第2話 王都南門、少し振っただけですわ
王都アルヴェイン南門。
石造りの巨大な城壁と、二重の門扉を備えた要衝は、朝から慌ただしかった。
「次、身分証の提示を――」
門番の騎士が、言いかけて止まる。
視線の先。
白い外套を羽織った令嬢が、ゆっくりと歩いてきていた。
左右には従者が二人。
一人は柔らかな雰囲気の少女。もう一人は隙のない動きをするメイド。
そして何より。
令嬢の腰には、自然に一本の剣が下げられていた。
「……アストレア公爵家、セリア様」
騎士は即座に姿勢を正した。
「ごきげんよう」
セリアは微笑む。
「門の通行手続きは、こちらでよろしいのかしら?」
「は、はい。もちろんでございます」
形式上の確認はあった。
だが、それだけだ。
止める者はいない。
止められる者もいない。
書類に視線を落とした騎士の手が、ほんのわずかに震えている。
それを見て、リリィが小声で囁いた。
「やっぱり有名なんですね、セリア様」
「そうかしら?」
「はいっ。なんだか皆さん、ちょっと緊張してるみたいで」
「まあ」
セリアは首を傾げる。
「わたくし、何か失礼なことをしてしまいました?」
「いえいえいえいえ!」
騎士が勢いよく否定した。
「そのようなことは決して!」
「そう。でしたら安心ですわ」
にこり、と笑う。
それだけで、騎士の背筋がさらに伸びた。
何もしていない。
だが、何かが違う。
それが、この令嬢の持つ空気だった。
◇
「……あれが、“あの令嬢”か」
門の外、出立の準備をしていた冒険者の一団が、ひそひそと声を交わす。
「噂は聞いてたが……ただの貴族の嬢ちゃんじゃねえな」
「剣、見たか? 飾りじゃねえ」
「やめとけ。関わるなって話だろ」
「でもよ……あの細さで、何ができるって――」
そのときだった。
遠く、街道の先で、土煙が上がる。
地面が揺れ、鈍い衝撃音が連続して響いた。
「……おい」
「何だ、あれ……」
姿を現したのは、巨大な魔物だった。
四足。全長は馬車三台分。岩のような外皮に覆われた巨体が、地面を踏みしめるたびに振動が伝わってくる。
「ガルドロス……!?」
「嘘だろ、なんでこんな王都の近くに……!」
門番たちが慌てて配置につく。
「総員、戦闘準備! 市民を下がらせろ!」
「討伐隊の到着は!?」
「早くて三十分――」
三十分。
その間に、この魔物が門に到達すれば。
被害は確実に出る。
空気が一気に張り詰めた。
「セリア様、少し下がりましょう!」
リリィが慌てて声をかける。
「危険です!」
「そうね」
セリアは頷いた。
そして、一歩前に出る。
「……セリア様?」
「少しだけ」
静かに言う。
「振ってみますわ」
その言葉を、誰も理解できなかった。
何を振るのか。
なぜ今なのか。
考える間もなく。
セリアは、剣を抜いた。
音が消える。
風が止まる。
周囲のすべてが、ほんの一瞬だけ静止したように感じられた。
次の瞬間。
セリアの腕が、わずかに動く。
ただ、それだけだった。
振った、とすら言えない。
ほんの少し、剣が前に出ただけ。
――それだけで。
遠くにいたはずの巨大な魔物が。
まるで最初からそこに存在していなかったかのように。
音もなく、崩れ落ちた。
「……は?」
誰かが間の抜けた声を出す。
地面に残ったのは、滑らかに断ち切られた外皮と、遅れてずり落ちる巨体。
あまりにも綺麗すぎて、現実感がない。
何が起きたのか。
誰も理解できない。
「……今の、見えたか?」
「いや……」
「何をした……?」
騎士も、冒険者も、誰もが動けない。
ただ一人。
セリアだけが、いつも通りだった。
「これで大丈夫ですわね」
剣を鞘に納める。
まるで、少し埃を払ったかのような自然さで。
「門番の方々、お仕事の邪魔をしてしまいましたかしら?」
「い、いえ……」
騎士は言葉を探すが、見つからない。
目の前の光景が、理解を拒んでいる。
ただ一つだけ、確かなことがある。
この令嬢は。
普通ではない。
「……“星剣”」
ぽつり、と。
誰かが呟いた。
それは噂でしか聞いたことのない名。
戦場帰りの兵士たちが、酒場で低く語るだけの、曖昧な呼び名。
だが今、確信に変わった。
「……星剣、か」
別の男が、息を呑みながら繰り返す。
セリアは小首を傾げた。
「星剣?」
「い、いえ……こちらの話です」
「そう」
興味を失ったように頷く。
「では、行きましょうか」
まるで何事もなかったかのように、歩き出す。
王都の外へ。
その背中を、誰もが黙って見送るしかなかった。
社交界では、あの令嬢。
そして今、確信された。
――星剣。
だが当の本人は。
「少し振っただけで済んで良かったですわ」
そう言って、穏やかに微笑んでいた。




