黒と金
「何を見ている」
池の側にしゃがみ込みじっと水の中の色鮮やかな鯉たちを見ていると、水面に広がる水草が、泳ぐ魚によって静かに揺れる。
その揺らぎの奥に黒と金の衣に身を包んだ男性が映る。
温花「――蓮の花はいつ咲くのか思い出せなくて」
振り返ると男性は長く黒い髪を靡かせてじっとこちらを見ている。
「蓮は暑い夏の時期だ」
温花「そうでしたね。ありがとうございます」
立ち上がると、その男性は見上げなければいけないほど大きい。
この人物は誰なのか――。
その考えを一瞬で放棄し、また池の鯉に視線を落とす。
温花「蓮の葉に隠れた鯉たちへ餌やりをするのって楽しいですよね」
現代で楽しかったことと言えば夏休みに従姉妹と祖父の家に遊びへ行くことだった。
近くの公園には蓮の花が生えていて、鯉が泳ぐ。目の前にある風景と同じだ。
楽しいことは確かにあったはずなのに、悲しいこと辛いことが多くて思い出せなかった――。
「鯉に餌を与えるか」
温花「えっ?!いいのっ?!」
目の前にいる人物が誰なのか知らない。誰なのか興味も無い。
ただ鯉に餌をあげて楽しかった時間をもう一度過ごせたらいい。
あの小さかったあたしに戻れるのなら戻りたい。
差し出された鯉の餌に手を伸ばすと、男性は笑い始めてしまった。
見上げると綺麗に整った真っ白な歯に目がいく。
よく見ると顔も整っていてこんな完成された顔があるのかと驚く。
彫りは絶妙に深くて、黒い目が光を集めて、首は太く骨太なことがわかる。
やっぱり宮中の中はビジュが良く無いとダメなのか〜……。
でもなんでこんな人が鯉の餌なんか持ってるんだろう?
温花「鯉の餌よく持ってましたね……?」
「暇つぶしも大事だろう」
温花「確かにっ!(笑)」
――このような女が後宮に居たのか?
張宏からそのような報告はもらってないが。
皇太后の屋敷に今いるということは挨拶の品を持って来た新しい妃の一人のはず。
妃になるような女が膝をついて池の中を覗き込んで、蓮の時期も覚えておらず、鯉の餌やりができると聞くとまるで子どものように嬉しそうな顔をする。
この俺の顔を見て声色を変えることもなく、景色の1つでも見たような顔でこちらを見ていた。
この俺に興味を示さず、池の中の鯉のほうにしか興味が向いていない。
行動だけでない――。
このような顔立ち、化粧の女は見たことがない。
まつ毛は黒く長く統一されており、目の中の光は儚く、薄い桃色の頬と艶やかな紅。
まるで作者が違う。
この変人は今まで出会って来た女と何かが違う。
この女のことを考えれば考えるほど、分からん。
この自由で儚い女の答えを知りたい。
「この世はお金が全てか?」
この少女に答え合わせをするように問う。
温花「うーん、お金稼ぐのって結構大変だからあれば嬉しいですけど……こんな時間を過ごす方が幸せだと思います」
あれば嬉しい。でも望まない。金を稼ぐことの苦労も知っているからなのか。
幸せな時間を選択するの、か。
今まではしゃいでいたはずの女の瞳は遠くを見つめ、この時間を噛み締めているようだった。なんで寂しそうな顔をするのだ。
表情の変化についていくことが難しい。
「――様、お時間です」
側近に呼び止められる。次の仕事に向かわなければいけない。
嬉しい金を稼ぐために、幸せな時間を削るのか……(笑)
呼び止められた俺を見て、鯉の餌を池に手を叩いて落としてしまう。
温花「鯉の餌ありがとうございました」
「時間だ。――名はなんと申す?」
温花「温花と申しますっ!」
先ほどの寂しそうな顔ではなく、今度は太陽や花に負けないほどの笑顔で嬉しそうに名乗る。
よほど自分の名前が好きなのだろう。
「温かい、花」名付けた親はこの女のことをよく理解していたのだろう。
これほど人物にあった名を授けることができる、さすが親だ。
だが後宮を管理しているはずの張宏から温花という妃の話はやはり聞いていないな。
それに横に立つ侍女は俺と目を合わさないようにしている――。
また1つ仕事が増えたようだな。
「温花か。聞かない名前だな」
温花「墓場出身だから明日にはもうこの名前聞けないかもしれません(笑)」
その言葉の意味がわかってこの女は喋っているのか――?
墓場だと――?
「墓場に住んでまで後宮へ入りたかったのか?(笑)」
温花「ゆっくり過ごすことができればそれで――あっ!」
温花は今まで嗅いだことのない花の?お香の匂いをさせて、向こう側に見える金色の鯉のところへ走って行ってしまった。




