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山奥の民宿ですが、異世界の勇者様が数日おきに泥だらけで泊まりに来ます  作者: そらのことのは


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10/10

第9話 勇者様が来ない日は、玄関の音が大きい

 祖母の貼り紙には、こうある。


 > 一、二階の角部屋は、勇者レオ様用。

 >  よく来る。

 >  だいたい泥だらけ。

 >  だいたい何か連れている。


 ミオはその貼り紙を見て、筆ペンを持ったまま止まった。


「……よく来る、の基準がおかしいんですよね」


 玄関の黒い箱が、手ぬぐいの下でかたりと鳴る。


『来ぬ日は、来ぬ音がする』


「急に詩的にならないでください」


 その日、レオは来なかった。


 朝、ミオは二階角部屋の窓を開けた。布団を干し、花瓶の水を替え、畳の上に落ちていた小さな羽を拾う。


 たぶんモップの羽だ。たぶん。


「別に、レオさんのために整えているわけではありません」


 誰も聞いていない独り言が少し大きかった。


 ミオは窓を閉め、下階に降りた。


 廊下では、アルが靴を揃えている。王子様だった人は、昨日から靴そろえ係として妙に優秀だった。


「ミオ様、レオ殿の靴置き場は空けておいた方がいいか」


「様はいりません。あと、空けなくていいです」


「しかし、あの靴は他の靴と混ぜると危険だ」


「においの話なら正しいですが、今日は来るとは限りません」


 アルは真面目な顔で、玄関の端を一足分だけ空けた。


「念のためだ」


「念のためが多い宿ですね」


 台所ではリリカが卵を割っていた。が、粉々になっている。


「ミオ様、今日の卵焼きは少し歯ごたえがありますわ」


「殻を入れないでください」


「薬なら、殻にも効能が」


「料理です」


 縁側ではモップが丸くなっている。離れではヴァルドがくしゃみを我慢している。時々、我慢しきれず、ぼん、と小さな音がする。


 レオがいないだけで、騒動は十分だった。


 それなのに、ミオは何度も裏口の方を見てしまう。


 こん。


 音がした。


 ミオは台所奥へ走った。


 こん。


 二回目。


 ミオは取っ手に手をかける。


 ……そこで止まった。


「三回目までは開けない」


 祖母の声が、頭の中で聞こえた気がした。


 こん。


 三回目。


 ミオが戸を開けると、そこにいたのは骸骨兵のノッポだった。


 細長い骨の体に、以前より少しきれいな布を巻いている。足元には、泥がついていた。


「お邪魔いたします」


「まず靴を」


「骨ですが」


「足元が泥なら同じです」


 ノッポは素直に、なぜか履いていた長靴を脱いだ。


「本日は、勇者殿はいらっしゃいますか」


「いません」


「そうですか」


 ノッポは、かくんと肩を落とした。


「魔王様より、伝言を預かっております」


「魔王様から勇者様へ?」


「はい。『王都方面の空が変だ。面倒なら宿に逃げろ』とのことです」


「魔王様、意外と親切ですね」


「勇者殿が倒れると、魔王様がつまらないそうです」


「理由は親切ではありませんでした」


 そこへアルが玄関から顔を出した。


「王都方面?」


 ノッポはアルを見た。


「王子殿下」


「今はアルだ」


「では、アル殿。王都の兵も勇者殿を探しております」


 アルの顔が曇る。


「父上が?」


「陛下ではなく、神殿です」


 リリカが台所から身を乗り出した。


「神殿ですの? 面倒な匂いがしますわね」


「匂いで分かるんですか」


「神殿の薬棚はだいたい乾燥しすぎていますもの」


「判断基準が薬棚」


 ミオは宿帳を閉じた。


「レオさんは今日は来ていません。来たら伝えます」


 ノッポは頭を下げた。


「では、味噌汁を一杯いただいても?」


「伝言だけでは帰らないんですね」


「骨身に染みるので」


「骨しかないのに」


 結局、ノッポは味噌汁を飲んで帰った。正確には、飲むふりをして湯気を浴びていた。


 夕方になっても、レオは来なかった。


 アルは玄関の空き場所をさらに少し広げた。


「泥が多い場合に備えた」


「来ないと言いましたよね」


「備えは王族の基本だ」


「王子を辞めたのでは」


「備えだけ残った」


 リリカは薬瓶を並べた。


「帰還誘導薬を作りましょうか。煙を吸うと、帰りたい場所を思い出す薬ですわ」


「副作用は?」


「近くの鶏も帰巣本能に目覚めます」


「この宿に鶏はいません」


「では安全ですわ」


「外の山鳥が全部来たらどうするんですか」


 ヴァルドが離れから声をかけた。


「竜の鼻で追えるぞ」


「火は吐かないでください」


「吐かぬ。少し煙が出るだけだ」


「その少しを信用しない宿です」


 みんなが、それぞれ何かしようとしていた。


 それが少しおかしくて、少し困った。


 ミオは二階角部屋へ上がった。


 布団はふかふかのままだった。窓の外は暗くなり、山の向こうに、薄く青い光が揺れている。


 レオの古い浴衣は畳の上に畳んである。短い丈の、昔のままの浴衣。


 ミオはそれを見て、ため息をついた。


「……別に、心配しているわけでは」


 背後で、かたり、と音がした。


 黒い箱が階段の下から言う。


『心配とは、来ぬ者のために布団を直すことをいう』


「誰が二階まで箱様を運んだんですか」


 下からアルの声がした。


「発言が役に立ちそうだったので」


「役に立っていません。裏口に戻してください」


『我は真実を告げ――』


「戻してください」


 その時だった。


 裏口が、四回鳴った。


 こん。こん。こん。こん。


 ミオは階段を駆け下りた。


 四回鳴った場合は、塩と雑巾。


 台所から塩をつかみ、雑巾を持つ。リリカは薬瓶を抱え、アルは靴べらを構えた。


「なぜ靴べらですか」


「靴そろえ係として」


「戦わないでください」


 戸を開けると、風が吹き込んだ。


 そこに人はいなかった。


 ただ、敷居の上に、泥だらけの白いマントが落ちていた。


 レオのものだった。


 ミオはそれを拾った。布は濡れていて、端が少し焦げている。


 リリカが息をのむ。


「転移の焦げ跡ですわ」


 アルの顔が青くなる。


「強制的に戻されたのか?」


 ヴァルドが離れからこちらを見た。


「いや。これは、戻れなかった跡だ」


 ミオはマントを握った。


 玄関の箱が、低く鳴る。


『帰れぬ客を、追い出してはならぬ』


「……箱様」


『迎えが必要な客もいる』


 ミオは祖母の貼り紙を見た。


 > 一、どうしても迎えに行きたい客がいる時は、やかんに湯を沸かしてから行くこと。

 >  帰ってきた時、温かいお茶がないと寂しいから。


 ミオは台所へ向かった。


「リリカさん、お茶を。アルさん、裏口の靴を空けておいてください。ヴァルドさん、火は弱めでお願いします」


「行くのか」


 レオのマントを抱えたまま、ミオは答えた。


「お客様の忘れ物を、取りに行くだけです」


 黒い箱が、かたりと鳴った。


『それを心配と言う』


「納屋に置きますよ」


 箱は黙った。


 やかんが、しゅんしゅんと鳴り始めた。

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