奥義!!
「ソフィ!」
金平には確かに聞こえた。自らの名前を呼ぶ、さっきまでとは別人の、懐かしい、優しい響きの声が。震える両手から覗いた輝く瞳が、真っ直ぐに金平を見つめていた。その声も瞳も、昨日までのどこか力のない虚ろな気配が消え、暖かさに満ちている。
金平の知っているソフィが帰ってきた。
「ふふっ、ははっ!」
金平のよく通る笑い声が広場に響く。頬や足を襲う痛みが和らぎ、全身に活力が漲る。
「ソフィアさんの記憶が戻ったんですね?」
相変わらずニヤケたままのスコーピオンは、両腕を組みながら悠然としていた。
「あぁ」
スコーピオンの両眼に焦点を合わせた金平の瞳が、ギラギラとした光を宿す。暗い闇から抜け出したかのごとく、表情が晴れ渡る。
「これで駄目ならお手上げってやつだな」
そう言うと、ゆっくりと両腕を天に向かってかざした。
目に沁みる程、空が青い。その中に浮かぶ、くっきりと輪郭を見せる大きな雲を、まるで掴むかのようだ。
「なんの真似ですか?お手上げ?」
眼前の金平が、お手上げと言いながら本当に手を上げている。滑稽な様に首を傾げるスコーピオン。
対する金平の表情は清々しい。穏やかな笑顔のまま、そっと瞼を閉じ、両足を開いた。
「ふざけてるんですか?よくは分かりませんが、その程度の実力では──」
言いかけたスコーピオンの言葉を遮り、金平が突然駆け出す。
両腕を掲げたまま走り出した金平を視界に捉え、目を細め口を歪める。浅黒い顔が金平を嘲笑していた。
身を屈め、ブラジリアンキックの体勢に入る。スーツ越しにも、躍動する鍛え上げられた筋肉が見てとれた。
突き出した右足に力をこめる。
居合いの達人が、鞘から刀を抜き放つ寸前と同質の緊張感が漂う。上体は金平の掲げられた両腕を警戒し、ガードの体勢をとっていた。
ここまで金平は一度も足技を使ってはいない。もし蹴りを放ったにしてもたかが知れていると、完全に舐めていた。
柔道の摺り足。駆けていた金平が、一瞬で自らの左足を前方へ向け滑らせ、素早く踏み出す。
「ぐっ!?」
金平の左足がスコーピオンの右足を踏み抜く。
「なにっ!」
そのまま全体重を左足に載せた。革靴の中、スコーピオンの右足の甲から鈍い音が響く。
「!」
痛みに顔を歪めた瞬間、さっきまで嘲笑を浮かべていた浅黒い顔が、仰け反り、後ろへ跳ね上がった。左足で踏み抜いたスコーピオンの右足を軸に、180度開脚した金平の右足が、スコーピオンの下顎を蹴りあげたのだ。
「ぐぶっ!」
そして、その姿勢のまま腰の脇に添えた両腕を、前のめりになりながら撃ち出す。
◆◆
「……笑顔?ですか?」
失笑する金平。
「あぁ、笑顔だ」
腕組みした増山が、柔らかく微笑む。精悍な顔つきのこの男が笑うと、周りの空気が澄み渡るような、言い様のない清廉さがあった。
「辛い時、悲しい時こそ笑顔を」
もう一度、増山が言葉にした。
「でも、そんな時は素直に落ち込んだり泣いたりしたほうがいいんじゃないですか?」
「君には、好きな人や大切な人はいるか?」
「えっ?」
「ほんとに悲しくて辛い時は一人で泣けばいい。だが、大切な人の前では笑顔を。それが男ってもんさ」
「はぁっ……」
なんだか釈然としない金平だった。そんな金平を穏やかに見つめ、増山は続けて口を開く。
「君に、奥義を伝授する」
「奥義?」
再度金平は失笑した。
「そう笑うなよ。真面目に話てんだぜ」
そう言う増山もほくそ笑む。
「まぁ、俺もいまだかつて一度しか使ってないんだが」
「一度?」
◆◆
──“后”。
今まさに、金平がスコーピオンへ向け放った技。かつて若き日の増山が、司との勝負において使った鬼道空手奥義。金平の開かれた両脚が、矢を放つ大弓のように見える。その左右から、同時に正拳突きが放たれた。スコーピオンの攻撃によるダメージのせいで、視界がぼやけ、呼吸は乱れている。
この攻撃を躱されたら次はないだろう。残る全ての力を上腕筋に込めた。
スコーピオンの左右の肩、左右の腕、左右のわき腹、左右の足の付け根。
8箇所。一瞬で撃ち抜く。
「ぐあっ!」
強烈な痛みに、スコーピオンは苦悶の表情を見せた。足の甲と下顎に走る激痛のせいで、普段ならば造作も無くガード出来るであろう正拳突きの連打を、サンドバッグさながら、無防備に受けてしまう。
足を封じられ、ローキックは放てない。下顎を蹴り上げられた衝撃で意識が飛び、全身を金平の拳で滅多打ちにされた。常人ならば失神しているであろうダメージ。
しかし。増山との血の滲むようなスパーリングで研鑽を重ねた金平を以てしても、この奥義を一朝一夕で極めることは叶わなかった。
スコーピオンの右腕。
生きていた。金平の左正拳突きが甘く入っていたのだ。
「金ちゃん!」
劣勢になったと思えたスコーピオンの体から放たれる殺気を感じ、ソフィが叫ぶ。倒れかけたスコーピオンの体から、カメラのフラッシュのように、右ストレートが放たれた。




