62話 不穏な冷たい風
自分たちが負けたのに、呉羽は悔しそうにしていなかった。床に座って、鼻でため息をついている。その様子はどこか疲れた、とでも言っているように見えていた。一方でサングラスにマスクをした男性は表情こそ見えていないが、雰囲気を察するに悔しそうにはしているようだ。
「オマエらの負けだなっ!」
意気揚々に大地は彼らを指差して笑っていた。だが、それも束の間である。空が彼を押し退けて男性の前に立ったから。
「ホント、誰ですか?」
一気にその場は静寂が訪れる。心なしか、指差していた大地も不審そうに二人を見ているではないか。彼は呉羽を瞥見する。
「桜の知り合いか?」
「さあ? オレはそこら辺にいたおじさんを引っ連れてきただけ。何? 夏斐の知り合い?」
「…………」
そうとならば、答えてもいいのかわからなかった。だとしても、なぜに一般客の中でこの男性を選んだのか。そこら辺だとするならば、誰だっていいだろうに。なんて空が思っていると――。
「コラァ!!」
校舎の入口の方からおっかな恐ろしい怒声が聞こえてきた。これが誰なのかは、大地は十分に知っている。そう、初喜である。入口にいる誠一に叱責でもしているのだろうか。
それがチャンスだと言わんばかりに、大地はこれ見よがしに抜き足、差し足とこっそりこそこそ逃げようとしていた。これで逃げられるかって? いいえ、そのようなことは許しません。
バレバレなのだから。
「秋島ぁ!! 出てこんかいっ!!」
「ひぇ。くろちゃん激怒しているなぁ。じゃ、オレは逃げっから」
なんて入口の方から見えない窓のサッシへと足をかけた。いかにも自分は首謀者でも共犯者でもありませんよ、という面持ち。流石は責任逃れをしようとするその心意気。感心できるはずもない! だがしかし、逃げるのは許さないと思っている人物が初喜以外にも一人いた。
「センセェ! 秋島はココにいますよぉー!」
呉羽である。本当は、スリッパオニで負けたことが悔しかったらしい。大地の居場所を吐いた。その場に彼の声が響く。
「テメェ!? しっ! オレが怒られるだろうがっ」
「センセェ! こっちですよぉー!」
味方にならないらしい。これに大地は呉羽の口を塞ごうと、するも――。
「オマエたちは何をしているんだ、何を」
「ひぃっ!?」
入口付近にいたはずなのに。ただ単に呉羽が大声を出しただけなのに。位置特定が早過ぎやしませんかね? 初喜と共に顔を真っ赤にして怒り狂った表情をする教頭もいた。
「何をしているっ!?」
「や、それくろちゃんが言ってませんでした?」
「口答えするなっ! 何がくろちゃんだっ!? 黒月先生と呼びなさい!」
怖い先生だな、と苦笑いする空は男性の方を向き直った。だが、眼前にいたはずの彼は行方をくらましていた。どこへ行った? まだまだ訊かなければならないことがあるのに。
【冬野製薬工場に入っただろ。しかも、地下までな】
なぜに知っている? あの男は工場の関係者か。空は煮えきらない思いをしながらも、初喜たちに連行されていく大地たちを茫然と眺めるしかなかった。一応、賭けは自分たちの勝ちではある。そうだとしても、素直に喜べない自分がいた。カンナたちを守ることができた喜びがあるはずなのに。
【冬野お嬢さんをオレにくれ】
飄々とした佇まい。呉羽は絶対に何かを知っているはず。本当はあの男性と何かしらのつながりがあるはず。彼の母親はカンナによく似ていた。
【お父さんとお母さん、リコンしたんだよね】
小学生の頃、カンナに教えてもらったこと。だが、彼女に兄がいることは知らない。聞いたこともない。彼女の父親からも聞かされたことは一切ないのだ。それでも、呉羽たちがあの都市伝説に関することを知っている上――カンナの親類であると考える他、何が思いつく?
「…………」
じっと、誰もいなくなった校舎に独り突っ立っていると――。
「空?」
カンナたちが愁眉を見せながら、こちらにやって来た。
「八姫農業高校の先生が向こうの方に行ってください、と……」
「あっ、はい」
自分が立てたこの仮説をカンナたちに報告するべきだろうか。言うべきか?
これはカンナの母親にも関連してきそうなことである。両親が離婚したというカミングアウトもあまりいい顔をして話さなかった (当たり前)のに。これ以上何も突いてくるな、というオーラを出していたのに。
これは――。
――まだ、話すべきじゃないかもしれない。
洋子の運転手である次郎は言っていた。都市伝説と製薬工場に関する資料を集めてくるから、何も行動を起こすな、と。呉羽たちが自分たちに関わりを持つ物であるとは確信がまだ持てない。あの男が何者か、と言われると、何も知らないのだから。
可能性を上げるならば、サングラスとマスクの男性はあの白衣の男なのかもしれない。
「空? どーしたの?」
すっと黙ったままでいる空を心配してか、カンナが顔を覗き込んできた。これに動揺を隠せない。
「えっ、何?」
「何じゃないよ。一応、スリッパオニは勝てたんでしょ?」
「うん」
「じゃ、いーじゃん。ねっ、センパイ」
彼らが勝てて何より、と頬を緩ませるカンナに洋子は「そうですね」と穏やかな顔付きでそう言った。
「これで、もう桜さんたちが邪魔しに来ることはないですしね」
「ホント、あのセンパイなんでしょーね」
大地と呉羽は教師たちに連行されてしまっているため、何もすることがなくなった空たちは帰路に着くことにした。
八姫農業高校の学校の門を出たとき、空は妙な気配を感じ取った。身に覚えのある感覚。思わず、後ろを振り返るが――校内を行き来する者たちの姿のみである。それと同時に感じていた気配は消え失せてしまっていた。
――知っている。
背中を冷たい風が包み込んでいた。もうすぐ、冬がやって来る。その肌寒さが体に突き刺さる。そろそろ、この都市伝説の決着を着けなければならないだろう。何が悲しくて、怯える毎日を過ごさなければならないんだ。冗談じゃない。
――是が非でも正体を暴いてやる。
空は決意を胸に、その場を後にした。
○次回章予告○
『◇冬の事変』
そろそろ肌寒さから、マフラーや手袋をしなくては寒いというほどの時期になってきた。そんな最中に空の家にとある人物がやって来る。それは彼にとんでもない土産を持ってくるのである!
最終章です。そろそろ都市伝説の決着を着けると共に、彼らに楽しい青春を送ってもらいたいものですね。




