準備
红京の薬の匂いが遠くなるにつれて、体が重くなる――。
红京はここへ来るのも危険だったはず、この薬だって作ること大変だったかもしれない。
嬉しい理由をいくつ並べても「会えないかもしれない」それが嫌で仕方ない。
急にここでひとりぼっちになってしまったような感覚が、これかもしれない。
薬袋を手に持ち、今さっきまで話していた会話を思い出す。
「向こうの世界で会えたら」と红京が言ってくれた言葉が頭から離れない。
この異世界の華国で出会った红京が同じく現代から来た人物だから安心することができているのかもしれない。
红京に会うため違う男へ媚び売らなきゃいけないの?すごく嫌だ。
でも、腕を伸ばしてここに居てと言えなかった。自分の弱さ。迷惑をかけたくない。
あたしの頭の中は感情で溢れかえってしまって、嬉しいのか、悲しいのか。寂しいのか分からなくなってくる――。
屋敷に戻ろうと思って立ち上がりたいのに、この薬袋を抱えたまま動けない。
「嫌」
皇太后様への贈り物は準備するのに、あたしにはないの……?(笑)
忙しく動く感情の最後に出てきたのは「嫌」だった。こんな幼稚な感情を無かったとことにしてきた。
今回もそうすればいいだけなのに――。
唾を飲み込んで顔を上げる――。
陈莉「温花様!ここにいらしてたんですね!探しましたよ!」
その目線の先には陈莉が必死に探し回ってくれていたのか、汗の粒を額に流してこちらに向かってきた――。
温花「陈莉、ちょっと手を貸してほしい……」
陈莉の小さな手を少し握ってようやく落ち着いて来た。
陈莉「お嬢様大丈夫ですか?どうしてこんなところに……!」
温花「ありがとう。陈莉。鳥を追いかけていたら転んでしまって――(笑)」
红京と会ったことは隠さなくてはいけない。
陈莉に見えないように衣の中に薬袋を隠して話を逸らす――。
温花「挨拶の服ってどんなのがいいのかな?」
陈莉「そうですね!今から衣装決めに行きましょう!」
陈莉がこの墓場と呼ばれる屋敷に来てくれたのに、あたしはずっと陈莉のことを警戒してしまっている。
陈莉は心配そうにずっと横を歩いてくれ、屋敷に入る前には衣についていた汚れを落としてくれて、お茶を準備してくれていて。衣を見やすいように並べてくれて――。
こんな優しい子を疑わなければいけない後宮って。
いや、これは自分の考えのせいだ。
陈莉を信じなきゃ陈莉からの信頼を得るなんて無理だよね。
あたしは最悪だ――。
陈莉「これをどこで手に入れたのですか?どれも素敵です。これは絹ですか?刺繍もこまかいですし……」
衣装台の前で陈莉は目を丸くして中の衣を見ている。
まさかこれネット通販で買ったなんて言えない……(笑)これを揃えるのに結構な総額したのは間違いないけど……。
温花「旅をしながら……(笑)」
陈莉「異国のものも混じっているのでしょうか?!……あまり目立ちすぎるのも……質素になってしまうのも……難しいですね――」
下級妃の屋敷に鏡はないため妃自身が自分の容姿を見ることが不可能で、妃の見栄えは侍女の腕にかかっていると言っても過言ではないらしい。
明日の準備のために陈莉はあたしよりも嬉しそうに衣装を選んでくれる。髪飾りを忙しそうに並べてあれでもない、これでもないと忙しくしている。
今日は朝早くに目が覚めてしまう――。
華国の春の朝も現代と同じようにまだ肌寒いが、太陽が温かく朝を彩ってくれている。
窓の障子に映る木の影には鳥たちが並んで嬉しそうに鳴いている。現代の世界では季節は当たり前に進んで、桜、海、紅葉、雪。
こんな綺麗な朝を知らなかったことを勿体なく感じる。
陈莉もまだ寝ている時間だから化粧でもして、静かに過ごしていよう。
現代では当たり前にある鏡も貴重なもので、夜の明かりは電気があるわけではなく1本のロウソクを大事に使われていて。
こんな小さなことにも現代の凄さを痛感する。
この今使っている化粧品も切れてしまえば、華国の化粧品を使うことになる。
白粉?と口紅と、みんなどんな化粧するんだろう。眉はまさか筆で描くの?白粉って小麦粉とか?いや、さすがにそれはないか――。
コンコン――。
あ、陈莉起きたんだ。
温花「陈莉、おはよう」
部屋の扉を開けると、陈莉はあたしを見上げ、口を押さえていた。
温花「ん?なんかついてる?」
陈莉「……ご自分でお化粧したのですか?」
温花「あ、うん。あ……変だった……?」
陈莉「いえ……お化粧されているお嬢様を初めて見たので……」
温花「変わりすぎだった……?まずいかな……」
陈莉「いえ……とてもお綺麗です……!どのようにお化粧なさったのですか?!どのお粉使っているのですか?!――」
陈莉はどのように化粧したのか知りたくて仕方ないようで、グイグイと顔を近づけてくる。
色々考えながら現代でやっていた化粧をいつも通りにやってしまっていた……。
このいつも通りの現代の化粧はやらないほうがよかったかな……。
温花「あっ!お腹すいたよね?!ね?朝ごはんにしよう!」
陈莉「す、すいません……!今すぐ準備いたします!」
温花「……あたしにもここの食事の作り方教えて?」
陈莉「そんな!お嬢様に食事を作らせるなど、侍女として恥です!どんな噂を立てられるか……」
温花「この屋敷に来ただけでも陈莉は肩身狭いよね……ごめん……」
陈莉「いえ!そのようなつもりで言ったつもりでは!」
温花「この屋敷にはあたしと陈莉しかいないんだよ?一緒に食事を作ってるなんて誰も知らないよ。ねっ?」
陈莉「お嬢様……」
温花「そもそもお嬢様ってのも――」
違和感しかない。ここへ来るまで現代で高校生をしていただけの女だったから。
でも陈莉にはお嬢様ってことでいないといけないのか――。
陈莉に食事の準備を任せることにした。そして最近やっと見慣れてきた朝食は「粥」
少ない米を朝食べやすいようにと、量増ししつつ、申し訳なさそうに少しの野菜?が入っている――。
これが華国の下級妃の食事。
現代って料理のレパートリーが多いんだよね。和食、洋食、中華だけでなく世界中の料理を食べられる。これを味気ないっと言ってしまうこともできない……栄養価ってみんな足りてるのかな……?慣れない食事に困惑することも正直多い。
温花「陈莉、ありがとう。今日も一緒に食べよう?――いただきます」
朝日を浴びながら陈莉と食事を囲む。晴れたこの空とは裏腹にあたしの心は霞んでいた。
温花「陈莉……あの1つ相談があって……」
陈莉「はい、なんでしょう」
陈莉は深刻そうな顔でこちらを見る。
温花「誰かに渡したくないものがあって、でもそれを渡さなきゃいけなかったらどうする?」
陈莉「……えっと――渡すべきなんですかね……?えっと……」
陈莉は困った様子で考え込んでいた。
あたしも悩む質問を陈莉に託すのは間違いだ、ごめんね。薬袋を手の中に抱えて力が入る。
温花「そう……だよね。次がないかもしれないもんね。ありがとう。違うもの渡せるように今から準備しようかな。陈莉チューブ……小さな容器ないかな?」
陈莉「そうですね、こちらの薬味入れならありますが……」
温花「薬味入れか……うん、これもらってもいいかな」
陈莉「はい、もちろんです。このお屋敷のものは温花お嬢様のものですので」
――そっか、これでなんとかなるかも。
皇太后様に何か贈り物をすればいいんだもんね?それなら喜ばれそうなものを渡すのってアリだよね?この薬袋は皇太后様に渡したくない。
だから――。
その薬味入れを綺麗に洗って、現代から持って来たハンドクリームを入れた。いい匂いもするし、保湿剤にもなるし。
女の人は嫌いじゃないはず。
こんなわがままが通用するのか、許されるのか。わからない。皇太后様へ無礼を働いてしまえば命だって危ういかもしれない。
でも、あたしはこれを誰かに渡すことができなかった――。




