クロユリの飼い主の孤独
「そう、でしたか。やはり……」
元麻布のコンセプトカフェで起きた、暴力団同士の抗争(というよりは、松陽組によるカチコミ)の後処理に追われること、数日。パソコン相手に調査書の入力をしている犬塚の元に、堺から電話越しの報告が入る。
「この先は任意同行になりそうやがな。クロユリちゃんの牙に残っておった血痕と、関さんのDNAが一致しよってからに。……関さんの容疑者濃度が、一気に増した感じやな」
凶器が見つかっていないため、あくまで状況証拠の積み重ねでしかないが。クロユリが自ら折ってまで隠し通した牙に残っていた血痕の持ち主である時点で、少なくとも、関豊華は事件当日は東屋邸を訪れていたことになる。この条件に関しては、彩華も同じであろうが……やや決め手に欠けると言えど、犯人が右利きであると目される中で、彩華は左利きである時点で容疑者からは大幅に離れた格好だ。
(しかし、ここまで調べておいて何だが……まだ、妙な違和感があるような……)
クロユリの牙が見つかってからというもの、事件が急速に進みすぎている気がすると、犬塚は漠然とした気色悪さを覚えていた。デスク脇に置かれた犬用ベッドで丸くなっている、黒い毛の塊を見つめては……犬塚はフゥムと唸ってしまう。
確かに、関豊華には動機も状況証拠もバッチリ揃っている以上、ストレートに彼女が犯人とするのが順当な推察ではあろう。日本赤十字社医療センターでの一幕で、頑なに腕を見せようとしなかったのは、血液型が違う以前にクロユリの牙跡が残っていたからとも考えられるし、何より……彼女はクロユリを生存させる旨味を誰よりも知っている。しかし……。
(関さんが宗一郎氏の遺産を狙っていたとは、少々考えにくい……。彩華ちゃんのため……とするにしても、親娘仲は冷え切っているようだし……)
足繁く彩華のお見舞いに出向いている上林の一方で、豊華が病院に顔を出している様子はない。彩華は未だに意識を取り戻していないが、容体は安定していることもあり、いずれ意識も回復する見込みだ。そんないつ目覚めるやも知れない姪っ子相手に、普通の情があるならば見舞いの1つや2つ、してもバチは当たらないだろうに。
そう……豊華は徹底して彩華を毛嫌いし、避けている。彩華の父親が純二郎だろうことが判明しつつある中で、豊華が彩華を避けたくなる気持ちも分からなくもないが。ここまで頑なに彩華の存在を否定するのには、他の思惑があるようにも思えてならない。
(……もしかして、関さんには彩華ちゃんの他に、遺産を残したい相手がいるのだろうか……?)
そこまで考えて、犬塚は事件関係者の写真を並べながら、相関図を引き直してみる。被害者の宗一郎氏の兄妹に、従姉妹。……彼らは無関係ではないにしても、それぞれ事件の表舞台からは降りようとしている。そして、東家グループの役員の内、おそらく大神咲は東家グループの汚職にも、宗一郎殺害にも絡んでいない。残るは坂田と豊華だが……坂田の方は今も平然と日常業務をこなしている様子なので、最初から蚊帳の外の人物だったのだろう。
(残るは関さんだが……)
一躍、容疑者候補ナンバー1に躍り出た豊華の写真から、思い当たる限りの線を引いていく犬塚。上林に彩華、そして……多田見。彩華から故人になっている彼女の母・彩音と、最初に並べていた純二郎の写真を繋げて……更に、多田見から先に、警視総監と結川を結んだところで、ハタとあることに気づく犬塚。
(そう言えば……多田見さんは彩音さんとも、関わりのある相手だったな)
中学教諭と教え子。そして、多田見にとっての彩音は、悍ましい環境から脱却するキッカケを与えてくれた恩人でもある。その縁もあってか、豊華と多田見は弁護士・私立探偵のバディを組んで、共闘を選んでいたようだが。もし仮に、彼女達が手を取り合い、戦うべき相手がいたとするならば……。
(東家グループ……延いては、東家宗一郎氏になるのか……?)
冷徹な経営者の仮面を剥ぎ取ったらば、宗一郎は相当に家族思いな人物であった。愛犬家である以前に、意外にも情深い人間であった事もそれとなく判明してきている。
《純二郎様や三佳様と一緒に東家グループを盛り立てることを、夢見てもいたのです》
そう呟いたのは、事件直後の上林だったか。彼女の話からしても、宗一郎は相当な部分で兄妹の尻拭いをしてきたらしい。だが、三佳はともかく……若かりし純二郎が引き起こした女性トラブルは、宗一郎の想像を超えて遥かに根深く、広がりすぎていた。
上林の母親を自殺に追い込み、周藤兄妹の母親を再起不能にし、それが原因でケチの付いたジャズバーは閉店に追い込まれ……そして、多田見の両親も、最終的には自殺を選んでいる。純二郎が全ての元凶と言うには、大袈裟かも知れないが。改めて書き出してみれば……彼の軽率な行動が原因で、これだけの人間が不幸になっている。
(これらを蟠りなく、穏便に解消するとなると……示談に持ち込むしかないが……)
当の純二郎があっけらかんと生きていたのを考えても、これらの事後処理は宗一郎が秘密裏に対応していたのだろう。それもこれも東家グループ、そして、兄妹達を守るため。経営者として、或いは1人の肉親として……宗一郎は全てを守ろうとしていたのだ。だが……。
(交渉は決裂していたかも知れない……と)
そんな事情は被害者側からしてみれば、ただの綺麗事である。宗一郎の独善は、多田見には通用しなかった可能性も高い。そして、豊華も大切な妹とろくでなしとの結婚に反対するどころか、前向きに祝福していたらしい宗一郎を憎んでもおかしくはない。
(そう、か。……宗一郎氏は1人で戦っていたんだな。そして……交渉が決裂した時点で、予感していたんだ。自分が殺されるかも知れないという事を……)
クロユリを溺愛する一方で、宗一郎は彼女に特殊なコマンドを仕込んでいた。どうやって彼女を訓練したのかは定かではないが、宗一郎は目論見通りにクロユリを犯人にけしかけ、クロユリの牙という証拠を残すことに成功している。
(しかし、そこまで分かっているのだったら、クロユリだけではなく自分も助かる方法を模索すればよかっただろうに……。どうして、宗一郎氏は殺される事を選んだ……? 彼が命を賭けてまで、残そうとしたものは一体……何だったのだろう?)




