ティータイム!!
増山の入院している部屋には、社長が持ってきたとおぼしき薔薇の花が飾られていた。
「はっははっ……痛てっ……あんまり笑わすなよ」
目尻に涙を溜めて、増山が顔を真赤にする。
増山の体には、いささか病院のベッドは小さく、両腕に包帯が巻かれ、体にはプラスチック製のコルセットがガッチリと固定されていた。
「……いや、まさかソフィが社長の娘だったなんて……鬼瓦ソフィアなんて、冗談みたいな名前ですよね」
困惑した表情の金平の言葉に、また吹き出す増山。
「その名前で呼ぶの辞めて」
二人から視線を外し、窓の外を見ながらむくれっ面で呟くソフィ。
「社長の本名を知るはめになるとはな」
相変わらず増山は破顔して、浅黒い肌とは対照的な白い歯を見せた。
「ソフィのことは、こんな小さい頃から知ってるんだ」
包帯の巻かれた腕を下げ、ベッドの布団の上に手の平を水平に掲げる。
「もちろん社長の奥さんのモニカさんもね。よく社長の自宅の庭でバーベキューしたりしたよ。もうずっとお会いして無いが、モニカさんもとても綺麗な人だったよ」
感慨深げに語った。
「もーあたしんちのことはどーでもいいよぉ。それより、増山さんはなんであんなふうに芹沢さんとなっちゃったの?」
相変わらずおかしな日本語で、ソフィが話題を変えた。
「ん〜、そうだな」
学生時代、女子達から「涼しい」と騒がれた目もとを少し閉じながら、言葉に詰まる。
しばらく間を置いてから口を開いた。
「金平君のせいだな」
「はい?」
いまだ鬼瓦家の衝撃を引きずっていた金平が、突然の増山の言葉を聞いて、口角を角張らせながら歯を剥いた。
「俺のせいですか?」
全く心当たりが無いといった表情だ。
「あぁ、君のせいだよ」
増山が、柔らかい笑みを浮かべたまま話始める。
「君は食堂で、俺が芹沢さんに勝てるかって聞いたよね?あの時、言葉では誤魔化したが、気持ちの中では整理がつかなくてさ。その事には、ずっと昔から自問自答してきたんだ」
窓の外に見える、葉が抜け落ちて淋しい表情の木々を見つめると続けた。
「チャックを医務室に運んだあと、廊下で芹沢さんに言われたんだよ。金平は昔のお前みたいだって。そして、金平君につけられた首のアザを俺に見せてくれて。あいつがいれば、一人ぐらい抜けても戦力に変わりはないんじゃないかって……だから、俺と試合わないかと」
急に背筋を伸ばすと、真顔になる金平。
「結果的には二人とも潰れてしまったがね。でも、長年鬱積した気持ちが晴れた気分だよ。なんと言っても、あの芹沢さんと五分に持ち込めたんだからさ」
増山は、陽光のように清々しい笑みを浮かべた。その笑顔につられて、金平も微笑を浮かべる。
「なんかよくわからないけど、殴り合って最後はお互い笑顔で草むらに大の字になるあれね?」
そんなソフィの例えに、顔を見合せ吹き出す二人だった。
◆◆
病院をあとにするソフィと金平。
ソフィのフィアットが軽快に国道を疾走する。
「でも、増山さんと芹沢さんがいないと、SEに対抗するの大変だよな。俺なんか役にたつのやら」
助手席の金平が、窓に押しつけた肘を固定し、頬杖をつきながら表情を曇らせた。
「ところでソフィ、お前はあの会社で何やってんだ?事務とか?」
「まぁ、そんなとこ」
やけに姿勢良くハンドルを握るソフィは、ほくそ笑みながら答えた。
「へーっ、計算とか細かいこと苦手そうだけどなぁ」
その言葉を聞いたソフィが、目線を変えず腕を伸ばし、無造作に金平の頬をつねった。
「あだだだっ」
釣り針に引っ掛けられた魚のように、顔を斜めにして喘ぐ金平。
「金ちゃん、スタバ寄ってこ」
「スタバ?社長に寄り道すんなって言われただろ?」
「いいからいいから」
小悪魔的な笑みを見せるソフィ。猛スピードでバイパスのスロープを駆け降りるフィアットだった。
片側二車線の国道。その国道を繋ぐ橋の入り口に店を構えるスターバックス。
駐車場へ、車は滑りこむように入って行った。
「はい到着〜。行くぞ〜金ちゃん」
相変わらず快活な笑顔のソフィは、後部座席から小振りなヴィトンのバックを引っ張り出すと、跳ねながら車を降りた。
「はいはい。よっこらせ」
金平はのんびりと座席から降り立つ。
「ジジくさいよ、金ちゃん」
「わりぃな、ジジくさくて」
店の重たいガラス戸を押し開けると、コーヒー豆のかぐわしい匂いが鼻腔をくすぐった。平日にも関わらず、それなりに人が入っている。
ノートパソコンに見入いるスーツ姿の中年男性や、読書にふける学生が席の多数を占めていた。
「えーっと、私はキャラメルマキアートをショートで。それからチーズケーキ」
「俺は……同じやつを、このサイズで」
トールサイズを指差す金平。
ソフィがバックから財布を取り出す。
「あ、俺が出すよ」
年季の入ったペタンコの財布をジーパンのポケットから引っこ抜くと、慌てて札を取り出そうとする。
「いいよぉ、金ちゃん貧乏なんでしょ」
「うっ」
確かに金平の財布の中には、よれよれの千円札三枚しか入っていない。
口座の預金も雀の涙ほどだ。
「わりぃ、給料入ったらなんかおごるから」
面目丸つぶれの表情で呟く。
「よーし、約束ね。美味しいラーメン屋があるんだ」
「オッサンか」
漫才じみたやりとりをしながら、席につく二人。
ストローに口をつけると、テーブルに両肘をつきながら、金平の顔を真正面から凝視しているソフィ。窓から射す陽光に照らされ、白目の部分がゆで卵のように艶々と輝いていた。
「なんだよ?」
怪訝そうに音を出す。
「金ちゃんてモテるでしょ?」
上目遣いにニコニコと金平を見つめる。
「はぁ?」
「金ちゃんちに行った時泣いてた人って、もしかして彼女?」
「あっ……まぁな、昔な……」
途端に歯切れが悪くなり、表情が曇った。
「綺麗な人だったね。なんで泣かせたの?浮気したんでしょ?」
「そんなんじゃねーよ」
まさか浮気されたとも言えず、バツが悪そうに、綺麗に磨かれたガラスの外を眺める。
「こんのチャラ男」
ニヤニヤしながら金平をからかった。
「だからそんなんじゃねーよ。ソフィ、お前はどーなんだよ、その、彼氏は?……いんのか?」
この質問は金平にとって、かなり重要な事柄だったが、そうとは見せない素振りでさりげなく口にした。
「んー、いたけど浮気したから、グーッで殴ってやった。そしたらね、前歯五本折れたんだよ」
握り拳を作ると、眉間にシワをよせ言い放つ。
「マ、マジ?」
唖然となって、吸いかけたストローから口を離した。
「マジ。あ〜ったまきてさ。二股かけられてたの」
こんないい女がいるのに、他にも手を出すなんてどんなやつだろうとも思ったが、前歯をあらかた折られたと聞いて、心の中で合掌した。
◆◆
……そんな若い二人が談笑する店の外、スタバの駐車場に、二台分のスペースを陣取って停まっている怪しげな黒塗りのハマー。
その車中。
後部座席に腕組みをして座る、スキンヘッドに口髭の男。車のカーナビから、なぜか金平とソフィのやりとりが聞こえていた。
社長が病院を去る時、隙を見てソフィのバックに小型の盗聴器を潜ませていたのだ。それを三国が改造したカーナビで傍受し、聞き入っていた。
額に浮いた血管が、夏の日差しに照らされたアスファルト上で、のたうちまわるミミズばりに動いている。
「あのガキども、あれほど寄り道するなとゆーたのに……ソフィ……男を垂らしこむ術は母親ゆずりか」
クククッと、ニヒルな笑みを浮かべると、突然拳を目前の助手席に叩きつけた。
鈍い音ともに、座席が前に倒れる。
「ヒィッ!」
運転席に座る三国が悲鳴をあげ、震えながらルームミラー越しに見る社長の姿は、もはや犯罪者に他ならない。
ミンクのコートを着込み、スキンヘッドに口髭、五十路のオッサン。身の丈は190センチを若干上回り、ハマーのルーフに頭がつきそうだ。
──魔王。
そう思う三国だった。
車外から見た絵ヅラは、どう見ても人質にされて運転を強要させられている一般人と、強盗にしか見えない。
「三国ちゃん、帰るわよ。出してちょうだい」
「は、はい……」
上ずった声で頷きながら、震える手でシフトレバーをドライブに入れる三国だった。




