表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/13

1.十回目の婚約破棄


『リディア・ヴァレンフォード子爵令嬢、貴殿との婚約をここに破棄する。』


 婚約者からの二か月ぶりの手紙だった。


 金箔のまじった濃紺のワックスには、正式な王家の紋章が押し付けてある。

 けれど、本来並ぶはずの宮内府書記官長の署名はどこにもない。


 肩の力を抜いて、本棚の奥から小箱を取り出す。

 開くと、同じ柄、同じ封蝋の手紙が九通収められていた。


 一番古いものは、わずかに黄ばみ始めている。

 その上にそっと手紙を重ね、ため息と一緒に再封印した。


 ()()()の婚約破棄通知が届くのは、これで十回目。


………

……


 支度を整え、王宮へと向かう。

 離宮と呼んでも差し支えないほどの奥まった場所に、その部屋はあった。

 渡り廊下を一歩踏み出すと、途端に王宮の喧騒は遠くなる。ヒールの音ばかりがカツカツと反響した。


「失礼いたします、リディア様」


 顔なじみの侍女は慣れた様子でボディチェックを始める。


「後ほど紅茶をお持ちいたします」

「ありがとう。でも、まずはお話をしてみるわ」


 侍女は深く頭を下げて、そして静かに離れていく。


 飴色に磨かれた扉の前に立った。

 背筋を伸ばして、拳を作る。息を吸って――。


「アレクシス・エルヴィア第五王子殿下。リディア・ヴァレンフォードが参りました」

「……何の用だ」


 ため息をかみ殺した。分かり切っているくせに。


「〝お手紙〟の件で参りました。一目お会いしたく」

「帰ってくれ。婚約は破棄する。決定事項だ」


 少し抜けるような発音。低く掠れた語尾に力はない。

 私は木目をぼんやり眺めながら思う。ああ、本当に何度繰り返しただろう。


「――だからこそ、お話を伺いに」

「話すことはない」

「私はあります」

「……」


 ため息をつく。今度は隠さなかった。


「なんだかんだ言って毎回開けるんですから、さっさと中に入れてくださいまし。足が痛いのです」


 ガチャリ、と言い終わらないうちに扉が開いた。

 中から覗くのはこの国の王族とは思えないほどやつれた男。


 荒れた前髪の奥、アイスブルーの瞳だけが静かにこちらを見ている。

 血色の失せた唇は固く結ばれ、上等な室内着が少し余っている――また、痩せられた。


「ありがとうございます」


 私からも扉を引いて、一応の礼儀として一礼しながら部屋に滑り込んだ。


 殿下の後ろには事務机があり、几帳面に積み上げられた書類が目に入る。

 開け放たれた窓から春風が吹き込んで、ベッドの天幕を静かに揺らしていた。

 鼻をくすぐるインクの匂い。お仕事中だったのだろうか。けれど、邪魔されたくないのならあんなものを送らなければよい話。

 

 私は過去九回の教訓によって速やかに手前の丸テーブルに着席し、部屋の主が対面に座るのを待った。


「あ、足。痛くないのか」

「ヒールを履いているとき、基本的にすべての女性は痛みと戦っていますわ」


 テーブルの上には、一口も口を付けずに冷めた紅茶と、同じく手付かずで硬くなったクッキー。

 足が痛いのは部屋に入るための口実だった。そう気づいた殿下がくしゃくしゃの顔をして、けれど逡巡ののち着席する。


「それで、今回は何があったのです?」


 私はハンカチを広げ、その上にクッキーを乗せた。

 目の前の婚約者は、私の問いかけに浅い呼吸を繰り返す。唇が開いては閉じ、眉間に深い皺が刻まれて……それから、ぽつりと呟く。


「二日前――ノエルが、紅茶に毒を入れた」

「……ああ、執事見習いの……まだ少し幼く見えましたが」

「そうだ、だから仕草で分かった。……またグランヴィル派の差し金だ」


 ハンカチ越しに軽く力を掛けると、クッキーは三つに割れた。その中で一番小さい欠片を口に含む。

 濃厚な卵の味とそれを引き立てる砂糖の甘さ……頬がほどけるほど美味しい。


「働き始めて半年も経っていなかった」

「私も、一度ハンカチを拾ってもらったことがありましたね」


 まさに、このハンカチである。花の刺繍を褒めてくれて――私が自分で刺したのだと伝えれば、お嬢様すごいです、と嬉しそうに笑っていた。今思えば、潜入の為のお世辞だったかもしれないけど。


「どう、処分なさったのです?」

「……兄さんの、孤児院へ、そこからまた働き先を斡旋させる。あの子自体は、誰に指示されていたのか、何を入れたのかすら分かっていないようだったから……、」

「一番良い判断だと思います……――アレクシス殿下」

「……なんだ」

「この二日間、何か食べましたか? よろしければクッキーをどうぞ」


 悔しそうな顔のまま、その視線だけが割れたクッキーに落ちる。


 殿下は――エルヴィア王国第五王子アレクシス・エルヴィア殿下は、暗殺未遂があるたび、こうやって婚約破棄の意思を伝えてくるのだ。


「毒味は済んでいますので……何か食べてくださいな」

「……、」

「甘くて美味しかったですよ」


 非公式のそれは、今のところ私の中で握りつぶされている。


※本作は完結まで執筆済みです。

毎日更新予定ですので、最後まで楽しんでいただけましたら幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ