第7話 等身大の二人
新生活の拠点となるアパートの前。
――東京、ついに、この街での生活が始まるのだ。
「おーい、嶺。いつまでドアの前で突っ立ってんだ」
感慨にふけっていた嶺を、現実に戻したのは、姉・凪咲の声だった。
相変わらずのスウェット姿。
長い東京生活でも、そのあか抜けない姿は健在だ。
凪咲は、嶺にさらりと告げる。
「引っ越しの助っ人、連れてきたべ。
うちの彼氏。父さんには、まだ内緒な」
「くぁ、彼氏!?」
思わず声が裏返る。
「御影です。嶺くん、よろしく」
爽やかな笑顔。
整った顔立ち。
琳香さんのSNSで何度も見た、あの男――御影だった。
「……は、はい!?」
嶺は、恐る恐る手を伸ばして、差し出された手を握る。
「なんでだ……?
なぜ、こんなイケメンが、よりによって“女子力ゼロ”の姉ちゃんと?」
「おい、嶺。なんか言ったか?」
凪咲の鋭いツッコミに、嶺は慌てて首を振った。
「い、いえ! 何も!」
***
荷解きの最中、御影が段ボールを抱えながら、ふと思い出したように笑った。
「そういえば嶺くん。僕の声、もう聞いてるよね」
「……え?」
「『リモコンどこだっけ』……気づいた?」
「あっ!あの時の!?」
嶺の脳裏に、あの日の記憶が鮮明によみがえる。
画面越しに聞こえた、低く落ち着いた男性の声。
「あ、あの時の声……御影さんだったんですか?」
「うん。
あのとき凪咲さんと一緒に、ボランティアの計画立ててたんだ」
「そうだべ。やっと気づいたんかい」
凪咲が、いかにも悪戯が成功したという顔で鼻を膨らませた。
「お前が勉強が手についてねぇって、琳香ちゃんに聞いてな。
一回、ガツンと現実見せた方がいいべって話になったんだ」
――『それってセクハラだよ』
あのときの琳香の冷たい言葉は、嶺を正気に戻すための、一種の叱咤だったのだ。
恥ずかしさと同時に、胸の奥にじんわりと温かいものが広がる。
(……ずっと、守られてたんだな。俺)
***
夕方。
アルバイトを終えた琳香が、少し息を切らしてアパートにやって来た。
「ごめん、遅くなった!」
四人で車座になり、実家から送られてきた蕎麦をすする。
「やっぱ、うちの蕎麦は最高だべ!」
凪咲が豪快に笑う。
「ほんなこつ、なんか、落ち着く味」
琳香も、ときどき混ざる九州の訛りを隠すことなく、柔らかく微笑んだ。
東京のど真ん中。
なのに、この小さな部屋だけは、どこか故郷の匂いがしていた。
***
大学生活にも慣れ始めた頃。
嶺は琳香に誘われ、子ども食堂のボランティアに参加していた。
「ほら、野菜もしっかり食べんとよ」
琳香が、野菜を残している子にやさしく話しかける。
「琳香さん、この大根、どこに置いたらいいべ?」
東北訛りの嶺。
九州訛りの琳香。
二人のやり取りを聞いていた子どもたちが、指をさして笑い出す。
「あはは! 田舎者カップルだー!」
「おっ、バレたか。でもな」
嶺は肩をすくめ、隣の琳香を見る。
「おらたち、これが一番、落ち着くんだべ。なっ!」
琳香は一瞬驚いた顔をしてから、少し照れたように、でも誇らしげに頷いた。
かつては「都会」という土地に翻弄され、
背伸びをし、演じることでしか前に進めなかった。
けれど今は違う。
自分たちの言葉で。
自分たちの歩幅で。
この街を、生きている。
等身大のまま寄り添う恋が、ここにあった。
子どもたちの笑い声が、二人をやさしく包んでいた。
(第6篇 虚実篇 完)
第6編:虚実篇 あとがき
虚実篇は「敵の虚(弱点)を突き、実(強み)を避けることで勝利する」ことを説いた章です。
恋愛に応用すると「相手やライバルの隙を見抜き、
自分の強みを活かして自然に距離を縮める」戦略になります。
この物語では「虚実」を、
弱さを“攻める”ことでも“隠す”ことでもなく、
“相手の弱さを愛することが、本当の強さになる”
という意味に置き換えて描きました。
都会に背伸びしていた琳香と、都会にあこがれる嶺。
二人が互いの虚を受け入れたとき、初めて実が育つ――
そんな思いで、この篇を書き上げました。
弱さを抱えたまま寄り添う恋のあたたかさが、
読者の皆様にも届いていれば幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




