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スペクルム カノン  作者: うさぎサボテン
第六章 水鏡が示す真実 前編
78/200

9.

 大きな門を潜り、玄関扉を開くとアルナが床に倒れていた。

 脇の姿見には呆れ顔のオズワルドも居る。


「アルナ!? おい、具合でも……」


 脱いだ靴を揃えるのも忘れ、華音は家に上がると真っ先にアルナを抱き起こした。


「酷いぞっ! カノン」


 アルナはルビー色の大きな瞳を潤ませ、華音はギョッとした。


「オ、オレ……何かした?」

「魔物! せっかくブラックホール調査に向かわせたのにカノンが倒しちゃうんだもん」


 アルナは華音の両腕を振り解き、華音に背中を向けてゴロンと床に転がった。

 華音は手を下ろし、気まずさに視線を逸らすと鏡面のオズワルドと一瞬目が合って更に気まずさが倍増し、自分の手を見つめた。


「あー……。アルナのだったのか。そう言えば、クランがアルナの魔力を感じたって言ってたな……」

「あぁ、クランね。あのヒトもなかなか手強かったっしょー」


 アルナはゴロンと華音の方を向き、悪戯な笑みを浮かべた。

 水戸がいつもピカピカに磨いてくれているとは言え、女の子が床に寝転がる光景はあまりよろしくない。

 華音はアルナにそっと手を差し出し、立ち上がらせる。すると、先程まで忘れていた脾腹がズキンと痛み、白い制服の上に血が滲んだ。


「怪我してたんだった……」

「鈍感め」

「うるさい、オズワルド。……水戸さんに見られたらマズイな。と言うか、今日は出迎えてくれないのか」


 華音がのろのろ歩き出すと、アルナがちょこちょこその後を追って、カッターシャツの裾をくいっと摘んだ。


「アルナが治すぞっ! ちなみに、チカゲはショーユー? を買いに出掛けたぞ」

「醤油か? そっか。じゃあ、頼んでいいかな?」

「りょーかいっ! 超絶美少女アルナに癒されちゃえっ!」

「それ呪文!?」


 華音をまるごと月色の光が包み込み、戦闘で受けた傷を一瞬で癒した。

 華音はシャツを捲り、傷が跡形もなく消えた事を確認するとアルナに礼を言い、洗面所へ歩いて行った。 アルナも後を追う。

 華音は洗面台にお湯を張り、脱いだシャツを手洗いする。


「さすがに治癒術じゃ、制服の汚れ取れないよな……」


 真横にはアルナがぴったりくっつき、目の前の鏡面にはオズワルドが居た。

 アルナは露になった華音の背中の火傷痕を度々気にしている様子だが、それとなく事情を察して言葉にはしなかった。

 透明だったお湯はすぐに赤色に染まり、鉄の臭いが鼻を衝く。


「後は洗濯すれば、大体落ちるかな。洗濯してる間に風呂入っちゃおう」


 華音はお湯を流し、制服をギュッと絞ってから洗濯機に放り込んだ後、ベルトに手を掛けた所で後ろを振り返った。


「あの、アルナ。オレ、今から風呂に……――――って、何でアルナも脱いでるの!?」


 アルナは既に白いケープを脱ぎ捨て、黒のフリルブラウスのボタンを外している所だった。身体にメリハリがなくて女性らしさはないが、華音にとって異性である事には変わりはなく、平然としていられる筈もなかった。

 華音はアルナの両手を掴み、作業を止めさせる。頬はほんのり赤い。


「それは駄目だって! アルナはリビングで待っていてくれる!? 今日はシャワーだけにするから」

「えー。だって、この国ではハダカノツキアイするって聞いたぞ? お風呂は一緒に入るもんじゃないのか?」

「それ、何か違う! 家族でも恋人でもない異性と一緒に風呂入ったら犯罪だよ!」

「アルナはカノンの嫁だから大丈夫だぞ?」

「それも違う! と、とにかく1人で風呂入りたいから出て行ってくれ」


 華音がアルナの背中をぐいぐい押し、無理矢理退場させる。

 アルナは唇を尖らせ、何かぶつぶつ言いながら遠ざかっていった。

 華音は息を吐き、準備を整えて浴室の扉を開いた。


「あ……」


 真正面に見える浴槽には既にお湯が張ってあり、白いふわふわの物体が浮いていた。

 華音は裸足でペタペタと浴槽に近付いた。


「ほわまろ。見かけないと思ったら、風呂入ってたんだ。……ん? 何で兎が風呂?」


 疑問符が浮かぶが、ほわまろは目を細めて気持ちよさそうなのでどうでもよくなった。

 華音はガラス張りのシャワー空間へ移動する。そっちにはオズワルドが鏡面で待っていた。本来落ち着く場所であるのに、落ち着かない。

 華音はシャワーのハンドルを回しながら鏡面をちらっと見た。


「お前さ、あの魔物がアルナのだって知ってたのか?」

「心外だな。私がお前を騙し、アルナの妨害をするメリットはない。……私も、少し変だとは思ったんだ」

「そうだよな。……お前が分からないって事は、魔女達が創り出す魔物には違いはないって事か」

「多分な」


 オズワルドが白いローブを翻し、華音は首を傾げた。


「あれ? もう戻るのか?」

「……私も暇ではないのでな」

「この前、暇って言った事根に持ってる?」

「……近頃煩い男に付き纏われる上、ドロシーは前よりも私のもとへ来るようになってな。早く部屋に戻らなければ、また茶葉の無駄遣いをされてしまう。困ったものだ」


 オズワルドはやれやれ……とうんざりした様に、首をゆるゆると左右に振って歩いて行った。瞬間鏡面が捻れ、そこに本来の景色と華音自身の姿を映した。

 華音はシャワーのお湯を頭からかぶり、シャンプーに手を伸ばしてはたと止めた。


(クラン……何か、最近何処かで見た気がするんだよな。誰かに似てる……けど、誰だっけ)





 ふんわりとしたタオルで包んだほわまろを抱え、上品なシャンプーの香りを散らしながら華音がリビングへ向かうと、テーブルに夕食が並んでおりアルナが足をぶらぶらさせながら席に着いて居た。

 華音はほわまろをアルナに渡し、ダイニングキッチンから歩いて来る水戸に「おかえり」と声を掛けた。


「華音くん。すみません。私が出迎えなくてはいけなかったのに……」


 水戸は申し訳なさそうに、人数分の味噌汁を並べると華音に座る様に促した。

 華音はアルナの隣に腰掛け、水戸にも座る様に言った。


「それはいいよ。水戸さんはオレの世話係じゃないんだし。家族みたいなものかな」

「か、家族……」

「ごめん。嫌だったかな」

「い、いえ! ……嬉しいです」


 華音は風呂上りなので勿論の事、風呂にまだ入っていない水戸の顔も上気していて、2人の間に流れる空気は何処か初々しいモノがあった。

 だが、それをアルナが空気を読む事もせずにぶち壊す。


「もう食べていいか? アルナお腹空いたぁ」


 ほわまろも同感とばかりに、タオルから顔を出してルビー色の瞳を輝かせた。

 ふと、華音は兎も人間と同じ物を食べていいのか? と思った。

 水戸は眉を下げて笑い、手を合わせた。


「ごめんなさい。それじゃあ、いただきましょうか」


 華音とアルナも手を合わせ。

 3人で「いただきます」




「それでは、お風呂いただきますね」


 食事と後片付けを終えて暫く、水戸がそう言ってバスルームへ向かった。

 華音とアルナはソファーでくつろいでいるところだ。水戸にドライヤーで毛皮を乾かしてもらったほわまろは、元気に絨毯の上を跳ね回っている。

 華音はほわまろを何となく目で追いつつ、ローテーブル上のスマートフォンを引き寄せて画面をタップした。

 真っ先に起動させたのは通信用アプリケーション。


「桜花にアルナの事とクランと戦った事を教えないとな……」


 本日、桜花は女子生徒と居る事の方が多く、華音とまともに会話する暇はなかった。また、華音も華音で、親友2人と一緒だったのであえて桜花に声を掛けようとは思わなかったのだ。

 だから、スマートフォン1つで連絡が取り合える環境は本当に便利だ。

 華音はアルナの事とクランの事とを区切って、簡潔に纏めた文章を送る。既読はすぐにはつかず、テーブルに一旦置いて水戸が淹れてくれた紅茶に口を付ける。隣で、アルナが紅茶に角砂糖を大量投入していて思わず吹き出しそうになった。


「アルナ! それは入れすぎだ」

「知ってるか? カノン。女の子は甘い物で出来ているんだぞっ」


 アルナは更にミルクを投入し、激甘に変貌した紅茶を平然と飲む。

 華音が「本当に?」と疑いの目を向けると、スマートフォンから着信音が鳴り響いた。

 画面には桜花からのメッセージが届いていた。

 絵文字が多用されている上に、所々平仮名表記……とても女の子らしい文章であるが、純文学ばかり読んでいる華音には難解だった。少しばかり苦痛に耐えつつ必要な部分だけ読み取ると、それぞれの事柄に関して一言しかなかった。

「仲間増えたね」と「注意するわ」だけである。他のキラキラした絵文字は殆ど意味を成していなかった。


「……桜花。こんな娘だったかな」


 もっとこう、見た目の可憐さとは真逆なガサツ……と言ったら失礼だろうが、そんなイメージがあり、とてもこの文章を桜花が打ったとは思えなかった。最近、女子との親交を深めつつある彼女は、その輪に馴染もうと必死なのだろうか。

 スマートフォンを手放そうとすると、画像が送られて来た。


「ん? 何だこれ?」


 茶色くてゴツゴツした丸い物体が描かれた袋と、それを堂々と掲げる桜花の姿だ。背景は華音も何度か訪れた事のある彼女の自室だ。相変わらず女の子らしい部屋だ。


『ミートボールキャンディ発見! 見た目も味も、まさにミートボール!』


 華音の疑問に答える様にメッセージが送られて来た。

 ミートボールって! 確かに最初は視線がそっちにいったが、今はそれを誇らしげに持つ桜花の方が気になって仕方がない。


『自撮りもマスターしたのよ! いい感じに撮れてるでしょ? キャンディは修学旅行に持っていくから、その時に華音にも分けてあげるね』


 そのメッセージも相まって、桜花が可愛いと思ってしまった。

 頬を緩めつつも、華音はハリセンスタンプを返すのを忘れなかった。

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