1.乳母マァーサ
「ねぇ、ばぁや、王子様って本当にいるのかしら?」
リリアーヌは、手元の絵本を見ながら、乳母であるマァーサに尋ねた。
それはリリアーヌのお気に入りの絵本で、いわゆる王子様がヒロインと結ばれる、こども向けの童話であった。
「まぁ、リリィ様は本当に、その絵本がお好きですね。
今の王太子様は、19歳だったかしらね。
お城にいらっしゃいますよ。」
「あら、いやだわ、もうこんな時間。
リリィ様、夕食を取って参りますね。」
乳母のマァーサは、そう言うと縫い物を中断し、外へと向かった。
ここから、母屋である伯爵邸までは、歩いて5分は掛かる。
この離れ、(といってもただの丸太小屋であるが)は、伯爵邸の広い敷地のその中でも、1番裏手にあるのだ。
マァーサは、肌寒くなってきた林の小径を進みながら、リリィが誕生した16年前を思い出していた。
その日、キンバル伯爵邸は、朝から上へ下への大騒ぎであった。伯爵夫人であるソレーヌ様が産気付いたのだ。
長男の5歳のアレン様も、
「マァーサ、母上は、母上は大丈夫なの?」
と言って、ひたすら廊下を行ったり来たりと落ち着きなく過ごしていた。
待望のお二人目とあって、その誕生に伯爵邸もいまかいまかと浮き足立っている。
そんな空気の中、午後3時を回った頃には、元気な産声が響いた。
「ソレーヌ様!元気な女の子ですよ!」
屋敷に響いたその声に、固唾を飲んで見守っていた伯爵邸の使用人一同も、皆一斉に頬を緩めた。
生まれた赤子は、薄い金色の髪がくるくると愛らしい女の子で、産婆がソレーヌ様に赤子を差し出す。
幸せの絶頂ともいえる、感動的な我が子との対面、まさにその瞬間、
伯爵邸には、ソレーヌ様の、言葉に絶する悲鳴が響き渡ったのだった。
* * * * *
「リリィ様、今日は美味しそうな煮込みハンバーグですよ。
少し冷めてしまいましたね。」
離れに戻ったマァーサは、お鍋を食卓に置こうとする。
「リリィ様? リリィ様?!」
マァーサは青ざめる。
狭い丸太小屋で、どこを見渡せども、そこに居るはずの人が、どこにも居ないのだった。




