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スペクルム カノン  作者: うさぎサボテン
第五章 月夜のパレード
68/200

16.

 ガサガサ……ドン!


 庭から物音が響き、リビングで少年の帰りを待っていた家政婦の水戸ちかげは血相を変え、ガラッとガラス戸を開け放った。


「な、何っ?」


 声を搾り出し、恐る恐る庭へ出ると、また低木がガサガサと動いて人の手が這い出て来た。

 思わず出かけた悲鳴を唾と一緒に飲み込む。立て続けに、見覚えのある頭部が出て来たからだ。


「いてて……。オズワルドの奴、今度会ったら文句を……」

「華音くん……?」

「水戸さん……? と言う事は此処は……」


 低木から這い出てきた華音と、それを見ていた水戸の視線がぶつかった。

 2人は言葉を失い、暫く見つめ合った。

 夜風が素っ気なく、通り過ぎていく。

 長く短い沈黙。

 そこへ、小さな足音が近付いて来た。


「ようやく帰ったか! カノン」


 よく通る高音に、止まっていた2人の時間が動き出した。

 そこに現れた金髪の少女に、水戸は振り返る。


「あら、アルナちゃん。ちゃんと温まって出て来た?」

「温まる? 風呂は汚れを落とすところだぞっ」


 水戸が貸したブカブカのピンク色の寝間着に身を包み、潤いを含んでつやつや輝く金の長髪を背中に流して白い肌をほんのりと上気させている小さな少女は、華音が数時間前に激闘を繰り広げた相手――――月の魔女アルナだった。

 華音は衝撃を受け、勢いよく起き上がった。


「ア、アルナ! 何でオレの家に!?」

「カノンの家だからだぞ?」


 あどけない顔でアルナが首を傾けると、ふわりと石鹸のいい香りが弾けた。

 華音は「いやいやいや」と首を横へ振った。


「理由になってないだろ! まさか、オレを消しに……」

「消す?」と水戸が訳の分からぬまま口を挟む。


 華音とアルナの視界から一旦水戸は外れ、2人だけの世界で話を進めた。


「消すなんて物騒な考えだなっ。アルナはそんな野蛮なコトしないぞ」

「お前ならやるだろ! 確実に! って、痛っ!?」


 アルナの肩に乗っていた白兎が華音の肩に飛び移り、まだ傷の塞がっていない首筋に歯を立てた。


 ガジガジガジ。


「こら、駄目だぞ。ほわまろ。アルナのカノンを傷モノにしちゃ駄目!」


 アルナが腰に手を当て、反対の手で人差し指をピッと立てると、ほわまろは耳を折って大人しくなった。


「既に傷モノだけど。いや、それよりも。誰がお前の華音だ」


 華音までは大人しくならず、相変わらずの警戒心を剥き出しにしていた。


「そのまんまの意味だぞ? アルナはお前に惚れた。オズワルドと外見が一緒だから中身もムカつくと思いきや、そうじゃなかった……。お前は、カノンは素晴らしい男だ! 身を挺してほわまろを助けたカノンに惚れないハズがない。今から、アルナが嫁になってやるぞっ」


 アルナは頬を赤く染めたり、満面の笑みを浮かべたり、ころころと忙しなく表情を変え、最終的にはその両方の入り混じった表情で華音をじっと見つめた。

 華音の警戒心はいつしか消え、戸惑いへと変わった。


「何か上から目線な気がするんだけど……。えーっと、じゃあアルナは敵じゃないのか?」

「嫁だ!」

「…………敵じゃないんだな。それで、何で(うち)に居るんだ?」

「嫁だからに決まっているだろう! センギョーシュフとやらになってやるぞっ」

「それ、水戸さんだから……」


 華音は水戸を一瞬だけ視界に入れると、また2人だけの世界へ戻った。


「チカゲは嫁なのか!?」


 アルナは大きな瞳を更に大きく開き、華音の反応を覗う。


「下の名前とか、馴れ馴れしいな。水戸さんは唯の家政婦だし、それに……高校生で結婚する人なんて居ないよ、多分」

「カセイフ……コウコウセイ……知らない言葉ばかりだが、嫁ではないんだな。安心した! じゃあ、そう言う事でアルナは此処を我が家にすると決めた! と言うか、カノンに惚れたアルナはもう皆のとこ帰れない!」


 楽しげに、8人の魔女(プラネット)裏切り宣言をしたアルナ。

 話が一段落し、2人だけの世界も終わりを迎えた。

 頭に音符を浮かべるアルナ、頭を抱える華音。水戸は終始、2人の世界に割り込めずにいた為に状況が理解出来なかった。

 とにかく、分かる事は2人が顔見知りだと言う事だ。

 水戸は自分のよく知る華音へ、少々遠慮がちに声を掛けた。


「あの……。アルナちゃん、華音くんが帰って来るちょっと前に来てね……「カノンの帰りを待つぞ」って言うものだから、華音くんの知り合いだと思って家に上げたんです。何処を歩いて来たのか、体中汚れていて。可愛いお洋服は洗濯して、アルナちゃん自身にはお風呂に入ってもらったんです。華音くんとはどう言うご関係なんでしょうか?」

「よく家分かったな……。どう言う関係って、えーっと……」


 華音は返答に困った。

 まさか、今対峙している魔女の1人です! なんて言えないし、自分とオズワルドの存在も説明しなくてはならなくなる。

 そこへ、水戸が更なる追い打ちをかけた。


「それに、華音くん……。空から落ちて来ませんでしたか?」

「えっ。それは気のせいじゃない……かな? …………」


 華音の髪や服には、ばっちり庭木の葉が飾り付けられていた。動かぬ証拠だ。

 華音の心境など露知らず、ゴルゴは呑気に庭木の枝で羽を休めている。それを認めた華音は、ゴルゴが悪い訳ではないと頭では分かっていながらも、少し苛立った。

 今までは何とか嘘を言って誤魔化せたが、今はもう適当な嘘すらつけない上、何か納得出来る理由がなければ水戸は引き下がりそうもなかった。

 華音が水戸の視線に耐えていると、もう1人の視線が華音をじっと捕らえた。


「ところで、カノン。傷だらけだな! アルナが治してやるぞっ」


 アルナが月属性のマナを集め始め、周囲が月色の光に包まれる。

 華音はひやっとし、慌ててアルナに掴みかかる。


「ちょ、ちょっと待って! それは駄目だって」

「遠慮すルナ! いっくぞーっ。えいっ!」


 アルナを掴めなかった手は月色の光に包まれ、全身へと広がり、みるみるうちに傷を癒していった。

 柔らかな光に包まれる感覚は、まるで天使の羽毛に包まれているかの様に優しくて温かい。産まれて初めてのそれに、華音はこれまでにない心地良さに思わず身も心も委ねたくなった……が、全身が浸る前に何とか正気を取り戻した。

 クリアな瞳に水戸を映すと、思った通り驚愕していた。

 華音はアルナを横目で睨み、水戸に苦笑いを向けた。


「あはは。今のは手品っていうか……」


 水戸はやや俯き、ぷるぷると肩を震わした。


「ま」

「ま?」

「魔法少女ですね!?」


 次に、ガバっと顔を上げた水戸の表情は頬を紅潮させて幼子の様に眩しい光を放っていた。


「えーっと……。うん?」


 華音はきょとんとした。

 華音を押しのけ、水戸はアルナの小さな手を熱く掴んだ。


「私、1度本物に逢ってみたかったんです! 本当に居たんだ……」

「よく分からないけど、良かったな?」


 さすがのアルナも、少し戸惑い気味だった。

 その後も、水戸の興奮は冷める事はなかったが、それとは対照的に夜風にすっかり冷えた身体をひとまず休ませる為、3人は屋内へと戻った。

 一部始終を見届けた使い魔は、バサリと黒翼を広げて飛び立っていった。






 華音の家が映る魔法鏡に手の平を付き、オズワルドは脱力しきった様に琥珀色の目を伏せた。


(ここに来て、アルナの奴……何を考えているんだ。まったく)


 手を下ろすと、フッと鏡面の景色が現実(まわり)の景色を映した。

 オズワルドは鏡面を背に、青い炎が照らす道を歩いて行く。

 重厚な扉を開き、外の自然光を全身に受けると、不意に上品な薔薇の香りが漂って声が掛かった。


「……オズワルド」


 普段よりトーンが低いが、オズワルドのよく知る少女の声だった。

 オズワルドが声のした方へ向き直ると、赤い髪を下ろし、足元まで覆う真紅のドレスに身を包んだ第2王女ドロシーが立って居た。その愛らしい顔は深刻だ。

 オズワルドはいつも通りの笑みを浮かべた。


「ダンスのレッスンはもう終わったのか?」

「は、はい。ダンスは元々得意なので……。あの、そうではなくて。オズワルドにお訊きしたい事がありまして……」


 声は変わらず低く、いつものような破棄がなかった。

 オズワルドにはドロシーが言わんとしている事を大方予測出来てはいたが、敢えて本人の口から聞く事にした。

 ドロシーは視線を彷徨わせ、綺麗な色と形の手をもそもそ無意味に動かし、オズワルドの視線に気付くと決意を固めた様にしっかりとその視線を受け取った。


「オズワルドはわたしのお父様なのですか?」

「違う」


 即答だった。

 バッサリと切られ、ドロシーは瞬きを繰り返し、次第に狼狽え始めた。


「だ、だって、月の魔女が「娘か?」って訊いた時、オズワルド……何だか怒っていたような気がしましたよ? 勿論、魂が向こうに行っている間はわたし達もお互いの声が聞こえないのですけれど……」

「あのな……仮に本当だとして、お前にはエルフの血が一滴でも入っているか?」

「あ……。そう、ですわね」

「それに、私は誰も本気で愛せない」

「それはどう言う事ですの?」

「…………アルナのあれはお前と国王陛下への侮辱だ。陛下の実の娘でない上、ハーフエルフの血を引くだなんて、冗談でも許せない」

「そうだったんですか……」


 オズワルドは自分と父の事を大切に想ってくれている、護ろうとしてくれている。そんな事は痛いぐらい分かっているけれど、ドロシーの心中は複雑だった。

 オズワルドはいつだってそう。自分の感情を心の奥底に無理矢理沈め、決して人前でさらけ出さない。


「それじゃあな、ドロシー。今から食事をしてくる。あのメイドに迷惑掛けたから、その事についても謝っておかないと」


 オズワルドはドロシーの脇を摺り抜けていった。普段と何1つ変わらず、平然と。

 それがドロシーは寂しくて、踏み出した足はオズワルドの翻る白いローブを追い掛けていた。


「オズワルドッ!」

「何だ? やっぱりダンスが厳しかったのか?」


 オズワルドは、背中にぴったり貼り付くドロシーに眉を下げた。

 ドロシーは白いローブに顔を埋めたまま、想像以上に華奢な彼の身体をギュッと抱き締めた。


「辛いのなら言って下さい。何でも1人で抱え込まないで。わたしだって、貴方が心配なんです。護りたいんです」


 ハーフエルフの耳は此方へ近付いて来る遠くの足音を拾い、オズワルドはそっとドロシーを引き剥がして向き直った。

 ドロシーのアメジスト色の瞳は大きく揺れ、滑らかな白い頬には涙が伝っていた。

 オズワルドは一歩踏み出し、ドロシーのサラサラとした横髪に触れ、コツンと額と額をぶつけて微笑んだ。


「別に、私は無理をしている訳ではない。お前が居るから平気なんだ」

「そ、それって……」


 眼前にオズワルドの綺麗な顔があり、ドロシーの頬は紅潮していく。そこに、期待の色も含まれた。


「……だからと言って、お前の好意を受け取る事は出来ないがな」

「ひ、酷い……!」

「言っただろう。ガキを娶る趣味はないって」

「わたし、子供じゃないです!」

「ムキになるところがまだまだだな。…………ありがとう」


 オズワルドはドロシーから離れると、此方へ向かってきた巡回中の騎士と入れ違いに立ち去っていった。


(聞き間違いかしら? オズワルドがありがとうって……)


 騎士がドロシーへ挨拶をしても、彼女はポーっと惚けたままだった。




 また前方から足音が近付いて来る。今度は騎士ではない。カツカツと早足で床を鳴らすそれは、オズワルドのよく知る人物のもの。

 やがて足音はピタリと止み、目の前に金の髪を一部丁寧に編み込んだ上品な出で立ちの青年が現れた。

 オズワルドは青年――――ヴィルヘルム・ディン・ハートフィールド王子と目が合うと、自然な所作で頭を下げた。

 2人の瞳の色は国王と同じ、琥珀色をしていた。

 ヴィルヘルムは国王と似た顔付きでオズワルドを睨めつけた。


「オズワルド・リデル。また私の可愛い妹に手を出していたのではないだろうな?」

「いえ、その様な事は……」


 ヴィルヘルムの嫉妬にも似た感情を孕んだ眼光は刃物の様に鋭利であったが、何か別の……彼の背後より向けられた一直線な視線の方がオズワルドは気になった。

 まるで、獲物をじっと狙う暗殺者の様な、ねっとりとした視線。

 オズワルドの視界に自分が映っていない事を疑問に思ったヴィルヘルムは、怪訝な顔で後ろを振り返った。


「……何か居るのか?」


 途端、視線がフッと消えた。


「私の思い過ごしかもしれません。……しかし、反乱を企てている輩が王子の命を狙っている可能性も否定出来ません。だから、油断は出来ませんね」

「はっ。それを阻止するのがお前の役目だろう。王族の身に何かあれば、今度こそお前の居場所はないからな」


 再びオズワルドの方を向いたヴィルヘルムの表情は相変わらずだった。対して、オズワルドの態度にも一切変化はなかった。


「重々承知しています。この命尽きるまで、私はハートフィールドにお仕えします」

「……どうしてそこまで。お前は王家とは何も関係がない、他人だろう」

「…………そうですね。だけど、私はそう決めていますから」

「はあ。そうか……」


 オズワルドのブレない言動が面白くなかったヴィルヘルムは、これ以上悪態つくのも億劫になり、頭を下げる彼の横をサッサと通り過ぎた。

 足音が遠ざかっていき、ゆっくりと頭を上げたオズワルドは再度、視線を感じた場所を確認した。


「……何も居ない、か」


 やはり、そこには何者の影も残されてはいなかった。

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