歩美!!
ゆっくりとドアが開くと、ひとりの女性が入って来た。
「!」
振り向いた金平の息が止まる。
丈の長いデニムのシャツに、黒のスキニーパンツ。腕には透明で華奢な花瓶に活けられた、瑞々しい薔薇の花が。
燃えるような薔薇の赤色が映りこむ、透き通る白い肌。緩やかなS字を描く腰から脚にかけてのラインに、匂い立つ色香があった。
「……大河」
穏やかに微笑む木下に見入ると、女の大きな瞳に微かな悲しみの色が浮かぶ。
「姉さん、久しぶり」
木下の笑顔はいよいよ美しく、輝きを増していた。先ほどまで高笑いを上げていた増山も、窓の外に視線を移し、どこか寂しげな面持ちだ。
木下歩美。
かつて凶刃に倒れた美空の妹であり、大河の姉。
美しい女だった。
「こ、こんにちわ」
よたつきながら立ち上がり、会釈する金平。自分よりひと周り年上の歩美だったが、病室を華やかに彩る美しい女を目の当たりにして、動揺を隠せない。
「こんにちわ」
木下へ向けた憂いの表情をすぐに隠すと、どこか儚げな笑顔を見せた。
「金平君は初めて会うかな?大河の姉の歩美だ。歩美、前に話した同僚の金平君だよ」
増山の声はいつになく穏やかで、金平の耳に心地よく響く。
「いつも大河がお世話になっています」
深々と頭を下げる歩美。静かに金平と木下の背後を通ると、柔らかく、微かな香水の匂いが病室に漂う。
「……ちゃんとご飯食べてるの?」
花瓶を窓辺に起き、あさっての方向に首を向ける薔薇を、細い指で直す。
『木下と声が似てる……』
顔を上気させた金平が胸中で呟く。
「食べてるよ。バナナにサプリメント、それから、あっ、プロテインに」
「ちょっとぉ、そんなの食べてるの?」
怪訝な表情を増山に向けた。
「ハハッ、夕飯はそんなのだけど、朝と昼はまともだよ。大河、そっちをPRしろよ」
増山の笑顔に、木下と金平も頬を緩める。
「そうだ歩美、さっき話したんだが、俺が退院したら、金平君やうちの会社のみんなと遊園地へ行くことになったぞ。えーっと、なんだっけ?……ユートピ?」
「ユートピアワールド」
木下が助け船を出す。
「そうそう、それだ」
破顔する増山。
「えーっ、すっちんの口から遊園地の名前が出るなんて」
歩美が口許に笑窪を作った。
「ゴリラにもそんな童心があったのね」
「誰がゴリラだよ」
「あっ、でもゴリラがメリーゴーランド乗るの見たいかも」
「僕もそれ見たいな」
木下が乗っかる。
「だから誰がゴリラだって」
「プッ!」
金平が思わず吹いた。
「ハハッ」
洋画家の書いた油絵──。そう金平に思わせる程に美しい姉弟も、声を上げて笑う。
遊園地行きは金平の提案だった。名目はチャックとガールズバーのナナの距離を縮めるため。勿論、木下の付き合っているガールズバーのケイ経由で、ナナに約束は取り付けてある。
その実、楽しい刺激を与えることで、ソフィに自らの記憶を呼び覚まして欲しいという金平の思惑もあった。それを知ってか知らずか、提案を快諾した増山と木下。とりとめもない話に、病室からはしばらく笑い声が絶えなかった。
──病室の外。先ほど歩美が入って行ったドアから、少し離れた通路。平日のせいか、あまり人の往来は無い。
ポスターが剥がされたのか、そこだけ色の変わった壁面に背中を預け、腕を組み、病室から聞こえる談笑に耳を傾ける男が一人。若い看護婦が医療器具を載せた台車を押して、男の前を通り過ぎる。男と目線を交錯させると、頬を赤らめうつむいた。
長髪。端正だが、口を噤むと、どこか酷薄な表情。長身に、高級ブランドのスーツで身を固めている。手にした「週間格闘技」なる雑誌を丸め、一言呟く。
「ソフィアちゃんは来てないのか……」
音もなく身を翻すと、消えた。




