第2話 自分でちゃんと気をつけなさいよ
「くそっ……」
グリズさんは怒りの持っていき場がないようでした。
ブーッとまた鼻息を荒げます。
右手でこぶしをつくり、それを左の手のひらに打ちこみます。
パンと乾いた音がしました。
そうして、「スジコ丼、スジコ丼」とぶつぶつ言いながら、その場を行ったり来たりします。
ああ、グリズさんは、スジコ丼を、本当に、本当に、食べたかったんですね。
スマホのスジコは、ルビーのようでしたものね。
グリズさんは、その太い首を、長く、長く、ながーくして、待っていたんですね。
俺の体は、スジコ丼を食う体になってんだよ!
その気持ち、私もわからないではありません。
私だって、朝、学校に行く時、お母さんに、「夕飯は、アユの大好きな野菜コロッケよ」と言われたら、そうなんだぁ、野菜コロッケなんだぁ、と学校で一日中、野菜コロッケ、野菜コロッケ、野菜コロッケ、とずーっと楽しみにしていて、夕飯までには、すっかり野菜コロッケを食べる体になっていますから。
「俺が悪かった。つい、かっとなっちまって」
グリズさんは、ようやく落ち着きをとり戻した様子です。
また、さわやかなイケメンになっていました。
白い歯を見せ、笑います。
でも、何か、そういう変わり身の早さって、ちょっと、こわいようにも、ずるいようにも、私には感じられました。
「リク。ごめんな」
グリズさんは、軽く頭をさげました。
「はい」
リクちゃんは、うなずき、にっこりとしました。
胸のマントヒヒは、しわくちゃです。
でも、リクちゃんは、いつも通りの澄んだ笑顔。
と、そこで、私は、カッパーさんの言葉を思い出しました。
━━うっかりや失敗っていうのは、誰にでもあるから━━。
━━自分が失敗しちゃったら、反省すればいいし、誰かが失敗しちゃったら、許してあげればいいんだよ━━。
私は、リクちゃんは偉いなぁと思いました。
そうして、私も、グリズさんを、悪く思うのはよそうという気持ちになれました。
グリズさん、謝ってもいるんだし。
そこで、私は、スカートのポケットの中の一万円札を思い出しました。
「グリズさん、お金です」
一万円札を、グリズさんにそっと差し出しました。
と、グリズさんは、私の手にあるお札をただじっと見つめるだけで、なかなか受け取ろうとしません。
「おにぎり、いくらだったんだ?」
「ジョンソンさんが、お代はいらないって言ってくれたんです。そんな、悪いですって、私もリクちゃんも言ったんですけど、ジョンソンさん、受け取らなくて」
「そうか……」
グリズさんは、ようやく、お札を手に取りました。
「これ、俺が渡した札か?」
「そうです」
「なんで、こんなに折れてんだ?」
「えっ……」
「俺は、自分の札を折らない主義なんだ」
「ああっ……、ごめんなさい……」
これは、私が謝るべきなのでしょう。
なにしろ、お札を折ったのは私です。
それにしても、お札を折らない主義があるなんて……。
「仕方ねえな」
グリズさんは、ひとつ、吐息をもらすと、たたまれていたお札を、大きな手でひろげ、黒革の長い財布の中に収めました。
私は、それを見て、ああ、お札を折らないから、あんな長い財布なんだと気づきました。
でも、あんな長くて重そうな財布、私はとても使えないとも思いました。
スカートのポケットにいれたら、その重さでスカートがずり落ちてしまいそうです。
デニムのポケットにいれたら、あっという間に、スリに盗られそうです。
もっとも、いつも、千円札一枚くらいしか持たない私ですから、ああいう財布は、そもそも必要ありませんね。
「アユ。倒れたんだって? 大丈夫?」
お姉ちゃんが、そっと私の肩を抱いて、言ってきました。
いつの間にか、リクちゃんが、お姉ちゃんに話したようです。
「うん。緊張しすぎて、心臓がドカドカしただけ」
「『だけ』じゃないわよ。あなた、もう中学生なんだから、自分でちゃんと気をつけなさいよ」
「うん。気をつける。高校生になっても気をつける。大人の魅力的な女になっても気をつける」
「ふざけないで!」
ふざけてないのに……。
私がこくりとうなずくと、お姉ちゃんは自分の気持ちをしずめるかのように、ちょっと間をおきました。
「……。アユ、ごめんね。あなたたちふたりを買いに行かせて、私、責任、感じるわ」
「私はいいよ。謝るなら、リクちゃんに謝って。あと、お礼もね」
「そうね」
お姉ちゃんは、リクちゃんに歩み寄ると、
「リク君。ごめんね。それと、ありがとうね。アユも、お世話してもらって」
丁寧にお辞儀しました。
「そんな! 俺は、アユちゃんのお世話なんてしてません」
リクちゃんは、大きく、頭を振りました。
やさしいリクちゃん……。
私が思っていると、
「リク! 食おうぜ!」
グリズさんが声をだしました。
紙袋の中の、ラップで包まれたおにぎりを、リクちゃんに手渡します。
「あっ! ありがとうございます」
「コウちゃんも、アユちゃんも」
グリズさんは、お姉ちゃんと私にも、おにぎりを一個ずつ、くれました。
お姉ちゃんも食べるようです。
ここは、お腹すいてないからなんて言わずに、食べるところですよね。
私もいただきます。
私たちは、川の水に、すぐ手がとどくほどの岸辺に四人、並んで座りました。
自然の中での食事です。
グリズさんの希望がかないました。
よかったです。
「うめー!」
上半身、裸のグリズさんは立ち上がると、肘を曲げ、左右のモリモリの腕の筋肉をだしてみせました。
手首も曲げ、ボディビルダーのポーズです。
リクちゃんも慌ててマントヒヒTシャツを脱いで、グリズさんのようにボディビルダーの真似をして、
「うまーい!」と声をあげました。
私は、もちろん、脱ぎませんでしたけど、やっぱりグリズさんのようにボディビルダーの真似をして、声をあげました。
「うめー!」
お姉ちゃんも、もちろん、脱ぎませんでしたけど、かなり恥ずかしがりながら、グリズさんのようにボディビルダーの真似をして、半ば、やけくそ気味に声をあげました。
「おいしー!」
私も、リクちゃんも、グリズさんも大笑いしました。
お姉ちゃんのボディビルダーのポーズが一番うまかったんです。
それはそうと、ジョンソンさんの、おにぎり、本当においしかったー!
ありがとう! ジョンソンさん!
ドン・ジョンソンは、ずっと、大繁盛、間違いなしだわ、と私は思いました。




