パジャマと乾いた血のついたトンカチ
久々の他人との夢のリンクに、僕は朝から少し疲れた気分になっていた。いや、この披露は決して夢のせいだけではないだろう。なにしろ、昨日名倉メイと出会ってから一緒に夕飯を食べ、その後寝るまで彼女とメールのやり取りをし、そして夢の中でまた彼女と出会い、さらにさらに朝目を覚ましたら何故かまた彼女が家に来ていたのだ。そして今、彼女と一緒に朝食を食べる羽目になっている。こうも心休まる時間がなければ疲れが取れないのは当然のことである。
ご飯、味噌汁、ベーコンエッグ、玉子焼き、ゆでたまご、鮭、サラダ、ほうれん草のおひたし、パンケーキ、コーヒーゼリー。朝からごきげんな朝食だ。冷蔵庫に入っていない食材ばかりが並んでいるのが気味悪いが、名倉メイがスーパーかどこかで買ってきた食材なのだろう。彼女が作ったという点を除けば、豪華な朝飯を食べられることに素直に感謝できるのだけど。
名倉メイは二人分、いや三人分ほどの量の朝食をちゃぶ台に並べたが、彼女は最低限の量だけ食べて部屋の隅でうつ伏せに寝転んで携帯電話をいじっていた。
「名倉メイ、もう食べないのか?」
「お腹いっぱいだから全部食べていいよ」
「え……。どう考えても朝から一人で食べれる量じゃないんだけど……。食べる気無いならこんなに作らないでほしいな」
「次から気をつけるー」
名倉メイは足をパタパタと上げて返事をする。
「……さっきから携帯をいじっているけど、メールを書いているのか?僕以外にも君のメール爆撃を食らっている人がいるんだな。誰か知らないけど、同情しちゃうね」
「んー?メールは書いてないよ。読んでるの」
意外な返答に驚いて僕はむせてしまう。危うくほうれん草が鼻から出てしまうところだった。
「う、嘘だ……。君のような頭のおかしい人に読み応えのあるメールを送る人なんて、いるわけがない……。ハッ、君以外にも頭のおかしい人がまだいる……?」
「さっきからお兄ちゃんはずれたことを言っているね。僕が持っている携帯をよく見てみなよ」
「……どういう意味?」
僕は食べるのを一旦やめて、名倉メイが触っている携帯電話を眺めた。よく見たら僕の携帯電話だった。僕は驚き、そして急いで名倉メイから携帯電話を取り上げる。
「ちょっ……おい!勝手に僕の携帯を触らないでくれよ!プライバシーの侵害だぞ!」
「知ってるー」
軽く返事をしながら名倉メイはゴロゴロと床を転がった。部屋が狭いのですぐにちゃぶ台に頭をぶつける。
「ったく……。ああっ、本当にメール読まれてる!携帯にはロックがかかっているのに、どうやってパスワードを見つけたんだ」
「お兄ちゃんが携帯触ってるところ見てたら、なんとなくわかっちゃった」
「くっ……。意外なところで自分のセキュリティ意識の低さが露呈してしまった。次から気をつけよ……」
僕は携帯電話をポケットにしまってまた食べだす。ほどほどに食べたら残りは冷蔵庫に入れて昼か夜に食べようか。
「ねーねー、メールの阿闍世アヤってあの女保安官の人?」
「……違うよ」
先程まで寝転がっていた名倉メイがすっと立ち上がる。
「招木イド!」
「名倉メイ!」
「嘘は嫌い。僕があの女の子にひどいことすると思ってる?」
「事実、夢の中ではしていただろ」
「あれは役になりきっていたからだよー。現実ではあんなことしないよ。お兄ちゃんにだって危害を加えてないでしょ?」
「そうかな……」
僕は部屋の隅に転がっている無残な姿になったテレビをちらりと見ながら返事をした。
「お兄ちゃんのメールボックスに阿闍世アヤのメールがたくさん届いてた。僕のメールはすぐ無視したくせに、阿闍世アヤのメールにはちゃんと一通一通返信してた」
「そうだね。君以外の相手になら僕はちゃんと返信するよ」
「二人はとても仲がいいんだね。なんだか妬けちゃうな」
「そうかな」
「お兄ちゃんはやっぱり世界一の幸せものだね。だってそんなに仲の良い子の泣き顔が見えたんだもの」
「……うるさいよ」
ピンポーン。朝食の残りをラップして冷蔵庫に入れているとチャイムが鳴った。
「おっ、やっと来てくれたか」
「誰だろうー?」
「修理屋だよ。君が壊したガラスを交換して貰うんだ」
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やってきた修理屋は手際よくベランダの窓を直してくれた。
「では、これで。ガラスに問題があったときはまた電話してください」
「ありがとうございます」
修理屋が丁寧に僕らに頭を下げて帰っていく。名倉メイが新品の窓をペタペタと触る。
「あーあ、これでお兄ちゃんの家の中に入れなくなっちゃった」
「窓が割れてても入ってくるなよ。勝手に入ったら犯罪だぞ」
僕はしばらくして手をポンと叩いた。
「……あっ、犯罪じゃないか!立派な現行犯だ!通報して逮捕してもらえばいいんだ」
「えー、通報したら駄目だよ。これは僕とお兄ちゃんだけの秘密だからね」
「知らないね、そんなの。犯罪を見たら通報するのが市民の義務だ。えーと緊急でなくても110していいんだっけ?」
僕がポケットから携帯を取り出して110しようとすると、名倉メイが僕の手を素早く叩いて携帯電話を落とされる。彼女は僕の携帯電話を拾い上げると、ギュッと胸に押し付けて大事そうに抱えた。
「お兄ちゃんお兄ちゃん、よく考えてよ。僕は頭のおかしい妹だよ」
「いつもは否定するくせに、こんなときだけ頭のことを持ち出すんだ。よっぽど都合がわるいんだな」
「うん。もし通報したら、次来るときは窓だけじゃすまないかもね」
「……なるほど。どうせ警察はろくに僕の身を守ってくれないんだ。通報するだけ損だな」
「そういうこと」
名倉メイが素直に僕に携帯電話を差し出したので受け取った。
「それにしても……昨日よりだいぶ話が通じるな。君、もしかして本当は狂ったふりをしているだけなんじゃないか?」
「あっ、バレちゃった?ごめんね、こうでもしないとお兄ちゃんはまともに取り合ってくれないと思ったんだ」
「そうか……。ガラスを割ったりテレビを壊したりしてる時点でだいぶ頭がおかしいと思うけど、正気なら何よりだ」
「うんうん。……あれ、お兄ちゃんどこいくの?」
僕は出かける準備をして玄関で靴を履いていると、名倉メイが後ろからついてきた。
「君のせいでここのところ外に出れなかったんだ。今日は精一杯外を満喫するぞ」
「へー。じゃあ僕も一緒に行くー」
「君は僕についてこない。まっすぐ自分の家に帰る。まともならこれぐらいちゃんと出来るよね?」
名倉メイはニヤニヤして首を横に振った。
「出来るけどやらないー。だってお兄ちゃんと一緒にいるほうが楽しいからね!」
「くっ……。まあでもただついてくるだけなら、頭がおかしいとは言えないな。僕のことが好きでついつい付きまとってしまう無垢な女の子だと都合よく解釈しよう」
「そうそう。お兄ちゃんもやっと僕の本当の姿が見えてきたんだね。嬉しいっ」
名倉メイはぴょんと跳ねて土間に降りると、自分の靴を履いて外に出て行った。僕はあわてて注意する。
「ちょっと、パジャマ姿で外を出たら駄目だよ。着替えはどうしたの」
「そんなものないよ?それに、パジャマ姿で外に出ても良くない?」
「えっ、何が?」
「なんで皆パジャマで外に出ないんだろうねー?僕もったいないと思うんだ。パジャマさんだって家の中にずっといたら外に出たくなると思うもん。ほら、僕のパジャマを見て見て!とっても生き生きしてるでしょ?外の空気を吸わせているおかげだね!」
名倉メイはそう言ってその場でくるくると回った。彼女の着ている緑パジャマを眺めてみたが、どうみても生き生きしているようには見えなかった。そもそも生き生きしているパジャマというのがどういうものがわからない。僕は頭を抱えた。
「……うーん。どう都合よく解釈してもただのサイコ女な気がする」
「えー?」
パジャマ女と一緒に外出したくなかったので僕が玄関で渋っていると、名倉メイが僕の腕を引っ張って無理やり外に連れ出す。今の僕達を誰かが見たら、年の離れた兄妹だと誰もが思うに違いない。




