窮地!!
「痛ってぇ……」
アザラシ型SEにぶっ飛ばされた金平が、片手をついて膝立ちになる。
「くっそ、あんのアザラシ……」
チャックとアザラシは今もド突きあっている。見るとチャックの首のギプスにヒビが入り、今にも外れそうだ。
滴り落ちた鼻血がギプスを赤く染め、腫れ上がった瞼が切れて出血している。
僅か3分足らずで、フルラウンドを戦い抜いたボクサーさながらの顔になっていた。息が上がり、肩を大きく上下し始めている。
かたやアザラシは、顔が滅茶苦茶に変形してはいるが、攻撃に衰えが見えない。
「このままじゃ、チャックのやつ、殺されちまう!」
金平は焦燥感と無力感に襲われる。
落ちていた黒光丸・Lサイズを拾いあげて起き上がると、一瞬の考えに身を任せ動き出す。深く息を吸いこむと、声を絞り出し叫んだ。
「チャック!おもいっきり股開けぃやっ!」
調子の外れた叫び声を、薄れゆく意識の中で確かに聞き取るチャック。
「ハナダイアハン??」
ちらりと金平を確認して言葉を発するが、鼻血のせいでまともに発音できない。
いかつい両肩を振りながら、金平は一気に駆け出す。
チャックは指示通り、力士がシコを踏む姿勢を真似、大きく開脚した。アザラシからは、金平の姿が目の前のチャックの巨体で死角になり、見えていない。
全力で地面を蹴る金平は、黒光丸を両手で握り、刀身の腹を自身の胸元から唇の辺りに押し付ける。
さながらそれは、中世の騎士が君主に忠誠を誓う格好に見えた。そのまま右足を滑らせながら突き出し、チャックの足元めがけ鋭角にスライディングする。砂埃を上げながら、チャックの股ぐらの中へ吸い込まれていくかのように、仰向けに滑りこむ。
砂塵が舞ったかと思ったその瞬間、チャックの開脚された股の中を滑り抜けながら、アザラシの眼下に一気に金平が現れた。仰向けに寝そべった状態のまま、強く両手で握った黒光丸を、渾身の力をこめて突き上げた。
「おっらぁっ!」
腹から気合いを入れて声を発し、目標のアザラシの首元めがけ、黒光丸が淡い光の尾を引きながら突き刺さる。
それと同時に、チャックがよろめきながら斜め後方に倒れていく。チャックの巨体の死角と、砂埃の中から突如現れた金平の姿。
アザラシはなんの反応もできないまま、顎部に黒光丸を突き立てられてしまう。
「キュー!」
チャックにしこたま殴られて滅茶苦茶になった顔面が、さらに苦悶の色を浮かべた。目前で繰り広げられたタイマン勝負を見て、SEの耐久性が尋常では無いことを十分理解している金平は、10センチ程食い込んだ黒光丸をさらに捻りこみ、押し込んだ。
金平の太い上腕筋が、切れ目を入れたメロンさながらに筋を作る。
「おおおっ!」
突き抜けた手応えを感じた。見上げると、アザラシの顎部から入った刀身が、後頭部からその先端を覗かせている。
次の瞬間。
後方に倒れかけていたチャックがよろめき、千鳥足になって浮き上がっていた右足を地面ギリギリで踏ん張った。そこから体勢を立て直すと、曲げた腕を振り上げ、アザラシの腹部にボディブローを見舞う。
「ドゥオラッセェイッ!」
瞼や口、鼻から溢れる血の飛沫を撒き散らしながら、汗で濡れた髪を振り乱し、腕を振り抜くチャック。
血まみれの瞼は、もはや見えているのかどうか判別がつかない程腫れ上がっている。仰向けの金平の目の前を、凄まじい風圧とともに、お地蔵様の頭部程はあろう拳骨が跳ね上がり、SEの腹部に叩きこまれた。
「ギューッ!」
突き刺さった黒光丸が脳内をかき回したせいか、アザラシの眼球が左右あらぬ方向に向き痙攣する。
そこに打ちこまれた、チャック渾身の一撃。
アザラシは音も無く後ろに倒れていくと、断末魔すら上げずにビクビクと体を小刻みに震わせた。虹色の光彩はかき消えて、次第に霧散し、闇夜に溶けていく。
一方では、もう一体のアザラシに苦戦を強いられている社長とソフィ。
「早く死になさい!」
怒号を上げながら、社長が黒光丸・Sサイズをアザラシの首もとに切り込む。
既に何度かうなじへ、人間ならば致命傷となる攻撃を与えているにも関わらず、アザラシの動きは一層速さを増すように感じた。
「なんてタフなの……今までで最強じゃないの!」
さすがの社長も弱音を吐く。
「ハァッ!」
ソフィが気合いを入れると、左足を軸にして回し蹴りを放った。
首を反す白鳥を思わせる優美な曲線を描き、アザラシの右わき腹に直撃する。
──が、微動だにしない。
一瞬、拳と見紛う握ったヒレが動きを見せたと思うと、残像を残しながらソフィの目の前に叩きこまれる。瞬時に反応したソフィは、両腕を閉じて盾にすると防御へまわった。
しかし、ウェイトが軽いソフィは、弾かれて後方に仰け反り、姿勢を崩すと肘から地面に転がった。
「痛ったぁ……」
顔をしかめて、すぐさま起き上がろうとする。釈迦の涅槃像さながらの姿勢で横向けになっていた。
大きな胸が谷間を作り、ビキニ越しに地面の上で鏡餅を作る。
そんな激戦から離れた150メートル遠方。
「いいよ、ソフィ……素敵だよ」
ハマーのバンパー、その陰から突き出す50センチはあろう長さの望遠レンズが装着された、一眼レフカメラ。
それを小刻みに震える手で構える男がいた。
「ハァッハァッ」
不気味な吐息を吐きながら、一心不乱にシャッターを押している。腹這いになり、口元にはいやらしい程に引きつった笑みを浮かべていた。
「そうだ、SE、ソフィの背中の紐を……そうだ……切り裂け、ヒヒッ」
カメラの持ち主、三国は、もはやどちらの味方かわからない。
あまりにもテンションが上がり、腹這いからゴロンと回転すると、ブリッジの体勢に移行し始めた。
頭部で体重を支え、ひっくり返ったカメラのフォーカスを、SEの放つ光彩に照らされたソフィのなまめかしい胸元に合わせる。
「そうだ……もっとだ!ソフィ……いいよ!もっと頂戴」
この一角だけ、秋葉原で行われている撮影会の様相を呈していた。
「ソフィ!」
社長が眉間にシワを刻み叫ぶ。
転がったソフィに追い討ちをかけるアザラシ。そのヒレが、船を漕ぐボートのオールのように、無防備になったソフィの白い背中を強く殴打した。
「あうっ!」
吹き飛ばされて、華奢に見える四肢を打ち付けながら転がる。くびれたウエストが捻れ、より一層細く見えた。
憤怒の表情を浮かべた社長がアザラシの背後から跳躍すると、覆い被さりながら、逆手に持った黒光丸をアザラシの両肩に突き立てた。
次の瞬間、空中に浮いたアザラシの脚ヒレが、ノーモーションで跳ね上がり、社長の鳩尾に直撃する。
「ぐあっ!」
寺院の鐘を打ち付けたかのような衝撃が社長を襲う。横隔膜が活動を弱め、呼吸が止まった。
アザラシの肩に黒光丸が刺さったまま、グリップから手を離し、力無く崩れ落ちる社長。
「ガハッ」
目の前のSEが放つまばゆい光に照らされた社長の顔が、悲壮なほど苦悶の表情を浮かべた。
「パ、パパ」
全身を砂まみれにして、背中に走る激痛に悶えるソフィが仰向けになり、目線だけを社長に向け、か細い声で呟く。
うずくまった社長の頭上に、両のヒレを合わせて、ハンマーナックルの形にしたアザラシの殴打が襲いかかる。
「いやーっ!」
見開いた美しい瞳に、ソフィは涙を湛えて叫んだ。




