39.自然な反応
清涼な山の空気と、温かい日差し、鳥のさえずり……は聞こえないか。ともかく朝には違いない。
ぼくはアンジェリスをそっと抱えて小屋に入った。彼女は話している途中で突然寝る。眠気と戦うんだけど全く抵抗できないところが見ていて面白い。教えられた通り両手でしっかりと抱きかかえる。首根っこを持ったり、小脇に抱えたりはしてはいけない。そうすると女性は傷つくからだ。人前でするとなお悪い。恥ずかしいことだからだ。
「おはよう」
ぼくはアンジェリスを寝かせて、寝ている二人を起こした。
「あと五分……」
「うん」
多少のわがままは聞く。お姫様のように扱わないといけない。
あと何だっけか。褒めたらいいと言ってたな。
「ふぁぁぁ……ん……、おはよう、コルベット君」
「おはようロラス、今日も一段と美人だね」
「……およよ、寝起きを褒められましても」
「コォルクゥン!!! 私は!!?」
飛び起きたルカは胸元がはだけている。全く、少しは気にしなよ。いや、女性の身体はじろじろと見たらいけないんだった。ぼくは目を逸らした。
「ええっ!……ロラスだけ贔屓しないで」
「どうもすいません」
「敬語やめてー」
う〜ん、聞くとやるとじゃ違うな。難しい。
思ったことを素直に言えばいいわけではなくて、相手が言って欲しいことを察するんだった。
「ルカは寝てていいよ」
「いや、起きます! 起きましょ!!」
ルカはそのまま身支度を始めた。山の中なのだから化粧なんて必要ないのに。でもこういう女性特有のこだわりをちゃんとありがたいと思うのも大切だと言われた。女性が化粧したりおしゃれしたり歩きにくそうな靴を履いたりするのは、簡単でも快適でもない。それに敬意を払うべきというのを熱心に教え込まれた。
「ねぇ、ルカちゃんそれなに?」
「ロラスも試してみる?」
敬意の払い方はいまいちわからないから、化粧が済んだら褒めよう。
ぼくは外で朝食の準備を始めることにした。
「『索敵』」
意識的に周囲を探索した。ぼくの今の五感は意識を集中すればかなり遠くの生き物の様子まで把握できる。
おかしい。いることにいるけど鳥とか動物がここを中心に遠ざかっている。まるで、ぼくを避けているみたいだ。
《自然の法則に反しているから、警戒してるの。それにステータスが高いからみんな怖がってるよ。もっと自然に溶け込まないと大変なことになるよ》
「自然に溶け込む?」
神様のヒントはそれだけだった。ぼくにどうしろと言うんだ。それ以上を聞くと『お願い』になりそうだからやめておいた。
「ん? あっちに誰かいる」
小屋のすぐそばの木の上。
寝ているお兄さんがいた。髭と髪がぼさぼさ。でもちゃんとした服を着ている。起こさないように遠巻きに確認した。
もしかして、小屋に入りたかったけど遠慮したのかな。三人女性がいたから。だとしたらこんな危険なところで寝かせてしまって申し訳ないな。そうだ、朝食をごちそうしよう。
ぼくは小枝を何本か拾って、昨日ロラスたちが水を汲んできた清流へ向かった。少し離れた崖の上から、川魚目掛け枝を投げ込んだ。
ぼくの気配を察知する前に魚は枝で串刺し。保存用にする塩はあんまりないから今食べる分だけにしよう。六尾仕留めて、川に下りた。やっぱりぼくが近づくとすぐに魚がいなくなった。確かにこれは面倒だ。
山小屋に戻ると二人がバッチリ化粧して待っていた。
「えと、二人とも、よくできてるね」
「言葉のチョイス!!」
「あはは、コルベット君無理して褒めようとしなくていいよ」
「無理してないよ。ただ、上手い言葉が見つからないだけで」
でも正直二人は元からきれいな顔をしているから化粧をしてもあまり変わらない。強いて言えば色っぽくなった気がするという感じかな。
「強いて言えば色っぽい、気がする」
「うん、ありがとう」
なんだか間違ってる気がする。でもロラスはお礼を言ってぼくの頭を撫でた。今のうちに甘やかされておこう。夜になったら厳しい先生に色々指摘されるだろうから。
「コル君、それはつまり、抱きたいってことだね?」
「いや全然」
「君の解釈まで独特だとややこしいなぁ。さぁ朝ごはんにしようね」
話していて準備が遅れたらいけない。ぼくはさっと魚の下ごしらえをして焼いた。
「六尾もいるかい?」
「うん、一尾はあっちにいるお兄さんにおすそ分けしようと思って」
「お兄さんって、誰?」
「監視されてたのか」
「なんでもっと早く言わないの!」
怒られた。あの人はぼくらを監視してたのか? なんでだ?
二人はすぐに駆けて行った。
少ししたら、ルカとロラスがお兄さんを連れて来た。
「おかえり、ちょうど焼けたよ」
「やっぱり監視してたみたい」
お兄さんはいかにも山男のような長袖長ズボンに鉈を腰から下げていた。
「なんで監視だと分かるの?」
「あんなことがあった後だから、警戒して当然でしょ。それにコル君のことに興味を持つ人は多そうだし」
「この制服は帝国軍のものだよ。正規軍じゃないから多分近くで兵役に就いたんだろうけど、あの位置はやっぱり監視だね。退路まで確保してあったし、痕跡を消してた」
「監視してたの? なんで?」
軍人なのに一人で、鉈一本持って監視。しかも寝てたし。
「……分かった、正直に話すから暴力はやめてくれ。おれは確かに帝国軍に所属している。なぜここにいるのかを話そう。あれはもう五年も前になるか」
「あ、それはいいです」
「え、そうか? なぜ監視をしていたかと聞かれれば、なぜ監視されないと思ったのか問いたい」
「大喜利じゃないんだから、サッと答えなさい。じゃないと折るわよ」
お兄さんはビクつきながら話し始めた。
ロムルスから上がる火の手、その後山を駆け上がるぼくたち、山から消えた生命の音。異常事態だと考えて監視していたらしい。
「ああ、うっかりしていたよ。コルベット君、そんな気配を垂れ流しにしていたらそれは怪しまれるね」
「怪しいだけじゃないぞ、この先の谷にはモンスターが溢れている。そこにこのままいくとなればモンスターたちが大行動を起こす。そうなったらおれのいた村もお終いだ」
「ごめんなさい」
原因はぼくだった。
モンスターまで刺激しかねないというのなら、ぼくはどうすればいいの? このままじゃ山を下りられない。
「『潜伏』を使えばいいんじゃない?」
ルカがぼそりとつぶやいた。
やってみた。
「確かに、周囲への気配は消えけど、近くにいる方が辛くなったね」
「君は人間か?」
ロラスはぼくを見て冷や汗を流す。
お兄さんはぼくの沈黙で顔を蒼くした。
ルカは『フレー、フレー』と独特の掛け声で応援している。
「じゃあ、このくらい?」
ぼくは折りたたんだ気配を少し緩めた。大部分は上へ向けた。
「落ち着いたね」
しばらくすると、鳥の鳴き声が聞こえてきた。
もしかしてぼくはずっとこれをキープしないといけないのか。面倒だな。
「教えて下さってありがとうございます。これ、良かったらどうぞ」
はじめ警戒していいたお兄さんは魚を受け取ると、意を決したように口に含みがつがつと食べ始めた。
「なんだこれは! ただの焼いた川魚がなんでこうも美味いっ!?」
「魚がおいしいからじゃないかな」
「いや、おれは五年近く同じものを何度も食べて来たんだ! こんなに上手く焼けなかった」
焼き魚一つで大げさな。でも五年も一人で山にいるのか。話を聞くと仕事で失敗してここに左遷された後、何も起きないロムルス方面を監視する毎日だったようだ。
「山は、住んだことのない奴はいいところだ空気がきれいだと言うが、人里で生まれ育った奴にとってはどうしようもなく退屈でな」
「わかる」
「いや、わかられてたまるかボケナス! こんな美人たちを連れて、おまけにこんなうまいもんを作れるなんてなんて素晴らしい人生なんだ!!」
「そ、そう?」
「ああ、うらやましい! 監視していたのも、若干の嫉妬があったのは確かだ。お前が極悪人だったらなぁとさえ思った!」
そんなことを言われても。確かに今は恵まれているけど、ぼくも結構大変な目にあって来たんだけど。
「そんなに嫌なら仕事辞めたら?」
「いや、村に妹がいてな。おれが仕事を放棄したらきっと迷惑がかかるし、金も支給されなくなる。ただでさえ迷惑を掛けてここに来たのに、この上兄の不名誉であいつを苦しめたくない」
立派だ。
ただのずぼらな山男にしか見えないけど、この人はちゃんとしているんだ。
「ああ、あなたたちを見ていたら妹のことを思い出したよ。いや、似てるからなんて失礼なことではなく、あいつも村では一番のペッピンと言われていてな。いや、本当にあなたたち程美しいというわけではなかったんですが」
「まぁ、美しんだなんて、そんな本当のことを」
「いや本当に、おれにもとうとう豊穣をつかさどる女神が見えるようになったのかと思いましたよ」
「豊穣じゃないけど、まぁ間違ってないわね」
これも、褒めてるんだよね。誰かと比べたり、何かに例えたりするといいのかな。
「では美の女神でしょう。昔遠征で都市に行った時に美しい商家の貴婦人を見ましたが、あの時の感動が獲るに足らないことのように思えます。それに私は冒険者をしているエルフに二度三度あったことがありますが、あなたのような可憐さと清廉さは無かった」
このお兄さん、ぼくと話すときと口調もちょっと違うな。よくこんなに色々褒めることができるな。
ああ、そうか。ぼくには比べるような美人に出会った経験も、例えにするような表現力も無いんだ。だからうまくいかないんだな。
「あら、それで終わり?」
「え? いや、まさに芸術家が打ち出した最高の彫像ですら霞む美しさ! 彼らの前にあなた方が現れたのなら、きっと彼らは美の追求を諦めることでしょう。なぜならその答えはここにあるのだから」
「ふーん、それから?」
「ルカちゃん、もういいよ」
誉め言葉を欲するルカをロラスが止めた。
お兄さんはスッと立ち上がって、丁寧にお辞儀しながら妙に低い声で囁いた。
「こうやって出会ったのも何かの縁。私の小屋にまでお二人をお連れする名誉に預かれれば、この退屈な日々も艶やかになるというもの。どうかぜひ!」
「……」
「……だってさ」
ぼくを見る二人。
その意味を少し考えた。
ぼくにどうして欲しいかってことか? ぼくは考えた。二人がお兄さんと楽しくおしゃべりをする。ちょっと気に喰わない?
お兄さんの身だしなみが気に入らない。それに目線もイヤらしい気がした。
さっきまで立派だと思っていた人が、とてもうっとうしく邪魔に感じた。
「お兄さん。小屋に行って二人とおしゃべりするだけなら、ここでもいいよね?」
「え? いや、その……景色がホラ」
「まさか彼女たちにあなたの小屋まで歩かせる気なの? あなたとおしゃべりするために?」
ぼくは無意識に遠回しな言い方をした。行って欲しくないからじゃなくて、行く必要がないと言いたかった。理由はたぶん恥ずかしいから。
「はは、そう警戒するなよ。君はこのお嬢さんたちの護衛か何かなのか?」
ニンマリと人当たりのよさそうな愛想笑いでお茶を濁そうとするお兄さん。でもぼくは護衛と言われてなんだかムキになった。
「大切な仲間で、友達で、家族でもある。ぼくから奪う気なら、山がまた静かになるよ」
笑顔は消え、冷や汗を掻きながら、お兄さんは立ち上がった。お兄さんは二人の方を見てハッとした。
「くそう、こんな寂しい男を当て馬にするなよな」
何やらぼそぼそと言いながら去って行った。
ぼくは二人の顔を見られなかった。くそう、家族と言うのは言い過ぎだったかも。二人がそこまでと思ってなかったらと思うとなんだか、恥ずかしい。
でも三人で焼けた魚を黙って食べている間、ちょっと二人の顔を見た。
なんだか随分と魚がおいしく感じた。
だいぶ悩んで書き上げました。評価・ブクマ・感想なんでもいいので反応をいただきたいです、切実に。




