トラウマ
────さて、さて。
呼ばれて請われて満更でもなく〝修行〟に付き合いはしたが、俺は俺で自らに課すべき〝特訓〟もとい向き合うべき業というものが今に在る。
ゆえに友とは暫く駄弁った後に解散し、不意に飛んできたニアからの「いまひまー?」という甘えたそうな声音にも断腸の思いで「いまだめー」と返しつつ……。
「…………………………やれんのか、俺。……やれんのか?」
神創庭園中央街区【セーフエリア】より真北へ五百キロ地点。即ち最も近場に存在する巨大湖の前へ、俺は単身にて決死の覚悟で赴いていた。
なにするつもりかって、そんなもの決まっている。
「…………………………………………………………や、やれんのか……?」
あの大渦へ、飛び込んでみようと、そういうわけだ。
別にトラウマを押して唐突にトチ狂ったわけでも、過去の恐怖に縛られる自らの弱さが突如として赦せなくなったわけでもない。そう、単純に……──
────仮に私が【青源の深域】攻略に同行依頼を出したとして、
────お前が受ける確率は……どれくらいある?
天邪鬼から頼りにされて、何も試さぬ内から『No』を告げたくなかったから。
……頼られたら誰が相手でも嬉しくなっちゃうとか俺チョロ過ぎだろと思わんでもないが、応えたくなってしまうのだから仕方ない。そういう性質なのだ。
損な性分と嘆くべきか自分を褒められる点とポジティブに考えるか、自由に選べるのであれば今の俺は後者を選ぶ。存分に長所として誇っていこう。
「…………スゥ────────────っ……よし、アレだ」
誇って、ゆくために。
「地面が、無い、遠い。それは水中も空中も変わらねぇ。つまり水中は空中と言える(?)し、空中なら俺の庭も同義。つまり水中も実質的には俺の庭だな(?)」
男、春日希。
「うん、よし……────庭なら散歩くらい訳ねぇよなぁッ!!!(???)」
今この時、己が心に棲まう恐怖へと立ち向かわん。
然らば、いざ無駄に《天歩》起動。
無駄に大袈裟な挙動で無駄に高々と上空まで跳ね上がり、無駄に身体を乱回転させて無駄アクロバティックに雲を千切る。そして一足で辿り着き得る頂点より、
「い、くぞ……オラァッッッ!!!!!」
再点火の《天歩》ダイブ。瞬時に天へ、そして瞬時に地……ではなく、水面へ。
真っ暗な真円の巨大湖、その中央にて二つ目の円を描く大渦の更なる中心部、見慣れた輝きを以って在る光の集合体────異空間の入場口へと、
俺は百割ヤケクソの体で、突入した。
◇◆◇◆◇
────幼い頃、海に落ちたことがある。
何かしらの用事があってのことだったらしいが、家族で北海道へ旅行(?)に行った際の話。大型船舶での船旅を終えて辿り着いた港で……まあちょっとした事故に遭い、不運が過ぎる哀れな五歳児が一人で海面へ真っ逆さま。
端的に言えば乗客の昇降用である橋から突き落とされた形なのだが……ちょっと詳しく言葉にするのは憚られる恥というか、子供特有の無鉄砲が災いの根源。
つまり家族をぶっちぎって先走った子供を、通りすがったマダムの足が小突いてしまったというだけの話。過去でも今でも、どっちが悪いとかは考えていない。
俺も俺でガキにしてはギリギリ理性を保って家族から離れ過ぎない距離には納まっていたし、マダムもマダムで大人の波に埋もれたチビ助が橋の途中で突然に立ち止まるとは思っていなかったことだろう。
なんで立ち止まったんだっけかな……まあ大方、一人で人波に揉まれて心細くなったとかだろう。自己擁護のようになってしまうが、子供なんてそんなもの。
過去の俺も含め、奴らに合理性などを求めてはいけないのだ。
そんで、絶妙に『類稀なる不運および奇跡が噛み合えば小柄な幼児がギリ擦り抜けてしまうかもしれません』程度の〝穴〟が橋に存在していたのがトドメ。
どんな不運および奇跡だよと自分でも思うが、俺は見事に擦り抜けた。
然して、ドボン────というか、ドパァンッ! 当然ながら碌に受け身も取れず高所から落下。よくまあ幼くして気を失わなかったものだと感心する衝撃を経て海面を突破、そのままパニックになった俺の身体は水底へ。
夏だったから水温的な意味で命拾いしたとか、瞬時に異常を察知した『家族』が他二人を置き去りに、柵を乗り越えて助けに飛び込んでくれたとか。
諸々の幸運と救いがあって無事に生還したわけだが……幼い俺の記憶に刻み込まれたのは、どれだけ藻掻いても下へ下へ身体が沈んでいく絶望的な感覚。水中に差し込む陽の光で色とりどりに輝きながら手招きする、毒々しい海藻の森。
そして目前。数センチの距離を悠々と過ったデカい魚の、感情が無い目玉……。
以来、俺は『〝なにか〟が居る水中』というのが全てダメ。水単体、魚単体などであれば特に何も感じはしないが、それらが合わさるとマジで無理。
いつだか赴いた水の大精霊の秘境なんかは『生物』というか『現象』みたいな連中ばかりだったこともありギリ堪えられたが、それでもまあキツかった。
────ゆえに、
「………………………………………………………………………………、」
【青源の深域】……天邪鬼や聖女様より『えげつない』のが居ると情報を受け取っている水中へ身を投じて三秒。俺は冗談抜きで吐きそうになっていた。
見渡す限りの、真っ暗闇。されどもアバターに備わる超視力ゆえか、あるいはダンジョン環境が用意した慈悲ゆえか、ほんのりとならば見通せるのが逆に猛毒。
浸み込んでくる、甚大な拒否感が。
抱き潰してくる、水の冷たさが。
這い寄ってくる────〝なにか〟の、気配が。
「…………、……、……………………ッ……!」
水属性限定魔法出力向上、および特殊環境つまり水中での適応能力を付与するスキル《水精霊の祝福》は、間違いなく確かに発動している。間違いなく。
だから俺は凡百のプレイヤーと比較して遥かに容易く水中を泳ぎ回ることができるし、呼吸だって遥かに長く止めていられる────けれども、関係ない。
仮想世界の身体は、現実世界のソレよりも顕著に精神と連動する。
動かない。瞬時に湧き上がり沸き上がった冷たくも灼熱の怖気が、この世界に在って誰よりも速いと自覚する俺の身体を石にする。まさに、水中の、石だ。
藻掻くこともできないまま、ただただ静かに無抵抗に、沈んでいく。
斯くして、
数を数えるくらいしか能の働かない俺の肌を、水流が撫でる。
静謐に満たされていた水に生まれた流れが、俺の肌を撫でた。ならばそれは、水に流れを生んだ〝なにか〟が俺の元へ近付いてきたことを意味しており────
ソレが、ついに、暗闇の中から顔を出し
「──────ッ゛ぁ……ぃ、ぇ………………あぁ……?」
そして、目覚めた俺の瞳は。
「………………………………………………えぇ……?」
何らかの異常を検知した【Arcadia】が、先日のアレよろしく強制的にログアウト処理を実行したのか。あるいは、自分でも気付かぬまま非安全地帯での強制ログアウトを断行したのか……わからないし、覚えてもいない。
然して、仮想のモノではない冷や汗に塗れながら。機械仕掛けの寝台その天井こと開閉カバーを、己が現実の肉眼にて呆然と眺めて暫し。
「…………………………………………そんなか……? 俺よ…………」
零れた声音を嗤ってくれる者など、この場には存在しなかった。
そんな危ないフェリーありますぅ? って思うじゃん?
あるんですぅ(身内一敗)




