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スペクルム カノン  作者: うさぎサボテン
第七章 水鏡が示す真実 後編
87/200

3.

 屋内は冷房が効いていて、先程まで吹き出ていた汗はスッと引いた。

 屋外には人の姿をあまり見掛けなかったが、此処には沢山の人が居た。やはり、皆涼みたいのだ。

 華音は受付で借りた本を返してから、ぶらりと館内を見て回った。特に読みたい本を決めてきた訳ではないし、購入した本をまだ読み始めてもいないので借りるつもりもない。唯の休息と興味本位故だった。

 規則的に整列する本棚はそれだけで静寂さと知的さを感じられ、スマートフォンなどの便利だが疲れる物に日々囲まれて過ごしている現代人の癒やしとなる。

 便利な世の中が当たり前な現代人の1人である華音も、沢山並べられた本を見るとより一層電子書籍よりも紙の書籍の方が好きだと思った。

 硝子張りの手摺りの緩やかな階段を上がっていくと、そこにも沢山の本棚が整列していた。吹き抜けになっているので、1階の様子がよく見えた。

 華音が入って来た自動扉は今も出入りする利用者に反応して開閉していて、受付も度々人が訪ねて来たりと忙しい。

 受付の目の前には本を読む為の寛ぎスペースが確保されており、学生達が必死に勉学に励む長机に、子供達が自由に寝転ぶ事が出来るマット、主婦やお年寄りがゆったり過ごせるソファーが幾つか置かれている。更に、ドリンクも無料で飲む事が出来る。

 2階にも同じ様なスペースがあるが、1階よりも面積は狭く現時点で満席だった。

 華音は休憩スペースを素通りし、宛てもなく通路を突き進んでいった。そうして、行き止まりにぶち当たると踵を返した。

 途中、一冊の本が突き出ているのが見えた。気になって戻そうと手を伸ばす。

 背表紙には『桜が散る頃にキミと恋に落ちる』とある。

 思わず桜で連想してしまった少女の事を想い、そのまま引き抜いた。

 散りぬく桜とその中で見つめ合う制服姿の男女の美しいイラストが表紙だった。

 タイトルからしても表紙からしても恋愛小説である事は間違いなく、華音が好む内容ではない筈だが彼は大事そうに抱えて1階へと下りて行った。

 長机の一番隅で腰を落ち着けた華音は、目の前に置いた本のタイトルと表紙を再確認した。


(恋愛にはマニュアルはない……と思ってたけど、これはきっと参考になるに違いない。自分が桜花の事が好きだと気付いたはいいものの、実際どうしたらいいのか分かんなくて困ってたんだ)


 強い決意を固めると、ページを捲った。

 序盤は少女が少年に恋心を抱く甘酸っぱい雰囲気だったが、距離が縮まる毎に過激になっていき……華音はパタンと本を閉じた。

 目はぐるぐると回り、頬は桜色だ。


(人気のないところで壁ドン!? それで家に誘って、「今日親居ないから」って自分の部屋に招き入れてベッドに押し倒し――――って駄目だ。この先はどうしても読めない! と言うか、これってオレと桜花みたいじゃないか。……オレがヒロインになるけど)


 華音は以前、この小説の少年と同じ様な事を桜花にされた事があった。


(オレがもっと男らしくならなきゃ駄目って事か)


 小説から学んだ唯一の事はそれだった。

 1人頷き席を立つと、不意に名前を呼ばれた。

 振り返ってみると、雷が弟妹を連れて立っていた。


「雷に(めぐみ)風牙(ふうが)。偶然だな」

「華音こそ。恋愛小説なんて持ってどうした?」


 雷に指摘され、咄嗟に両腕に抱え込んだ。


「あー……えっと、まあどんなのかなーって興味本位」

「ほーん。恋愛に疎いお前がねぇ。実際自分が恋に落ちると変わるもんだな」

「えぇー! 華音ちゃんはお兄ちゃんとラブラブなんじゃないの?」


 雨が不満そうに話に割り込んできた。

 周りの視線が2人の男子高校生に向けられた。勉学に励んでいた女子中学生2人組がひそひそ顔を赤らめて話し始め、華音達と同年代の男子は衝撃を受けていた。


(絶対勘違いされてる。早いとこ訂正しなきゃ、近所で変な噂がたってしまう!)


 焦燥感にかられた華音が口を開いたのと同時に、雷の大きな手のひらが少し強めに雨の頭を包み込んだ。


「何いつまであのアホ刃のでたらめ信じてんだ。純粋か。いいか? 雨、それに風牙」


 反対の手のひらで風牙の頭を包み込み、身を屈めて弟妹と目線を合わせた。


「華音は男だ。そして、華音が恋してるのは俺じゃなくて同級生の可愛い女の子だ」


 兄の嘘偽りない真剣な眼差しに雨と風牙はこくりと頷き信じた。


「そうだったんだぁ。それならそうと、華音ちゃんも言ってくれればいいのにぃ」


 雨が唇を尖らせ、華音は微苦笑した。本当の性別を知っても尚、ちゃん付けは変わらないようだ。


「何度も言ったんだけどね……」

「ねーねー華音ちゃんが恋してる子って、どんな子なの? 名前は?」

「えっ……えーと……」


 純粋な雨は公共の場だろうと、容赦ない。

 先程まで別の妄想をしていた女子中学生2人組がギラッと目を光らせ、男子は聞き耳を立てた。


(イケメンは大変だな……)


 周りの反応に雷は他人事の様にぼんやり思った。

 華音は周りの反応など関係なしに、単純に気恥ずかしくて授業の様にすらすらした回答を口にする事は出来なかった。

 華音がなかなか答えられないでいると、意外なところから助け船が出された。


「華音の恋バナなんてどーでもいいぜ! それよりもおれはアイスを食いにいきてーぞ」


 どうでもいいとは、直接的過ぎてさすがの華音も少々傷付いたが心の中で風牙にグッドサインを送っておいた。

 アイスと言う単語に、雨もコロッと態度を変えて兄の袖を引いた。


「お兄ちゃん、アイス! めぐね、夕張メロン味がいい! 期間限定なんだよっ」

「それ1番高いやつ。ったく、しゃーねーな」


 雷は弟妹を連れて一歩進んだ。


「じゃ、華音。俺達行くわ」

「ああ」


 弟妹が先に自動扉を潜っていき、続こうとした雷は踵を返して華音に耳打った。


「……今度じっくりと恋の進展聞かせろよ?」

「あ……ああ」

「またな」


 雷はニッと笑い、弟妹達の急かす声に応えて去って行った。

 華音は高木兄妹の姿が見えなくなるまで見送った後、まだ手に持ったままの恋愛小説をギュッと胸に抱えた。

 心臓が高鳴り、頬が熱くなった。


(進展って……まだ片想いだし。どうすればいいのか分からないからこれを参考にしようとしてたのに。取りあえず戻して来よう)


 歩き出そうとすると、今度はスマートフォンのバイブレーターに呼び止められた。

 ズボンのポケットからスマートフォンを取り出すと、画面に通信アプリのメッセージ通知が届いていた。しかも、その送り主は噂の桜花。思わず喫驚の声を上げるところだった。

 一度軽く深呼吸してから冷静になり、画面をタップした。


『やっほー♪ 楽しい夏休み~☆ 華音、元気にしてる? わたしは元気よ! 今日も暑いわね。と言う事で、これが美味しい季節よね』


 絵文字が多数使用されている読みづらいメッセージの後に、画像が送られてきた。

 かき氷を食べている桜花の自撮り写真だ。涼しげな夏の私服姿とあどけなさを残した笑顔が可愛らしく、堂々と映り込んでいる異質に気付かずに無意識に本音を打ち込んでいた。

 しかし、送信ボタンに触れる前にハッと冷静になって画面に表示されている文章に赤面した。急いで『可愛いね』を消し、もう1度画像を眺めた。

 すると、漸く異質に気付いた。

 あの桜花の事だ。唯のかき氷の筈がなかった。さらさらとした氷山にたっぷりの果肉入りのマンゴーソースがかけられ、仕上げにつやつやでぷるぷるの物体がどっさり添えてあった。

 前者だけなら人気フレーバー。けれど、後者まで加えるとなると、見た事がない。

 華音が首を傾げていると、桜花による答え合わせのメッセージが送られてきた。


『珍しいわよね! 夏限定の“ナマコとグソクムシのマンゴーかき氷”よ』


 添えてある物体はナマコ。ではグソクムシとは? 画像の何処にも見当たらない。まさか……と華音が嫌な想像をすると、ご丁寧に断面図の画像が送られてきて華音は今度こそ喫驚の声を上げてしまった。

 バッと、周りの視線がまた華音に集まった。

 華音は静かに謝罪すると、その場を離れた。

 階段の手摺りに寄りかかって恐る恐る2枚目の画像を再確認してみた。


「いや……さすがにこれはないだろ」


 氷の中からダンゴムシのそっくりさんグソクムシがこんにちは。見たところ本物である。


『グソクムシって食べられるらしいのよ。知ってた? これは素揚げにしたものらしいんだけど、さすがに気持ち悪~いっ笑 でも食べるけどね』

(でしょうね……って食べるの!?)


 衝撃の連続で華音は返す言葉が見当たらなかった。


『じゃあ、最後にこれ!』


 次に送られてきた画像はコウテイペンギンだった。泳いでいる仲間を岩の上で気怠げに眺めている1羽に焦点を当てた1枚。


『華音そっくり!』

(どの辺が!?)


 華音は全ての突っ込みの意味を込め、ハリセンで叩くクマのスタンプを返したのだった。

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