クロユリと血痕の相手
キーパーソンの片方が行方を眩ませているともなれば。そのもう片方……多田見を追うのが、最善策であろう。それでなくとも、今の今まで、事件現場は野次馬達に囲まれているのだ。目撃者もいるかもしれないと、犬塚はクロユリを足下に侍らせつつ、目撃証言を募ろうとするが……。
「うん? こんな時に電話……?」
胸元で携帯電話がブルブルと存在を主張してくるので、仕方なしに着信画面を見やれば。そこには「堺部長」と表示されている。
(あぁ、鑑識結果が出たのか……)
なんと、タイミングの悪い。しかしながら、堺の用件も至急事案であるし、こちらから依頼を持ち込んでいるのだから、無碍にもできない。ほんのり場違いな気分も募らせながら、犬塚は「通話」ボタンをプッシュするが……。
「堺部長、どうされました?」
「あぁ、忙しい時に、すまへんな。いや……鑑定結果が出たもんやから、結果を伝えようと思うてな。で、やっぱりと言うか、なんと言うか。保持データ内に、合致する情報がなかったんよ」
「となると、血痕の主は初犯ですか」
「せやねんな」
警察で保持しているデータに合致しないとなると、クロユリの牙にかかった容疑者は今の今まで、犯罪に関わってこなかった相手という事になる。そうともなれば、目ぼしい相手にDNA鑑定の協力を要請しなければならないが、そんな都合よく目ぼしい相手なんて……。
(いるんだよなぁ……1人だけ)
犬塚は少しばかり諦めたように、堺に鑑定結果について質問を投げる。相手の性別や血液型は判明したのか……と。
「あぁ、その位は判明しとるよ。性別は女性、血液型は……AB型と見て、ほぼ間違いないやろな」
「やはり……」
「うぬ? やはり……? なんや、犬塚……誰か、心当たりあるん?」
「えぇ、それなりに」
クロユリを生かす旨味を知りつつ、東家宗一郎に恨みがありそうな相手。しかも、病院での一幕で彼女……関豊華の血液型は割れている。そんな事を頭の中でグルグルと回しつつ。抜かりなく野次馬達から適度に距離を置きながらも、犬塚は堺に「被疑者」の心当たりを話していた。
「……なるほどな。例の御曹司と妹さんの件で、宗一郎はんが絡んでおるやろうと。そういうこっちゃな?」
「確証はありませんが、可能性は高いかと。なお……その病院での一件で、上林さんもO型だと判明していますので、血痕には合致しませんし……ますます、容疑者候補が絞られた格好です」
最終的に採血に応じたのは、犬塚であったが。彩華のためならと、上林は真っ先に血液提供を申し出てもいた。しかし、どうせなら血液量が多い男性から採血した方が良いだろうと、犬塚が割り込む形で応じた経緯がある。それでなくとも、当時の上林は焦燥し切ってもいて。採血なんぞして倒れられても困ると、犬塚が強引に判断したのだ。
「まぁ、牙の血痕の持ち主が犯人と確定したわけではありませんが……」
「状況的には、ほぼほぼクロやろな。あない躾が行き届いているクロユリちゃんが、無作為に人に噛み付くとは、思えへんし」
番犬に適しているとされる柴犬は、小柄な割には意外と気が強い。もちろん、噛み癖があるかどうかは犬種よりも個体差が大きい部分はあるが、ルーツが生粋の愛玩犬ではないため、柴犬は一般的に野性味もやや強いのだ。それはつまり、少しでも気に入らない相手(特に飼い主に害をなす相手)だった場合は、アッサリと噛みつかれると言うことで……。
(クロユリは辛抱強いタイプだもんなぁ……。それこそ、真田部長や堺部長の接待にも応じられるくらいに……)
足元で不思議そうに丸顔を傾げているクロユリを見つめながら、犬塚は堺の指摘に唸ってしまう。
確かにその通りで、クロユリは余程のことがない限りは人に噛み付く真似は絶対にしないだろう。それなのに、彼女は牙にしっかりと血痕が残るまでに、深々と誰かに噛み付いている。……その相手が飼い主の宗一郎氏を害した相手だと考えるのは、まずまず自然な流れだ。
「堺部長、1つ頼まれてくれませんか」
「えぇよ。この流れやと、関さんに鑑定の協力要請をすればえぇんやろ?」
「その通りです。お願いできますか?」
「もちろん。ついでに、照合までやっとくわ」
思考回路もクリアな堺は犬塚の要望を容易く汲み取って、その先までやってくれるつもりらしい。いつもながらに、先回りも鮮やかである。
「よろしくお願いします」
「あいよ。ほな、結果が出たらまた知らせたるさかい、こっちは任せとき。そっちはそっちで、大忙しやろ?」
「あぁ、こちらの状況もご存知なのですね。……そうですね。こちらはこちらで、もう1人の重要人物を追わねばなりません」
ほなら、気張りや……と気取らない関西弁を最後に、堺との通話が途切れる。事件も大詰め……という訳ではないが。少しずつ容疑者が絞られていく状況に、犬塚は気を引き締めねばと……クロユリの頭を撫でながら、改めて思い直すのだった。




