第49話 今日は静かな日になるはずだった
森の奥。
小さな巣穴の周囲で、ゴブリンたちが動いていた。
見張り。
採集。
簡単な武器の手入れ。
いつも通りの朝。
危険はある。
だが、それもいつもの範囲だ。
「……」
一体のゴブリンが顔を上げる。
何かを感じる。
音ではない。
匂いでもない。
“違和感”。
空気の密度が変わる。
温度が揃う。
風が止まる。
「……?」
周囲を見る。
仲間も同じように動きを止める。
何もいない。
だが。
“いる”。
次の瞬間。
理解が終わる前に、結論だけが落ちる。
――逃げろ。
本能が叫ぶ。
理由はない。
だが、絶対だ。
一斉に動く。
散開。
退避。
だが。
遅い。
すでに。
“終わっている”。
森の入口。
セリアが立っている。
「こちらでよろしいのかしら」
穏やかな声。
「……問題ない」
セレスが答える。
「対象群、前方に存在」
「まあ」
セリアが小さく頷く。
「では、参りましょう」
歩く。
普通に。
ただ、進むだけ。
その背後に。
エル・セラフィア。
アウレリオン。
セレス。
並ぶ。
静かに。
ゴブリンたちの視界に入る。
その瞬間。
完全に理解する。
――無理だ。
戦いではない。
捕食でもない。
災害でもない。
もっと根本的な何か。
存在してはいけないもの。
「……」
ゴブリンの一体が武器を落とす。
音がしない。
地面が揺れない。
すべてが静かすぎる。
「……あら」
セリアが少しだけ首を傾げる。
「逃げてしまいますのね」
事実確認。
感想ではない。
「……当然だ」
カイルが後ろで呟く。
「だが」
一拍。
「逃げられてない」
実際。
距離が変わらない。
走っているはずなのに。
位置が変わらない。
「……環境が固定されています」
ノエルが言う。
「出口が成立していません」
「……」
ゴブリンが振り返る。
セリアがいる。
変わらない距離で。
いつの間にか。
「……どういたしましょう」
セリアが言う。
「依頼は討伐ですけれど」
少し考える。
「前回のように、お話しできるかしら」
その言葉に。
ゴブリンたちの動きが止まる。
理解はできない。
だが。
“止まるしかない”。
「……」
一体が震えながら前に出る。
武器は持っていない。
敵意もない。
ただ。
選択肢がない。
「まあ」
セリアが微笑む。
「よろしければ、お話ししましょうか」
その瞬間。
空気が緩む。
圧が消える。
距離が戻る。
逃げ道が生まれる。
「……」
だが、誰も逃げない。
逃げる必要がなくなったからだ。
「……なあ」
カイルが小さく言う。
「何だ」
「討伐じゃなかったか」
「……ああ」
レオネルが頷く。
「そのはずだ」
「……」
セリアがゴブリンを見る。
穏やかに。
「危ないことはなさらないかしら」
静かな問い。
だが、絶対。
ゴブリンが首を振る。
必死に。
何度も。
「まあ」
セリアが頷く。
「でしたら、よろしいですわ」
一拍。
「依頼は完了ということで」
沈黙。
「……は?」
カイルが固まる。
「……いや待て」
「討伐は」
「必要ないですもの」
セリアが微笑む。
「もう危なくありませんわ」
それで終わる。
完全に。
「……」
ノエルが静かに言う。
「……成立しています」
「何がだ」
「依頼条件です」
一拍。
「脅威の排除」
「……」
カイルが天を仰ぐ。
「……そういう解釈か」
「はい」
「最適です」
セリアは振り返る。
「戻りましょうか」
何もなかったかのように。
「……なあ」
カイルが言う。
「何だ」
「ゴブリン、生きてるぞ」
「……ああ」
レオネルが頷く。
「だが」
一拍。
「もう襲わない」
それが確定している。
その場に残されたゴブリンたちは。
動かない。
理解している。
助かったのではない。
“許された”のだと。
「……」
誰も言葉を発しない。
ただ。
静かに見送る。
背中を。
絶対に逆らえない存在の。




