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スペクルム カノン  作者: うさぎサボテン
第三章 精霊分離
25/200

2.

 この声に聞き覚えがあると華音が思ったのと、低木の向こうから初老の男性が姿を現すのはほぼ同時だった。

 露になった姿に、2人は息を呑む。

 優しそうな目を覆う丸眼鏡に、少し寂しいグレーの頭部、グレーの口髭、無彩色のきっちりとした背広……週に1度は全校生徒の前に立つその人は、この学校の校長先生だ。

 校長先生の双眸は2人を映す……が、すぐに身体がぐらりと倒れた。その後ろから、魔物が飛躍してきて、華音は桜花の手を離して杖で迎え撃つ。

 杖に弾かれた魔物は背後へ宙返りして着地し、残りの2体が横からじりじりと迫って来ていた。

 華音は一歩踏み込み、手前の魔物に杖を振るう。

 魔物は、立派な牙の生え揃った口で杖を受け止める。

 両者の力比べだ。

 次第に、華音の細い腕が震え始める。そのうちに、2体の魔物との間合いが縮まっていく。

 華音は視線を手元に向けたまま、声だけを後方へ向けた。


「桜花。今のうちに魔術使って!」

「分かったわ。任せて」


 桜花は力強く頷くと、杖を両手で握って詠唱を始める。

 火属性のマナが魔法使いの少女の周りに集う。

 空気が熱され、そこ一帯の気温が上昇する。

 桜花はアメジスト色の瞳で標的を見据え、軽く息を吸い込んで唇を動かした。


「輝く炎の中でもがき苦しみなさい。シャイニングフロウ!」


 青空に暗雲が渦巻き、赤く光った後、神々しい輝きを放つ炎が滝の様に標的に叩き落とされた。


「ちょっと!?」


 困惑の声を上げる華音は、魔物と共に既に炎の中に居た。

 形が保てなくなっていく魔物を前に、華音は火傷は疎か、熱さも感じていないが、心臓は騒いでいた。

 炎が消えると、魔物も跡形もなく消え、光り輝く生命力だけが宙を舞って、うつ伏せている校長先生の中に還っていった。

 華音は桜花のもとへ詰め寄る。


「何でオレまで巻き添えなんだよ」

「それは術の攻撃範囲が広かったからで……。そもそも、華音は水の加護があるから炎平気なのよね?」


 桜花は全く悪びれる様子もない。

 華音は怒りを通り越して、呆れてしまった。


「身体は平気だけど、精神はそうもいかないよ。1回、桜花も炎に飲まれてみる事をオススメするよ」

「華音がすすめてくれるなら」

「今の、嫌味で言ったからね?」


 近くでは、校長先生が呻き声を上げて身を起こそうとしていた。

 2人は頷き合い、その場から離れる。

 残りの魔物が居ない事に気が付き、辺りを見回しながら走る2人。


「居たわ!」


 最初に、魔物の後ろ姿を捉えたのは桜花だ。

 魔物は魔法使いが後ろに居ると言うのに振り返らず、一心不乱に走り続けている。近くに、別の生命力を感知したのだ。

 他の人が狙われたら、騒ぎになりかねない。それに、魔物が現在いくつ生命力を奪ったのか表面上では分からない為、新たな被害者が出る前に食い止めなくてはならない。

 魔物は最低でも2つの生命力を奪った時点で、時空間魔法で魔女のもとへ行ってしまい、そのまま生命力は永久に魔女の物となって戻って来ないのだ。

 この距離からだと、魔物が生命力を手に入れてしまう方が先かもしれない。

 華音は大気中のマナを集め、魔物の背中に解き放った。

 冷気が地面を駆け、魔物を飲み込む。すると、見事な氷の彫刻がそこに完成した。

 氷の中、魔物は赤い双眸をギラつかせて藻掻く。

 魔物が自力で氷の束縛を解くのは時間の問題だ。

 それまでに、華音は止めの魔術の詠唱を完了させる。


「次は、水がお前達を逃がさない。アクアヴァイン!」


 水が氷の彫刻を囲う様に、丸く形作られていく。

 氷の束縛から逃げ出せない魔物は、更に外側から水に束縛される。

 水は内側へ向けて縮小していき、水圧で魔物を潰していく。


「全てを燃やしつくしなさい。ファイアブレス!」


 後ろから桜花の声が聞こえると、出現した炎が龍の吐息の様に魔物へ一直線。水の束縛を破って、1体を飲み込んだ。

 熱で水が蒸発し、氷も溶けていく。

 炎に直接飲まれた方は消滅したが、もう1体の方は束縛がなくなって自由に身動きが取れる様になった。

 華音は深い溜め息を吐き、頭を抱えた。


「何でこのタイミングで魔術使うかな……」

「魔物が行っちゃうわ!」


 指差す桜花を、華音は最早怒る気にはなれない。

 脳内ではオズワルドのいつもの自信たっぷりな命令は聞こえず、絶えず笑い声だけが響いていた。

 華音は靡く赤髪を追う様に走り、八つ当たりとばかりに魔法使いに皮肉を向けた。


「大丈夫か」

『くくくっ……オウカはなかなか面白いな。お前、1人で戦った方が楽で早かったかもな。あー駄目だ。腹筋が壊れてしまいそうだ』


 オズワルドはまた笑い始め、皮肉が通じない状態だと理解した華音は意識を目の前に戻す事にした。

 先頭を走る魔物は、後を追う桜花をどんどん引き離し、校舎の外壁の角を曲がり切る。

 桜花は曲がる直前で小石に躓いて転び、杖が手から離れて落ちた。


「桜花、大丈夫?」


 駆け付けた華音は桜花に手を貸した後、杖を拾ってその手に握らせてあげた。


「ありがとう」


 桜花は申し訳なさそうな顔で言うと、服や足に付いた砂埃を手で払う。膝には少し血が滲んでいた。

 その事も含め、もう1度華音が労りの声を掛けようとすると、桜花が目をキッと吊り上げて駆け出した。


「今度は絶対に逃がさない!」


 アメジスト色の瞳に、炎がメラメラと揺らいでいた。

 それを横目で見た華音は静かに微笑み、桜花の後を追った。

 ドジで、滅茶苦茶で、迷惑ばかり掛けられているのに、一生懸命だから憎めない。もう少しだけ、彼女を信じてあげよう。





 目が覚めた校長先生はズレた眼鏡の位置を直し、つぶらな瞳をパチクリさせた。

 いつもの様に花壇の手入れをしていた筈なのに、何故気を失ったのか思い出せない。確か、低木の向こうに誰かの話し声が聞こえて、校舎へ行く様に伝えようと思ったところまでは覚えている。

 今日は少し日差しが強いから、一時的に意識を手放してしまったのかもしれない。もう随分と年も取ったし、きっとそう言う事だろうと、校長先生は自分を納得させ、花壇へ向き直る。

 まだ、水遣りの途中だ。ホースを持って、蛇口を捻る。

 透明な水が弧を描いて、花壇へ降り注ぐ。規則的に並んだ、色取り取りの花は心地良さそうに目を細めた。


 カサッ。


 また後方の低木が音を立てた。

 先程の、姿を確認出来なかった生徒達だろうか。

 校長先生は今度こそは、と思い、蛇口を締めて低木に近付く。


「そろそろ教室へ行きなさい――――なっ!?」



「うわああぁぁぁっ!!」



 校長先生の悲鳴が聞こえ、華音と桜花は足を急かした。

 現場は最初と同じ場所で、生命力を奪われた校長先生が横たわり、傍らに生命力を奪った魔物が居た。


「2度も生命力を奪われる事ってあるんだ……」


 華音は、現場状況に唖然とした。


『たまたま近くに居た人間が同じなら有り得るな。それにしても、災難だな。この男』


 オズワルドから笑い声は聞こえてこなくなったが、誰にも窺い知る事の出来ないその表情はニヤついていた。

 他に生命力を察知出来ないのか、魔物は2人を威嚇したまま動かない。

 動き出す桜花の横を通り過ぎ、華音は魔物へ杖を振り下ろす。

 魔物は後ろへ飛び退き、透かさず華音は間合いを詰めて杖を薙ぎ払う。

 杖の先端が脾腹を掠め、魔物は吹き飛ぶ。

 華音は、地面に転がった魔物の喉笛に杖を突きつけて取り押さえる。


「桜花、魔物に止めを!」

「ええ!」


 桜花は表情を引き締め、すぐに詠唱を開始した。

 大気中の火のマナが、術者の周囲に集まる。

 視界の端で炎が爆ぜ、華音は目を閉じた。

 たとえ水の加護があるとは言え、巻き添えだ。しかし、それも魔物を確実に倒す為。腹をくくる。

 桜花は脳内に並んだ呪文を読み上げた。


「焼き払いなさい。ソウルバーン!」


 魔物の頭部に林檎ぐらいの大きさの火球が出現し、破裂。

 魔物の頭部が吹き飛び、華音も風圧で吹き飛んで茂みに落下した。

 離れ離れになった魔物の頭と胴体は2人分の生命力を吐き出し、光となって消滅した。

 魔法使い達がスペクルムへと還った。

 杖から元の姿へ戻った猫の使い魔は毛繕いを始め、烏の使い魔は近くの木で羽を休めた。

 桜花はブレザーとスカートを翻し、顔面蒼白で走る。


「華音! 大丈夫? 無事?」


 茂みに声を掛けると、華音が這い出て来た。無傷であるが、綺麗な黒髪やブレザーは葉っぱと砂埃だらけだ。心配になる見た目だ。

 華音が平気だと伝えようとすると、視界に桜花とは別の、男子生徒の両足が映って硬直した。

 徐々に視線を上げていくと……。


「かがみん、何してんの?」


 金髪タレ目の親友、風間刃が頭に疑問符を浮かべて立っていた。

 華音の額から、嫌な温度の汗が浮かぶ。憑依が解けた後だから、あのコスプレは見られなくて済んだが、この状況は説明しようがない。何がどうなったら、こうなるのか、きっと本当の事を話しても笑われるだけだ。

 桜花は華音を庇う様に刃の前に立ち、己の使い魔を指差した。


「ほら! 迷い猫を捜していたのよ!」

「そ、そう! 猫捜してたんだ」


 必死に、華音も話を合わせる。

 刃は「猫ねー」と、ぼんやりと桜花の指し示した猫を見、首を傾けた。瞳は、疑いを秘めている。

 校内に、チャイムの音が鳴り響く。


「おっと、やべ。桜花ちゃん、かがみん、早く教室行こうぜ」


 刃と桜花が走って行き、立ち上がって体中の付着物を払った華音も、急ぎ足でその後を追っていった。

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