阿闍世アヤと名倉メイ2
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「うふふー」
名倉メイがさっきから嬉しそうに僕達を見つめていた。アヤさんが気になって話しかける。
「なんでそんなに嬉しそうなんですか?」
「二人の仲がとても良さそうでさー。僕まで嬉しくなってきちゃうんだ」
「え……仲がいいって、どの辺が……?」
僕が不審な目を名倉メイに向けると、彼女は両頬に手を当てて体をもじもじさせだした。
「ええ~。仲がいいポイントを一つ一つ僕の口から言えっていうのかい?恥知らずの僕でも流石にそれはちょっと恥ずかしいなー。だってどれもいやらしいもん」
「イドさん、彼女は何を言っているんです?」
アヤさんが僕に耳打ちする。僕はどうでもよさげに空っぽになったカップを見つめた。
「さあてね。僕はもううんざりしてるから、名倉メイの狂言は真面目に聞いていないよ」
「なんだよなんだよー。そこまでして僕に二人の仲がいいポイントを解説させたいのかい?そういうプレイに僕を巻き込むのは勘弁してほしいんだなー」
名倉メイが一人で勝手にヒートして顔を真っ赤にさせる。ただでさえ迷惑な狂人なんだから変な勘違いを持ち込まないで欲しいもんだ。僕がこの場から逃げる方法を考えていると、アヤさんが不意に口を開いた。
「でも……そうね、確かに私たちは仲がいいかも」
「え……仲がいいって、どの辺が……?」
僕は思わずアヤさんのほうを振り向いて先ほどと同じセリフを繰り返してしまう。
「だってあんなによそよそしかったイドさんが、今日はこんなに私に助けを求めていますもんね。友達だと思ってたのはもしかして私だけかと心配してましたけど、どうやら思い過ごしだったようで」
彼女の発言を聞いて僕はきっと渋い顔を彼女に見せていたことだろう。
「そりゃあ……サイコ女に付きまとわれたら、藁にも縋りたい気持ちになるけど」
「ですよね、ですよね。イドさんは困ったときだけ友達に頼るタイプですもんね。そういう人って真っ先に嫌われますけど、私はちゃんと理解があるから大丈夫ですよ。でも私が困ったときはちゃんと助けて下さいね?これは友達としての最低限の礼儀ですから」
そう言って彼女は馴れなれしく僕の肩をポンポンと叩く。僕は静かにその手をどかせた。
「なんか都合よく解釈してるっぽいけど、そういうのは僕を助けてから言ってほしいな。君はまだ一度も僕を助けたことがないんだから」
「イドさんだって私を助けたことなんて一度もないですけどね」
そう言うと、彼女はぷいと横を振り向いて紅茶に口をつける。そしてポツリと呟く。
「だけど……」
「……」
次の言葉を待ったが何も言ってこない。
「だけど、何?」
「いえ、何でもないです」
彼女はそう言うと、窓越しに通る車をぼんやりと眺めるのだった。
「いいなー、羨ましいなー。僕もこんな友達がいたらいいのになー。そしたら僕の人生だって、もう少しだけマシになるのになー」
名倉メイが大きな声で独り言を言っていた。足をパタパタとさせながら楽しそうに何もない天井を眺めている。
「人生をマシにしたいなら、友達を作るより先に頭の病院に行ってくれ……」
「……」
僕は冷ややかな返事をする。アヤさんはぼんやりとしているような顔で彼女を眺めていた。
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さて、アヤさんは何をとち狂ったのか、急におかしなことを言い出した。
「メイさん。もしよろしければ私と友だちになりませんか?」
「えっ?」
何かの冗談かと思ってアヤさんの顔を見たが、冗談の要素を欠片も感じなかった。名倉メイが机に身を乗り出す。
「ええー!?いいのかい?こんな頭のおかしい僕と友だちになってくれるのかい!?」
「もちろん。私たちなんだか気が合いそうですもんね」
「アヤさん、一体何を考えてるの?正気?」
「イドさんはメイさんに付きまとわれてるから困っているんですよね?メイさんがイドさんに付きまとうのは他に気の合う人がいないからでは?」
「そうなんだよー。お兄ちゃんしか僕と話してくれないんだよねー。いい人だと思っても、僕が近づいたらすぐ逃げてくし、愛とか恋を伝えるって難しいねー」
「ほら。じゃあ私がメイさんと友だちになればそれで万事解決じゃないですか。私ならいつでもメイさんの話し相手になりますよ」
「ええー。それってお兄ちゃんを助けるためだけに僕と友だちになるってことかい?」
名倉メイが乗り出した上半身を引く。
「とんでもない!半分はメイさんに興味があるからですよ」
「わーい。お世辞でも興味があるって言ってもらえるのは嬉しいなー」
「アヤさん……」
僕は不安な目で彼女を見つめた。
「何ですか?お礼なら好きなだけ言っていいですよ」
「死んでも知らないぞ」
「メイさんが友達である私を殺すわけないじゃないですか。……ですよね?」
「当然だよー。そもそも僕は現実でまだ人を殺したことがないのが自慢なんだよ」
「ほら!」
アヤさんが僕に勝ち誇った表情を見せた。僕は落ち着いて慎重に彼女を説得するための言葉を選ぶ。
「アヤさん、頼むからもう少し危機感持ってよ。何も知らないだろうから僕が説明するけど、こいつは既に傷害事件を何度も起こして逮捕されているんだよ」
僕の説明を聞いてアヤさんの表情が少し揺らいだ。
「えっ……。でもそれは昔の話ですよね?反省したからこうやって外に出れているんですよね?」
「うん。僕は檻の中でいっぱい反省したから十分大人だよー。それにね、僕が現実で殴ったのは悪い人だけだよ。良い人を傷つけたことは一度もないんだ」
「よかった、それなら……」
「よくないよ。こいつトンカチを持ち歩いている危険人物だよ。しかも乾いた血でべっとりしてる。トンカチで人を殴ってきたんだ。悪い人っていうのもこいつの判断に過ぎないよ。そもそも悪い人をトンカチで殴るのは犯罪だからね」
「トンカチ持つのってやっぱり駄目なのかなー。僕はこれがないと怖くて外に出れないんだけど……」
そう言って名倉メイは胸からトンカチを取り出し、上に掲げてくるくる回しながらそれをしげしげと眺めた。このナチュラルにトンカチを取り出す姿を見れば危ない人だと誰もが気づくはずだと思うのだが、アヤさんはそうではなかった。
「メイさん、そのトンカチは捨ててくれませんか。これからは私が守りますから」
アヤさんが手で胸をポンと叩いて頼もしさをアピールする。
「本当!?じゃあこんなのいらないや。重いから邪魔だなーってずっと思ってたんだ。バイバイトンカチさん!」
名倉メイがその場でトンカチを投げ捨てる。ガッシャーン!放り投げた先には当然ガラスがあり店の窓が粉々に割れてしまった。僕ら二人が固まっていると店長が箒とちりとりを持ってあわててこっちにやってきた。
「うわあ!何やら危ない会話をしているからそろそろ何かが起こると思ったけど、ついに来てしまったか。頼むから私の自慢の店を壊さないでくれ!」
「すっ、すみません」
何故か僕が謝る。
「割れたガラスが刺さると危ないから隣のテーブルに行った行った。……いや、一番奥のテーブルの方に移ってくれ。そっちなら窓が無いからな!」
「本当に申し訳ありません……。ガラスの掃除手伝います……」
「そう言ってさらにガラスを割るつもりなんだろう!この気狂いどもめ!さあ、さっさとティーカップを持ってあっちの席に行くんだ。空の皿は置きっぱなしでいいぞ!」
店長に促されて、僕たちは奥のテーブルに移動する。
「……メイさん、トンカチを投げると危ないですよ」
アヤさんはやんわりと注意したが、その笑顔は引きつっていた。いきなりガラスを割られたりしたんだから当然だろう。僕はなんとなくそうなるだろうと想像していたからそれほどは驚かなかったが。名倉メイはバツが悪そうに頭を下げた。
「うっ、ごめんなさい……。横にガラスがあることをすっかり忘れていたんだ……」
「嘘だ。こいつは僕の家の窓を素手で壊した。あの右手の包帯は僕が巻いたんだ」
「だって窓を割らないとお兄ちゃんの家の中に入れなかったじゃない!」
「入るな入るな。これでわかったかい、アヤさん。こいつと友達になったら何枚ガラスがあってもたりないぞ。あと勝手に家の中に入って朝食作ったりするぞ」
「メイさん、ガラスを割ったら駄目ですよ」
「うん!がんばって割らないように気をつけるよ!」
「勝手に私の家の中に入ったりしないって約束できます?」
「するする!」
彼女の返事を聞いてアヤさんがこっちを振り向く。何故かやはり勝ち誇っていた。
「イドさん……ちゃんと調教できるじゃないですか!これなら大丈夫ですよ」
「調教って言葉が出る時点で友達とはほど遠い気がするけどね」
僕は頬杖をついて、冷ややかな目でアヤさんを睨んだ。
「メイさんはちょっと常識に疎い天然さんなんですよ。一つ一つ常識を教えていけばまともな子になりますよ」
「ほんとー!?嬉しいなー。僕、まともな子になるのが夢だったんだ。君のことお母さんって呼んでいい?」
「それはちょっと……」
「ありがとう、お母さん!」
名倉メイがアヤさんの返事を無視して元気よく頷く。アヤさんはお母さん呼ばわりされてかなり引いていた。
「年上からお母さん呼ばわりされるのはどんな気分かな」
「まあ……時には譲歩も必要ですね。互いに歩み寄ってこその友達です」
そう言ってアヤさんが腕組みをして一人うんうんと頷いたので、うんざりした僕はお手上げのジェスチャーを取った。
「もう何を言っても駄目なようだね。取り返しの付かないことにならないことを祈ってるよ」
「ねーねー、お母さん。今日の晩ご飯は何食べる?スーパーに行って一緒に考えようよ」
「えっ……。もしかして私の家に来るつもりですか?」
「いいねー行きたいなー。お母さんの家を見てみたいなー」
「家には私の親がいるのでそれはちょっと……」
「お母さんのお母さんが怒っちゃうんだ。それなら仕方ないね。晩ご飯は諦めて一人で食べるよ」
僕は名倉メイに怪訝な目を向ける。
「なんかさっきからやたらと聞き分けがよくない……?僕のときは無視して話をすすめてたのに」
「だってこんなかわいい女の子が友達になってくれるんだよー?それなら僕だって猫をかぶるよー。にゃーにゃーにゃー」
名倉メイが両手を頭に当てて猫のように鳴く。
「にゃーにゃーにゃー」
何故かアヤさんも名倉メイの真似をして嬉しそうに鳴き出し始めた。
「にゃーにゃーにゃー!そうだ、今から電磁バスト公園に行かない?長靴を履いた猫がそこで曲芸をしてるんだって!」
「わあ、いいですねえ。喜んでいきます」
「僕は行かないぞ」
「ん、誘ってないよ?」
名倉メイが首を傾げて不思議そうに僕を見る。そしてアヤさんがニヤニヤしながら僕の顔を眺めた。
「イドさんもしかして私たちと遊びたいんですか?それならちゃんと遊びたいって言わないとメイさんに伝わらないと思いますよ」
「まさか。二人が遊びに行くならもうここにいる必要はないね。僕はもう帰るよ」
そう言って僕は立ち上がり帰ろうとすると、名倉メイに引き止められた。
「あっ、お兄ちゃん。ちゃんとケーキ代は払ってくれるよね?」
「……」
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結局僕たちは揃って店を出た。支払いの時に店長にガラスの弁償を申し出たが、二度とうちに来るなと店長にはねつけられた。本当に申し訳ないことをしてしまったなと僕は心の中で思った。
二人は電車に乗って猫を見に行くというので、僕が別れを告げて帰ろうとすると、やはり名倉メイに呼び止められた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。帰る前に耳貸してー」
「なんだよ」
僕が腰を少し曲げると、名倉メイが僕の耳に口を近づける。
「もしかして妬いてる?どっちにかなー?」
「妬いてない」
「猫かぶるの疲れちゃった。あの子の指をポキポキ折ってもいいかニャー?」
「なっ……!」
名倉メイが急に声のトーンを落とす。僕ははっとして彼女の顔を見た。とても意地悪そうな目で笑っていた。
「おい!やっぱりこいつは危ないよ!今アヤさんの指を折りたいって言ってた!」
僕は大声でアヤさんに呼びかけると、アヤさんが無防備に名倉メイに近づく。
「メイさん。私の指は勝手に折ったら駄目ですよ」
「もー。それくらい僕だって知ってるよー。お兄ちゃんは馬鹿だなー」
名倉メイが陽気に笑って僕の頭をコツンと軽く叩く。だけど僕はその演技にもう騙されるつもりはない。
「こいつのいうことを信じちゃ駄目だ。だってパジャマを着ているんだぞ!」
「私だって毎日パジャマを着てますよ。夜風に当たるためにそのまま外に出たりだってします。それじゃ、私たちは急ぎますから」
「バイバイお兄ちゃーん。また会おうねー」
二人が駅に向かって歩いて行く。名倉メイは僕に向かって手を振ったが、その顔は明らかに悪意に満ちていた。完全にしてやられた。結局僕は名倉メイの危険性を伝えることに失敗した。アヤさんは名倉メイを信じきってしまっていた。
その日、阿闍世さんから一通もメールが来なかった。一回も電話がかかってこなかった。もしかしたら取り返しの付かないことになっているのかもしれない。だが、僕からはメールを送ることが出来なかった。もし完全に僕の思い過ごしだったとき、アヤさんが僕をからかうのは目に見えていたからだ。
それになんてメールを送ったらいいかわからなかった。僕は今まで自分からメールを送ったことがなかったから。何度も何度もメールの文面を書き直した挙句、結局僕はそのメールを送らずに寝床についた。もし取り返しの付かないことになっているなら、今更メールを送っても仕方がないのだから。そうはわかっていても、やっぱりアヤさんのことが心配でならなかった。
アヤさんが僕にメールを送りたくなる気持ちが、今になってようやくわかった。
その日の夢は普通の夢だった。それがさらに僕を不安にさせるのだった。




