唇!!
忍び寄る、おぞましき社長の顔面。
水道の蛇口と見紛う、異様な形を成した唇が金平の口元へ迫る。
「いただきまぁ〜す」
囁きながら、般若の形相で金平の唇に自らの唇を重ねようとした瞬間。
「金ちゃん、あのさぁ……ヒッ!?」
いつものごとくノック無しでドアを開けたソフィが目にした物は、ベッドに這い上がり、穏やかな寝顔の金平に襲いかかろうとするパン1の妖怪だった。
「な、何やってんのよ!」
咄嗟に回し蹴りを放つ。
それを垂直跳びで事もなげに躱すと、天井から下がっていたロープを掴むパン1の妖怪。
「うぬぅ、この期に及んで、まだ邪魔するかソフィよ!!」
<変態ターザン>としか形容する言葉が見つからない社長の姿。
「何言ってんのよ!このド変態!」
さらに正拳突きを放とうとするソフィを文字通り尻目にしつつ、尺取虫を録画した映像を七倍速で早送りしたかのごときおぞましい動きで、社長はあっという間に天井へと上がっていく。
「来世で逢おうぞ!」
意味不明な捨て台詞を吐くと、開け放たれた天井ボードが丁寧に閉じられ、部屋に静寂が訪れた。
「妖怪ジジイ!」
見上げながら罵声を吐く。
「金ちゃん大丈夫!?」
慌ててベッドに駆け寄るが、金平は何も知らずに穏やかな寝息を立てていた。
「……金ちゃん」
金平の子供のような寝顔を見つめたソフィは、ゆっくりとベッドに手を着き屈む。
両腕をベッドに伏せ、その上に小さな顔を横にしながら押しつけると、金平の唇に目をやる。
大きな瞳をゆっくり閉じなから、金平の顔に静かに近づく。
鼓動が高鳴り、薄く開いた瞳に微かに金平の唇が映りこんだ。
「寝ている男の唇を奪うなんて、あまり感心しないなぁ」
「!」
背後から聞こえた声に振り向くと、いつの間にいたのか、木下が部屋の壁に背をもたれ、斜めにうつむきながら腕を組み、ソフィを見つめていた。
口元の笑みとは対照的に、前髪から覗く憂いを帯びた瞳。
「わ、私は別に!」
困惑しながら呟く。
いたたまれないソフィは、脱兎のごとく部屋を飛び出した。
その背中を見送ると、部屋の電気のスイッチを押して静かにドアを閉め、クスリと微笑む。
「楽しいなぁ……この会社」
薄暗い通路を歩きながら、誰に向けるともなく喉を鳴らして笑った。
◆◆
翌日。
昨夜のことなどまったく知らない金平は、チャックと共に今日もトレーニングに明け暮れていた。
「フンッ!」
チャックの剛腕が轟音を立てて、金平を襲う。すかさずそれを前転して避けると、チャックの足を両手で掴み引っ込抜く。
「オウッ!?」
たまらず後ろに倒れるチャック。
目にも止まらぬ速さで、チャックのアキレス腱をキメた。
「アウチッ!カ、カナダイラさん、参りマシタ〜」
チャックが寝転がりなから、金平の肩をつなぎ越しにタップする。
「ヘヘッ、チャック、今度は俺の勝ちだ」
満面の笑みを見せながら立ち上がり、チャックに手を差し伸べた。
「カナダイラさん、ドンドン強クナリま〜す」
眉を八の字に下げ、参ったとばかりの表情を浮かべるチャック。
「チャックが練習相手してくれるから、現役時代の勘が戻ってきたよ」
汗で光る頬を上げながら、爽やかな白い歯を見せる。
「金平さん、僕にも稽古つけてもらえませんか?」
唐突に道場に響いた声に振り向くと、金平と同じグレーのつなぎに身を包んだ木下が、ロッカールームからこちらを伺っていた。
「!?」
「キノシタさん?」
チャックが怪訝そうな顔で木下を見つめた。
その視線を背中で覆い隠す金平の体から、殺気を帯びた気迫が立ち昇っていく。
「あぁ、いいぜ……相手になってやるよ」
さっきとは別人に見える険しい表情の金平が、右手の拳を左手で覆うと、ゴキリと関節を鳴らした。




