おかえし
「────風邪、ということもないです。突然の寒暖差でやられちゃいましたね」
「そ、っすか……」
斯くして、昼過ぎ。
有無を言わせず……なんて立ち回りは必要なく、素直かつ自主的にログアウトしたソラさんを見送り暫く経った後。時間を置いて俺は四谷邸へと足を運んでいた。
然らば玄関先、当たり前のような顔で出迎え、当たり前のように真っ先に状況を伝えてくれたメイドおよびソラ本人のアポは取得済み。
しっかり選んだような言葉と口調、そして軽い声音に僅かばかり心が軽くなる。
先に文面でも頂戴していたが、やはり顔を合わせて口頭で報告を貰うと安心感が違う。ソラに関してのことで、このメイドが口にする言葉という事実も併せてだ。
「で……ええと、寝てます?」
「寝かせてはいますが、起きていますよ。重ねて、重症ではありませんので」
で、昨日から続けてソラさんの集中特訓日以外の予定を入れていなかったため、こうして迷うこともせず来てしまったのだが────
「……希君?」
「ぁはい」
招き入れるような振る舞いをする斎さんを前に、今更。
本当に今更のこと。『いや邪魔では?』と、逸って見舞いに来るべきだったのか否か……そんな風に躊躇した俺を眺め、彼女は薄く微笑んだ。
「あの子も、私も、来てくれて嬉しいですよ」
そう、薄くとも、優しく。
今や俺の味方にもなったメイドさんが、親しい姉のように微笑むものだから。
「…………うす」
安心して、玄関の敷居を跨がせていただいた。
◇◆◇◆◇
「あの、ほんと、ですからね……?」
「わかってる。そんな様子じゃなかったのは、この目で見て知ってるよ」
結果としてソラさんには普通に会えたし、メイド曰くの『体調不良なれど意気消沈ではナシ』という言葉通り思ったよりも元気そうで安心した。
パジャマ姿、ベッドの上、発熱で上気した顔は完全に病人のソレではあるが、意識も口調もハッキリしているし熱も仮想世界で計った微熱から上がっていない。
昨日からの今日、寒暖差で身体がビックリしてしまったと。
概ね、嘘か真か「こう見えて私、ちょっぴり医学の心得もありますので」とかなんとか言っていたメイドの診断通りなのだろう。
重ねて、ソラに関する発言ということで十割寄りの〝真〟っぽいのが恐ろしい。むしろソラに仕えるためだけに医師免許とか取っていそうまである────と、
『では暫くよろしく』……そう言い残して俺を一人ご主人様の部屋に置いていった斎さんは置いといて、今は目の前で一生懸命に言い訳を終えた相棒だ。
結論、自覚ナシ。別に無理をしたわけでも無茶をしたわけでもないらしい。
それはそう。約束したからな、無理はしないようにって。んで身体に影響が出始めたのがアルカディアへのログイン後だったゆえ、本人も驚いていたわけだ。
つまり、悪い子はいなかった。無症状だったとしても一流のメイドであれば見抜いて然り……などと嘆いていたメイドはともかく、そういうことなら仕方ない。
仕方ないのだから、
「…………ごめんなさい」
「地球が悪い。そりゃ体調も崩すって」
そんな、悲しそうな顔で謝る必要はないんだよと。
発熱以外の症状はナシ。僅かに身体が重いくらいで目立った辛さも無いらしいが、それはそれ体調不良を自覚したのなら気分が落ち込むこともあるだろう。
気持ちはわかる────とは、あまり病を患った経験がないため微妙なところだ。しかしながら、わからないなりに俺の役割くらいは理解している。
顔を見れば、そのくらい簡単だ。
「ソラ」
「はい……?」
なにやらメイドの趣味で、そういった類しか持っていないらしい可憐なネグリジェ姿。その上から暖かそうな肩掛けを羽織ってもなお華奢な少女の身体。
弱っている。その事実を併せて、心がざわついてしまうほど頼りない。
「手、繋ぎたい」
「……、…………」
そんな姿など気にせず頼るように。斎さんが用意してくれたベッド脇の椅子に腰を下ろしつつ、俺は申し訳なさそうな顔をしているソラへ手を差し出した。
布団の上に、掌を上向きにした手を置いて……──位置が悪く配慮が足りず、その下に体温の感触を察し慌てて座標を微調整。台詞諸共、格好が付かない。
「……なんですか、もう」
そんな様を見て、
「そんな、甘えんぼ……みたいな」
「言語化するのは勘弁してくれ……」
熱に浮かされながらも優しく微笑むと、ソラは俺の手を掬い上げてくれた。
「「…………」」
手が熱いし、心臓は落ち着かない。その理由がソラの体温だけでないことを自覚するがゆえ、視線に耐え切れず瞳を逸らすのを許してほしい。────なぜって、
「……ごめんなさい、心配かけて」
「いや、仕方な」
ぎゅうと、繋いだ手に優しく力が籠められる。
「心配、してますよね」
「………………」
そして心は、見透かされている。
知ってた。今更のこと。反射的に誤魔化そうとはしたが、隠し通せるなど思ってはいなかったこと。ソラの目には、果たして今の俺が如何様に映っているか。
おそらくは────
「…………俺の知る限り」
そのもの、酷く不安がる子供のように映っているのだろうと。
「二度目、だからさ……」
元気そうな顔を見て、安心した?
────馬鹿を言え、そのくらいで安心などできるものか。
ソラは以前、数ヶ月前。クリスマスの時期にも体調を崩している。その時だって大層心配はしたものの、今日と同じく散々メイドから『大丈夫』と言葉を預かり一応は納得して見守った。そうして、一旦は不安と疑問を心の奥へ押し込んだ。
だって、そうだろ。
今、俺たちが生きる現実世界には……────ひとつ、嘘みたいな事実が。
突発的な感染症などを除いて、アルカディアプレイヤーが疾病を患うことは、ほぼ起こり得ないという極めて非現実的な現実が、存在しているのだから。
わかってる。あくまで『ほぼ』であり、可能性がゼロではないことは。
わかっている。何事にも例外が存在するであろうことは。
けれども……けれども、だ。おおよそ三ヶ月の間、短いとは言えないが長いとも言えないスパンで二度。他人から移された感染症の類ではない異常。
それが、ソラの身体に起こったということが……。
幼い頃から身体が弱かったという少女の身に起こった事実が、堪らなく不安だ。
別に魔法の箱舟【Arcadia】を、その理解が及ばぬ様々な機能を妄信しているわけではない。わけではないが、実際に成されてしまっている実績を無視できない。
「……ハル?」
「っぁ、ごめん」
気付けば、俺の手にも力が入っていた。
名前を呼ばれ、痛かったかと反射的に慌てて放そうとするが……少女の華奢な手は、怯えるように退こうとする手を逃がさない。
「…………そんな顔、しないでくださいよ」
「どんな顔してる……?」
本当に、どんな顔をしているのやら。自分では普段通りの澄まし顔をしているつもりだが、そんなもの形になっていないことくらいは察せられる。
困ったように笑むソラの方が、よほど普段通りと言えよう────
「大丈夫」
然して、クイと……否、それなりに強い力で、グイと手を引かれた。
片や半身を起こしてベッドの上、片や隣に置いた椅子の上。目線の位置は同じか俺の方が少し高いくらいだったのに、まるで引っ張り上げられるように。
「っ、あぶ、ね……!」
現実世界だ。俺の身体は超人でもなんでもない。
唐突な力に、それが例え少女の戯れであろうと簡単にバランスを崩され、思い切りベッドの上へ……ソラの上へ倒れ込みそうになった身体を支える。
両手で。
つまり、いつの間にか俺の手を放していたソラの片手が、
「大丈夫、ですから」
もう片方の手と合わせて、自分の方へと招き寄せた俺の頭を優しく抱いた。
「ぇ、ちょッ……!?」
柔らかな感触、
「ソラ、おいッ……」
火傷しそうな体温、
「こら、流石……に…………」
それら全部────確かに、力強く命を刻む、胸の鼓動に押し流される。
身体から、思考と緊張と力が一息に抜け落ちた。
「「────────…………」」
そうして、そのまま。どれくらい時間が経ったのやら。
「…………体勢、辛くないです?」
「…………腰が、ちょっとしんどい」
なんでもないようなことを言い合って、一緒に似たような笑いを零して……そっと、身体を離す。涼やかに感じられる暖かな部屋に、上回る熱気が逃げていく。
「……え、へへ」
斯くして、照れくさそうに微笑んだソラが、どういうつもりで手を離し身体を離したのかは定かではないが……ほんのり満足そうな、その顔を見るに。
「大胆なこと、しちゃいま────っぇう……!?」
抱き締め直すために身体を離した俺とは、珍しく心が通っていなかったようで。
文句はあるまい、お返しだ。
「は、ハル……? ぁ、あのっ……」
そうして、
「あの、あの…………」
少しずつ、
「え、と………………」
言葉と戸惑いが散っていく様は、笑ってしまうほど『お揃い』だったが。
まあ、そんなことは今どうでもいい。
「……正直に、言っていい?」
「は、はい……」
「メッチャ怖い。マジで大丈夫なんだろうなって、メッチャ疑ってる」
「………………あ、はは……」
今は、もうとにかく不安を曝け出させていただく。
格好付けてる場合かよと。もう無様でも何でもいいからフリではない安心が欲しい一心で、先の俺と同じように力と緊張を手放して身を預けるソラに言った。
親や姉に、我が身のためだけの我儘を言う子供のように。
「……です、よね」
斯くして、答えは『当たり前』と自分に呆れるような声音と、そっと俺の背に回された両腕の熱。病人に何させてんだろうって思わなくもない。
けれども、ソラも、斎さんも、二人して『大丈夫』なんて言うもんだから。
いまだに〝事情〟を知らない俺の身にもなれと、怒ったって許されるはずだと。
「…………ここ、でしたよね。ハルが、ハルのことを話してくれたの」
そうした想いから、生まれた問いは────
「それに、それで……私も、そろそろ」
背中を辿り、首筋をくすぐり、優しく俺の頭を撫でた少女の心に。
「お返しをしないとって、思ってました」
自分たちのことながら、今更のように。
長い長い時を経て、どうやら届いてくれたようで。
「────ハル」
名前を呼ばれて、心を向ける。身体に回した腕は緩めず、身体は離さず、そのせいで視線で答えることすら叶わなかったが、返事は確かに渡せたはずだ。
「今から、あの……お話、しますけど。変な子だって、思わないでくださいね」
だから、俺の言葉を待たずに頷いて話し出したソラに、以降も声は要らないだろうと甘えるまま静かに聴く。やはり、俺より余程〝いつも通り〟を保つ声音を。
そういう、話なんだと。
決して心配は要らない話なんだと、言い聞かせるように。
「お父さんの許可も、貰っていますし……」
ぽつり、ぽつり。
「ぁ、二人で勝手に会って『お話』した件も、聞きましたからねっ」
まだ俺には察せられない言葉や、お叱りの言葉も、
「それは、後で別件としてハルからも聞かせてもらいますけ────ど……」
いじらしい俺への気遣いと受け取って、努めて優しく両腕に力を籠める。
心は、全部が伝わっているはずだ。囁くような微笑の吐息が首元をくすぐると共に、絶えず俺の頭を撫でていた小さな手が落ち着くように背中へ下りる。
そうして、数秒。
「……私」
僅かばかりの静けさを、最後に差し込んでから。
「────六年前からの記憶しか、持ってないんです」
ソラは、なんでもないことのように、自分を語り始めた。




