幸せに!!
「あんた達、あれが読めないの!?」
指差す壁面には、自らの書した額面が。
「私闘厳禁!金ちゃんと大河ちゃんまで戦線離脱したら、次にSEが現れたらお手上げよ!」
「……すいません」
目の前に突き付けられた木刀を右手で払いのけると、憮然とした表情で呟く。
木下はさっきまでの猛々しい気配を消し去ると、静かに壁面へ歩み寄り、木刀を元の位置へ掛けた。
殺気は成りを潜め、穏やかな顔。
「大体大河ちゃん、剣道の有段者が木刀使ったら、真剣となんら変わりないのぐらい分かってるでしょ?」
「ははっ。それもそうですね」
顔を斜め上にして、視線だけを社長に向けると、普段の少年じみた笑顔を作った。
「それじゃ、金平さん、また……」
ふわりと右腕を挙げると、音もなく踵を返して道場から消えた。
「けっ」
憮然としない表情の金平だったが、内心安堵のため息をつく。
二人の様子を傍観していたチャックも、ホッと胸を撫で下ろした。
◆◆
数日後......。
「ふん!ふんっ!」
病室のベッドで腹筋に励む男。
巨大な体躯が屈伸する度、ベッドが悲鳴を上げる。
おもむろに部屋のドアが開くと、入って来たのは白衣姿の中年男性。
「増山さん!あんた何してんの!んなことしてたら退院できないよ!」
増山を見るなり、怪訝そうな表情で語気を荒げた。
「全治1ヶ月って言ってんのに……会社の人達には今日明日にでも退院って言ったんだって?冗談じゃない!あんたねぇ、脾臓が破裂したんだよ!まったく、何考えてんだか」
「はははっ」
他人事の様に笑う増山。
そんな増山の屈託の無い笑顔を苦々しい顔で見つめると、ボサボサの頭を掻きながら、主治医は話を続けた。
「とにかく、最低でも後1週間は安静にしててもらうからね!」
「わかりました」
表情を曇らせながら、増山が静かに呟く。
『──冗談じゃねぇ。こんな辛気臭ぇとこ、いつまでもいられっか』
胸中では真逆の言葉を吐いている。
そんなやり取りをしていると、病室のドアが再び開く。
「おっ」
顔をしかめていた増山が、思わず声を上げた。
涼やかな顔をした木下が入ってきたからだ。
「分かったね?医者の言うことはちゃんと聞くもんだ!」
無精な見た目とは裏腹に、増山と木下のただならぬ雰囲気を感じた主治医は、増山を指差しながら言い捨てると、スリッパをパタパタ言わせながら退室した。
「フフッ」
視線は病室の窓際に向けたまま、微かな笑みを浮かべる木下。
「何笑ってやがる」
そう言う増山も破顔している。
「いえ、なんだか増山さんらしいなって思ったので。あれ?歩美姉さん、来たんですか?」
「あぁ、二日に一度は顔出してくよ」
二人で窓際の花瓶に活けられた花を見据える。
ほんの少しの沈黙をおいて、表情に陰を落とした増山が口を開く。
「どうだ?会社の方は?」
「ええっ、楽しいですよ」
「楽しい?」
「はい、とっても」
最近の大河は、どこかゾッとする、危ういような笑顔を見せる。
増山はそう感じた。
「具合のほうは?」
「ええっ……変わりありません」
「医者はなんて?」
「……もって1年。早ければ半年と」
「いいのか?残された時間を──」
いつになく真剣な増山の眼差しに、木下は心地よい風のようなものを感じた。だが、視線の先、病室の窓は開いていない。
「他ならない増山さんの頼みだ」
優しく微笑むと、澄んだ瞳を増山に向けた。
「美空だけじゃなく、お前まで……」
増山が肩を落として、口許を僅かに震わす。
「──僕たち姉弟三人は、増山さんのために生まれてきたのかもしれません。約束ですよ、歩美姉さんを幸せにしてやってください」
白血病の宣告を他人事の様に受け入れている青年は、瞼をゆっくり閉じると、残された時間に反比例するかのごとき、妖しく、儚げな美しい笑顔を増山に見せた。




