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第3話

赤銅色の巨大ロボットが、巨大ゴキブリ共を、一瞬で蹴散らして、超然と立っている。


地面に尻をついたまま。

僕は、その巨体を見上げることしか、できなかった。


味方なのか?

それとも、ゴキブリよりも、僕のほうが旨そうだから、獲物を奪い取ったのか?


右腕の剣が、僕の頭上に振り下ろされ……ない?


ロボットは、僕を見てすら、いなかった。


赤い単眼が、すい、と横へ動く。

その視線の先を、追って――気づいた。


僕が這い出してきた、あの半透明の筒。

くびれた腰の、ずんぐりした小さなボトル。


ロボットは、ずしん、と一歩踏み出す。

僕の横を、素通りした。


そして、ボトルの前にかがみ込む。

大きな三本の鉤爪で、器用につまみ上げた。


食い入るように、ボトルの中を覗き込んでいる。


そして、ボトルをぐいと高く掲げた。

単眼の、真上へ。


まるで、口をつけて、中に残ったひと口を、飲み干すような。

そんな仕草を見て、ボトルの正体が、閃いた。


そうだ。

あれは――乳酸菌飲料の、ボトルだ。

細菌が生きて腸まで届く、という謳い文句の、あの甘い飲み物。


なぜ、僕はそんなものの中に、閉じ込められていたんだ?


わからない。


乳酸菌飲料の匂いが、ゴキブリどもを、引き寄せたのか?


やがて。

ロボットの単眼が、ゆっくりと、こちらを向いた。


「ひっ……!」


肺から押し出された空気が、唇から漏れて、情けない音を立てる。


やばい。

次は、ゴキブリみたいに踏み潰されて、切り刻まれる。

それが――僕の番だ。


「このLBDボトルの中に、入ってたのは、あなた?」


「……っ!?」


ロボットが……喋った?

声が、出た。

あの、圧倒的な暴力の塊から。


それも――鈴を転がすような、可愛らしい響き。

年端もいかない、女の子の、声だ。


「ここにいるのは、あなただけ? 他のケルバーは?」


ケルバー?

聞いたことのない、言葉だ。


ロボットの目的は、ケルバーという、謎の存在らしい――。


「……あっ、っうぅ……」


答えようとするが。

こわばった口から出るのは、乾いたうめき声だけ。


中に何も残っていないとわかると。

ロボットは、興味をなくしたように、ぽいっ、と、ボトルを投げ捨てた。


こん。


ボトルは、壁に当たって、軽い音を立てて跳ね返り。

からん、ころん、と乾いた音を残して、暗がりへ転がっていった。


「乗って」


ロボットは、僕のほうへ、その巨大な鉤爪を突き出してきた。


「……え?」


「早く! 一匹倒したくらいで、片づくわけないでしょ?

あいつらは、無限に湧いてくるのよ」


無限に湧いてくる、という言葉に。

背筋が、ぞっと冷えた。


ついさっき、ゴキブリを握り潰したばかりの、鉤爪だ。

茶色い体液と、ぐずぐずに潰れた殻の欠片が、爪の隙間にこびりついている。


うっ、と、喉の奥がせり上がる。

でも、考えている暇は、なかった。


恐怖でこわばった体を、カタツムリみたいに動かして。

なんとか、その巨大な鉤爪に、しがみつく。


次の瞬間。

ロボットが、僕を握ったまま、歩き出した。


ずしん、ずしん、と。

床を踏みしめる、巨体。


なのに――。


……あれ。

重そうなのに、動きが軽い。


その歩みは、不思議と、軽やかだった。

まるで、見た目ほどの重さが、ないみたいに。


おかしいな。

金属の体、なんだよな。


その疑問が、ふと、僕を別のことへ向かわせた。


こうして間近で運ばれていると。

さっきは、ただ畏れることしかできなかったその体を、じっくりと観察できる。


ゴキブリを両断した、右腕の刃。


……あれ?

あれは……間違いない。

カッターナイフだ。


工作で使う、あの、刃を折って使うカッターナイフ。

それが、巨大になって、腕についている。


そして――胴体。

丸くて、つやつやした、赤銅色の球体。

よく見ると、その一部が剥げていて。

下から、透明な――プラスチックの色が、覗いていた。


金属じゃ、ない。

プラスチック……?


慌てて、他の部分も見回す。

肩や、手足を覆う、つるりとした楕円形の装甲。

あれは――スプーン。

食卓で使う、あの、スプーンの先端だ。


間違い、ない。


(このロボット……ガラクタで、できてる……!)


ゴキブリを血祭りにあげた、このロボットが。

僕がさっき、絶望の底で見上げた、あのガラクタの山と。

まったく同じ素材で、できているなんて。


ご丁寧に、わざわざ金属そっくりに塗られているのは、なぜ?


考えても、わからない。

わからないことだらけだ。


と――。


ふと、気づいた。


ずしん、ずしん、と。

あんなに規則正しかった、ロボットの歩みが。

少しずつ、重く、鈍くなっている。


単眼の赤い光も、心なしか。

ちか……ちか……と、揺らいで。


……疲れて、いるのか?

機械、なのに?


そうしているうちに。

ロボットは、すこし開けた場所に、たどり着いた。


通路の一角を、壁で区切ったような。

小さな、部屋のような空間だ。


ロボットは、どこからか、人間ほどもある、薄緑色の四角い塊を取り出すと。

それを、部屋の四隅に、ひとつずつ、置いていった。


……どこからどう見ても、ゴキブリ駆除用の、ホウ酸団子だ。


「休憩するわ。少しだけ」


ロボットは、そう言って、動きを止めた。

僕を掴んでいた鉤爪を、地面に下ろす。


しがみついていた手を離すと。

僕はぶざまに、地面に転げ落ちた。


次の瞬間。

ロボットの背中に取り付けられた、排気口? 噴射口?から、一閃の光がほとばしる。


「わっ……!」


まばゆい、光の粒子が噴き出して。

僕の目の前で。

くるくると、渦を巻きながら、ひとつの形を作っていく。


それは――人の、形。


光が、収束する。

そして、そこに。

一人の、女の子が、立っていた。


歳は、僕と同じくらいだろうか。


まず、目に飛び込んできたのは――ゴーグルだった。

彼女もまた、僕と同じように、顔にゴーグルをつけている。


そして、髪の毛だ。

腰まで届く、長い髪。

その色が。


紫。

いや――ピンクに近い、紫だ。


アニメキャラのフィギュアみたいな。

自然には、ありえない色。


体格は、小柄だ。

僕より、頭ひとつぶん、低いくらい。

なのに、背筋だけは、ぴんと伸びていて。

不思議と、見下ろされているような気さえした。


白いワンピースに、青い短めの上着。

スカートの裾には、紺と金の細いライン。

丈は膝までで、足元は編み上げのブーツだった。

古風なのに、品がある。

手には白い手袋。

――なぜか、指先だけ、うっすら汚れていた。


顔立ちも、整っている。

控えめに言っても、可愛らしい。


金色の首飾りを、かけている。

先端についているのは、最初は十字架に見えたが。

よく見ると、腕を組んだ、筋骨隆々の男の、彫像だった。

この子の、趣味なのだろうか?


少女は、くるり、と僕に背を向け。

ロボットに向き直ると、あちこちを、熱心に確認しはじめた。


「……ここも。ここも塗膜が剥げてる。

帰ったら、洗浄とリペイントね。

ギチの油は、しつこいから……」


少女の関心は、ロボットにしか、向いていない。

その瞳――いや、ゴーグルからは。

ロボットへの、愛着が、伝わってくる。


「あの、」


「何?」


勇気を出して話しかけると、少女が振り向いた。


「その、ロボットは? 君は、一体……?」


「ロボット? 何それ。

これは、ケルバーダインでしょう」


「ケルバー……ダイン……?」


聞き慣れない、言葉。

の、はずだった。


なのに。


……あれ。


頭の奥が、ちりっ、と疼いた。


初めて聞く言葉の、はずなのに。

(どこかで――聞いたことが、ある……?)


遠い、遠い、どこか。

手を伸ばしても、届かない場所で。

誰かが、その言葉を、口にした――ような。


……だめだ。何も、思い出せない。


「え? あなた、ケルバーダインがわからないの?」


少女は、信じられないものに遭遇したみたいに。

口に手を当てて、呆れ果てている。


「あなた……もしかして、バカなの?」


「違う!」


「ケルバーダインを知らないなんて、聞いたことがないわ。

リザレクティアから来たんでしょう? どこの家の出身?」


少女は聞き覚えのない言葉を散りばめながら、顔を近づけ、問いかけてくる。


何かを分析するみたいに、ゴーグルが、チカチカと輝いて。

そして、「!」マークが、ずらりと、レンズに並ぶ。


彼女は、はっと驚き。

僕の髪に、触れた。


細く、ひんやりとした指が触れて。

思わず、ドキリとする。


「あなた、この髪……!

肌色、体型……すごい人体構成率だわ。

95%、いってるかも。

ヴラドおじさま並みだわ……!」


人体構成率?


聞き慣れない言葉が、頭をよぎる。


彼女は、感心しているような、驚いているような。

いや――混乱しているような視線を。

いや、ゴーグルを、僕に向けてくる。


「あなた、どこの家の出身なの?

リザレクティアのピュアマテリアルで、これほどの人体構成率をしていながら。

わたしが知らないなんて、おかしいわ」


彼女の顔が、もっと近づいてきて――。


ぐう、と。


僕と、彼女のお腹が、同時に鳴った。


彼女は、顔を赤らめて。


「食事に、しましょう。お腹ペコペコだわ」


と、懐から、何かを取り出した。


楕円の、円柱状の、透明なケース。

それを左右に分けて。

中から、丸く、白い、薄い、煎餅みたいなものを取り出した。


「はい」


と渡された、煎餅?を、食べる。


食感は、パリパリしていて。

味も、米っぽさを、感じる。


目が覚めて初めて、現実感が、戻ってきた気がした。


一息ついて。

助けてくれたお礼を、まだ言っていないことに、気がついた。


「……あの。

助けてくれて……ありがとう、ございました。

僕、気がついたらここにいて。

何もわからなくて、あのゴキブリが襲ってきて。

もうだめだと思ったところで、助かって。

やっと、人間に会えて……本当に、本当に、感謝してるんです。

ありがとう」


深く、頭を下げ。

心の底から、感謝の念を、伝える。


彼女が来なかったら。

僕は今頃、ゴキブリの腹の中だったんだから。


でも。


彼女は、煎餅を食べるのをやめ。

腕を組んだまま、黙り込み。

僕を、深刻な表情で、見つめている。


「人間? ゴキブリ?

あなた、一体、何を言ってるの?」


「え?」


「わたしたちは、ケルバーよ。あなたも。わたしも。

助けたことを感謝してくれるのは、嬉しいけど。

ケルバーを人間なんて呼んだのが、教皇派の連中に知られたら。

あなた、命がないわよ」


命がない?

「人間」と呼んだ、だけで?


「それにゴキブリって……ギチの、古名よね。

箱庭時代以前の、まだ品種改良される前の、弱かった原種の名前」


箱庭時代? ゴキブリが、古名? 品種改良?


「あなた、一体、何者なの? 名前は?」


「な、名前……」


問われて、言葉に詰まった。


僕には――名前が、ない。

思い出せない。

自分が誰なのかさえ、わからない。


でも。


混乱の中で、ひとつだけ。

頭の奥に、こびりついて離れない響きがある。


あの夢で、老人が、僕を呼んだ名前。


「……ゼロア」


ぽつりと、口にする。


「ゼロア……だと、思います。

たぶん、それが、僕の……」


その瞬間。


彼女は、何かに得心がいったように。

はぁ……と、深い、ため息をついた。


「ゼロア、ね。

……そう。あなたも、ゼロアなんだ」


あなたも?


得心したような、その、ため息の意味を。

僕は、まだ、知るよしもなかった。


この話に出てきたケルバーダインは、全部、本当に作った機体です。

実物の写真と作り方は ▶ https://klberdyne.com

気に入った機体があれば、ぜひあなたも作ってみてください。真似されたら光栄です。


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