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プロローグ

ぼやけた視界が広がる。


何があるのか、わからない。

だが、少しずつ、世界の輪郭が定まっていく。



……ニッパーに、ヤスリ。ビンに入った塗料に、沢山の筆。

工作場だろうか? まだ乾いていない、有機溶剤のツン、とした匂いが満ちる場所だった。


目の前に広がるのは、小さな街。灰色に煤けた石畳と、半壊した建物が続く、どこか遠い昔のヨーロッパの街。


ベルリン、という響きが、しわがれた老人の声と共に、頭の中にぼんやりと浮かぶ。


街は、激闘の瞬間を切り取ったように静止している。

それは、ディオラマだった。本物の街ではない。

小さく、しかし精巧に構成された作り物の街。


ミニチュアサイズの建物の窓ガラスに、老人の顔が映っている。

おせじにも、容姿に優れているとはいえない。


たるんだ皮膚や、気難しそうに結ばれた唇。髪一つない、禿げ上がった頭。


しかし、眼鏡の奥の眼光だけは、なにか深淵を覗き込むような、不思議な鋭さを見せていた。


1/35スケールの兵士たちが、瓦礫の陰で銃を構え、敵に狙いを定めている。

土埃にまみれた赤褐色の戦車が雄々しく砲を掲げ、衝突した建物が砕け、レンガの破片が散らばっている。


細部まで作り込まれたその世界は、まるで魔法のように、心を鷲掴みにしてくる。


すごい!


「……こ、このIV号J型の履帯、連結可動式でな。転輪もっ、ちゃんとサスペンションが効く。ほ、本物と同じじゃ……」


老人の声は、不思議と体の内側から聞こえるように響く。


「それから、こ、このレッドプライマー。これはな、その、ぶ、物資が欠乏して、迷彩塗装をする塗料も時間も無くなってきたから、こんな、あっ、赤色をしているのじゃ…………」


目の前に座る少年のことを見ているようでもあり。

その向こうの、もっと精巧な模型のディテールを見ているようでもある。


落ち着きの無い早口な説明。

不器用だけれど、込められている熱意は本物だ。

少年に、この「ディオラマ」という、作られた世界の素晴らしさを、自分の知っている全てを伝えようとしてくれている。


その必死さは、ただ知識をひけらかしたい、好きなことだけを話したいという利己的なものではなく。


それしか、語る言語が無い人が、必死で気持ちを伝えようとしている、不器用な温かみがあった。

その温かさ、優しさは、全て少年に向けられている。


けれども、ふと、ジオラマの隅に転がる、兵士の人形に目が留まった。

手足が不自然に曲がり、赤い塗料が滲んでいる。

それは、まぎれもなく「死体」だった。


建物の陰の、子供を抱きしめた母親のフィギュアが語りかけてくる気がした。

ベッドスプリングを装着した、緑色の戦車に向けられた、恐怖に歪んだ顔と目があう。


これは、ただの模型ではない。

そこにあるのは、恐ろしい、なまなましい「戦い」そのものだ。


「こ、こわ……」


少年が、おびえたように、小さく身を縮めながら呟く。

それを聞いて、老人が狼狽えたように声を絞り出す。


「だ、だ、大丈夫じゃっ! こ、これは『プラモデル』という、大昔のただの"模型"なんじゃっ。ほっ、本当の戦争じゃない、作り物、作り物じゃよ、怖く無い、だっ、よ……」


そう言って、老人はごつごつした大きな指で、瓦礫の陰にいた兵士の人形を、まるで小さな虫でもつまむように、ひょいと持ち上げて、揺らして見せた。


「ほら、だ、大丈夫、こんなに小さいじゃろう? これはホワイトメタル製で……」


宙に持ち上げられた、ちっぽけな人形。

それは、なすすべもなく巨大な指に捕まえられた、小さな小さな人間のように見えた。

少年の顔が綻び、さっきまでの恐怖の表情が変化してゆく。


「そうじゃ、この世界では、ゼロア、お、お前の方が大きいんじゃよ。ほら、この人形を、どこにでも、置ける、神様、みたいなもんじゃ」


少年は、老人に渡された兵士の人形を母親の人形の前に置いた。

ガタン、と、重い音を立てて兵士が倒れ、地面とぶつかった部分の塗装が剥がれた。

塗料が剥がれた内側から、鈍い金属の色が覗いている。


ディオラマを、この兵士たちを、この街を、全部「持っている」という全能感。

まるで、この小さな世界の創造主になったような……。


倒れた人形を見下ろす少年の心を見透かすように、あるいは、何か決定的なことを告げるように。


老人が、これまでとは全く違う、強い響きを持って、少年に語りかける。


「――この世界は、おまえのものだ」



その言葉が、まるで世界の法則そのものみたいに、だんだんと暗くなってゆく視界に、深く染み渡ってゆく


もう、ここまでだ。


体が指の先からほどけてゆくような感覚と共に、全ての輪郭が曖昧になっていく

もう、なにも見えない。

最後の瞬間、遠くに伸びる一条の閃光を魂で感じたあと。

ふわっ、と広がる、無数の燐光と共に、意識が暗闇へと溶けていく。


恐怖はない。

それは、どこまでも、これからおきる未来への、温かさを感じるものであった……


この話に出てきたケルバーダインは、全部、本当に作った機体です。

実物の写真と作り方は ▶ https://klberdyne.com

気に入った機体があれば、ぜひあなたも作ってみてください。真似されたら光栄です。


感想・ブックマーク・★は、次の話を書く燃料になります。

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