を考えていたのだが……。その…金も持っていない…し……な。先程はどうしようもなかったのだ、村を出てから何も食べるコトが出来ず、良い匂いにつられてしまい、気付いたらもう……』
『その件はもう大丈夫よ。気にしない気にしない』
「ちょっと金額には驚かされたケド」
『ん?何か言われたか?』
少女はクリスと会話していく内に、ただならぬ気配をクリスの表情から感じ取っていた。
それと同時に本当に情報が無さ過ぎて、探し人は見付かる気がしない……と心の中で溜め息混じりに改めて思っていた。
よって、話しを逸らすことにした。重苦しい雰囲気はどうにも苦手だからだ。
だが、重苦しい雰囲気からは脱却出来なかった。ネガティヴ体質がクリスの本性なのかもしれない。
『これからクリスは直ぐにでも探したいって言うかもだけど、暗くなれば心配ごとが増えるから今日はもう人探しはやめてくれないかしら?』
『それにアタシはもう1件依頼があるから、今日は貴女の人探しを手伝えないのよ』
『此の身に心配事など何も無いのだが?』
『クリスになくたって、アタシにはあるのッ!』
「まったく、よくよく見たら、なんなのあのカッコ。アタシにケンカ売ってるとしか思えないじゃないッ!ふんす」
少なくとも少女の見立てではクリスの人探しは、「時間が掛かりそう」という結論に達していた。その為にこれから直ぐにと言われても無理な事は自明の理と言える。
だから、体良く今日のところは、人探しを諦めてもらおうという魂胆だ。
そして、更に付け加えるならば例え少女が依頼を受けていなくても、これから夜になる事を考えれば捜索は出来ないと言わざるを得なかった。
更に付け加えれば、クリスのカッコは豊満な身体を全面に押し出していると言うか、恥じらいがないと表現出来るカッコだ。
よってこのまま放置して別の被害が出る事を少女は懸念したのだった。
いや、当然のコトだが、この場合の被害者はクリスではない。
『明日なら依頼は受けていないから、まるっと1日、クリスに付き合える。だから、今日は旅の疲れもあるだろうし安心出来る場所で疲れを癒してもらって、人探しは明日からってコトにしてもらえないかしら?』
『う、うむ。善処しよう』
少女は多少なりとも恩着せがましい感じがする言葉選びだったが、飽くまでも正論を並べてクリスに対して言の葉を紡いでいった。
一方でクリスは正論に対して返す言葉を探せなかったコトから恭順するしか解答出来なかった。
『着いたわ。今日はここに泊まってもらえるかしら?部屋は1部屋空けて貰ってるし、食事もちゃんと出るわ。後、費用は一切掛からないから安心してッ!』
『そうなのか?それはありがたいが……』
『あッ!あと、言葉の壁は安心してね!この施設はデバイスを所有してるからちゃんと言葉も通じるハズよ!』
少女はクリスを心配させないように言葉を選んで紡いだ。
当のクリスはただ単純に初めて見るコンクリート製のビルに対してただただ驚いていた。
まぁ、驚きのあまりに何かに心配している風を装ってしまい、少女は懸念を取り払おうと頑張っていた。
少女は始めから保護施設に預ける事に決めていた。だから公安でミトラに頼んで、1部屋空けてもらうように依頼した。
よっぽどの事が無い限り公安で保護するような事は、しない腹積もりだったのだ。
それは獣人種関係の依頼にはセンシティブな問題があるからと言える。
なので、公安で保護すれば色々と厄介な事が起こりかねない。
お役所とは「そういうモノ」という認識を、少女は少なからず今までの経験から学習してきているからだ。
「こんにちわー。誰かー?いませんかー?」
「いらっしゃいま…せ?あら?貴女様はいつぞやの!」
ハンターとして仕事をしている以上、依頼内容に拠っては相手をするのは魔獣だけとはいえない。その相手が人になることも満更では無い。
ただしそれだけ多数の相手をすればする程に、相手の顔も名前も必然的に覚え切れなくなるものだ。
拠って、「いつぞやの」と言われたところで「誰?」と思いながらもそれを言えるワケもなく、ただただ話しを合わせて流していく。
取り留めの無い話しの後で「公安から連絡してもらって、1部屋頼んでると思うけど?」と、少女が要件を伝えると受付の女性は、「今日はどちら様がお泊りですか?」と返してきた。
少女は「こちらの女性よ」と言の葉を紡ぐとクリスを受付の女性の前に引き出したのだった。
「この人は獣人種だから、アタシ達の言葉は伝わらないわ。何かある場合は必ずデバイスを使ってね」
少女はとても大事な事をさらっと伝え、その言の葉を受けた受付の女性は「かしこまりました〜」と営業スマイルを作っていた。
施設を出る前に少女はクリスに対して自分の連絡先を書いた紙と、多少のお金を渡しておいた。
クリスは連絡先はともかく、お金の受け取りに関しては拒否していたが、『何かあった時にこのお金でアタシに連絡して』と少女に言われた為に渋々受け取る事にした。
施設側に対しては「明日の朝に迎えに来るから、それまでクリスを宜しくお願いします」と伝え、「何かあったらここへ」と自分の連絡先を渡しておいた。
少女は施設にクリスを引き渡すと急いでセブンティーンへと戻る。
クリスとのやり取りで意外と時間を喰ってしまっていたからだ。
次のクエストの詳細にあった時間までは、後1時間を切っていたから焦りがあったとも言える。
「今日のクリスの件の報告書、ちゃんと書いてる時間あるかなぁ?」
「はぁ、なんで報告書なんて書かないといけないんだろぅ?」
少女はセブンティーンに乗り込み心配そうな表情で呟くと、セブンティーンは低いエグゾーストノートを奏でながら再び動き出していった。
この国は「神奈川国」という1つの国である。惑星融合が起きた後の「日本」という国は、度重なる戦争や内紛等の諍いが元で法治国家として成立が難しくなっていった。
そして時代の変遷を経た結果、旧日本国の旧47都道府県は多少の領地の変動はあるものの、各々が1つ1つの「国家」として独立していった。
そしてそれと同様の事が旧地球上の世界各地で起きており、旧地球時代の国名=現在の国名を維持している国はごく少数の限られた国だけとなっているのも事実である。
一方でハンターが台頭するきっかけを生み出した「魔獣の襲来」に因って、人々の生活様式はそれまでと比べてだいぶ様変わりさせられた。
何故なら各国の政府は大部分の魔獣が活性化し始める時間=夕方になると、翌朝の日の出に因って魔獣達が鎮静化するまで、国内全ての建造物に魔術防御を施した結界で敷地内を覆う事を義務付けたからだ。
更に付け加えるならば、物理防御と言う名の鋼鉄製の壁を用いて敷地内を更に覆う事も追記し「努力義務」とした。鋼鉄製の壁は飽くまでも義務ではない。
それは費用も非常に高額になるからで、そこまで国は面倒見れなかった。
拠って鋼鉄製の壁を設けるかどうかは、その建物のオーナーの判断とされた。
それらの事から外出先等で帰りが夕方を過ぎると、問答無用で強制的に締め出されるという事案が多々発生したのだ。
拠って緊急避難場所と言う名の保護施設が随所に設けられていった。
少女はこの保護施設にクリスを泊めさせたのだ。
セブンティーンは先程までと変わらない、心臓に響くようなエグゾーストノートを奏でながら既に陽光のなくなった峠道を疾走っていた。
だがそんな重低音の爆音を奏でるセブンティーンの中で少女は仮眠していた。
よくもまぁそんな状況下で眠れるモノだと思われるかもしれないが、ハンターたる者いつ会敵するか分からない事から、休める内に休む事が出来なければ生命を失う事にもなり兼ねないのだ。拠って、少女に於いてもそれは例外ではなく、いかなる時でも寝れるように訓練してあった。
そんな事から次のクエストの場所に到着するまでの間、セブンティーンを自動走行に切り替え休息も踏まえて仮眠を取っていた。
それは先程まで店主を追い込んでいた悪魔的な笑みを微塵も感じさせない、天使の寝顔だった。
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時刻は17:00を過ぎた辺り。各建造物はもう既に人の出入りを嫌っている。
今はその昔から「逢魔が時」と呼ばれる時刻。
これを過ぎれば完全に日没になってしまう。
そしてそれは同時に、魔獣達が闊歩する時間帯になるという事を指し示している。
あと数分で橙色の太陽は完全に見えなくなるだろう。
空は紫色へと移り変わり、橙色の太陽とのコントラストは綺麗だが同時に儚くもあるそんなマジックアワー。
少女はちょっとだけセンチメンタルな考えを思い付き、そんな自分に対して「くすッ」と微笑うと微睡みの中へと堕ちていった。
セブンティーンはそんな少女の行動を意に介する事はしない。よって忖度もしない。
ただただ低いエグゾーストノートを刻んで、既に誰も居なくなった道路をひたすらに疾走り抜けていくだけだ。
今夜の狩場に向かって。