第4話 夢をかなえるために生きてる
私は、溶けて水になってしまうんだと思いました。
……。
と、何かが私の顎を起こしてきます。
水?
と思ったら、違いました。
魚?
いいえ、大きな黒っぽい生き物。
……アシカです!
「デッカ?」
「……」
「チッチャ?」
「はい! いますよ!」
その声を、私は、また、はっきりと聞きました。
「チッチャ! またチェリー川に来たのね! あのね、チッチャ、私とリクちゃんは、あなたを、チッチャじゃなくて、デッカって呼ぶことにしたの」
「なに、それ?」
「あ! ごめんなさい。勝手に名前を変えちゃって……」
「チッチャとか、デッカとか、うっとうしいのよ。私は、私。私は、チェリー川で泳いで、亜鹿選手になるの」
「なに、それ?」
「なに、それって、あなた、私の真似しないで。あなた、オウムじゃないでしょ」
「ああっ。ごめんなさい。アシカ選手って、なあに?」
「漢字で書けば、亜細亜の亜に、鹿せんべいの鹿。私のこれからの姿よ」
「アシカせんべいが?」
「違うー! 亜鹿選手よ、亜鹿! あなた、漢字ドリルやってないわね?」
ううっ……。
私は、うつむき、うなずきました。
確かに、漢字ドリル、やっていません。
嫌いなんです、あれ。
面倒くさいし、つまらないし……。
「私は、オリンピック代表になるの。そのために、私はチェリー川に来たのよ」
「オリンピックのアシカ選手なんて、あるの?」
「もーっ! だから、バカとは話したくないのよ」
なんか、ひどい言われようです。
水の中でも、悪口を言う人は、いえ、アシカはいるようです。
私は、ちょっとだけムッとしました。
ちょっとだけ。
「いい? よく聞きなさい」
チッチャは偉そうに言います。
「あなたの知っていることが、みんな、正しいこととは限らないの。この世界は、あなたが考えているより、ずっと広いのよ」
「それはそうね。私もそう思う」
「うん。素直でいい」
「それで、チェリー川で泳ぐと、オリンピックの代表になれるの?」
「また何言ってるの。ただ泳いでなれるわけないでしょう。この川で、私は血のにじむような努力をするのよ。今までだって、私は、拍手に、ポーズ、キャッチボール、バスケットボール、輪投げ、輪くぐり、書道、お絵かき、計算問題、漢字の読み書き、みんな、できるようになったの。がんばって、がんばって、がんばったからよ」
「すごーい! どうして、そんなに、がんばれるの?」
「夢があるから。私は夢をかなえるために生きているの」
「ホントに、すごい……」
「ふっ! あなたみたいな小鮎に言われたくないわ」
「え! 私、アユっていうの! チッチャ、私の名前、知ってたの?」
「知るわけないでしょ。あなたは稚鮎でも若鮎でもない小鮎だなと思ったから、そう言ったまでよ」
「子供のアユってこと?」
「それは稚鮎。小鮎はね、稚鮎、若鮎って呼ばれる鮎とは、また別の種類の鮎」
「そうなんだ……」
「あなた、何にも知らないのね」
「えへへ」
私は、ちょっとだけ照れました。
ちょっとだけ。
「小鮎は、生まれたところで一生を終える小さな鮎なのよ」
「それで、私は、小鮎?」
「そう。あなたは、チェリー川で、何にも考えないで、ただ、泳いだり、溺れたりしているだけでしょう。それだったら、オリンピックの亜鹿選手になんて、なれるわけない。ううん。代表の補欠の補欠の補欠にも、なれないわ」
「ううっ……、私の泳ぎは、だめなのね……」
「ああっ……、うーん……、あなたは、まあ、そこそこのセンスの持ち主ではあるから……。補欠の補欠の補欠くらいにはなれるかも」
「チッチャ。私の泳ぎ、見てくれたの?」
「見たわよ。お尻のフグも。……フグ。いいわね」
「わぁっ! ありがとう!」
「何よ! いいのは、お尻のフグ! あなたの泳ぎは、私の泳ぎに、徹底的に負けるわ」
「ううっ……、やっぱりアシカ選手には負けちゃうのね、徹底的に」
「あったりまえでしょう! あなたは、泳ぎの楽しさしか知らないもの」
「え? それじゃ、だめなの?」
「私は、その先にある、苦しみ、つらさも知ってるの。そうしてまたその先にある楽しさ、喜びも知ってる」
「苦しい先に、また楽しさとか喜びとかがあるの?」
「あるわ。それは、経験したものにしかわからない」
「ああ……、そうなのね……」
「いいのよ。あなたは、ここで、何にも考えないで生きていきなさい。私は、亜鹿選手になって、世界に羽ばたくから」
……。




