死合い!!
チャックが医務室に担ぎこまれた後、階上にある道場に増山と芹沢が姿を現していた。
増山が、グレーのつなぎのジッパーをヘソの下まで下ろし、袖から両腕を抜く。抜き放たれた袖口が萎れた花に見えた。その先端を掴むと、腰に巻いて帯の代わりにきつく結ぶ。下に着ていた黒のタンクトップ越しに、傷だらけの褐色の肌が見えた。
異様に引き締められた筋肉が道場の蛍光灯に照らしだされ、鋼材を無理やり束ねたかのごとく、生々しくも鈍い光を放っている。
下腹部にある丹田に力をこめ、腕を胸の前でクロスすると、ゆっくりと、静かに息を吐き出す。
──一畳分。
その距離を置いて、芹沢が直立して両腕をだらりと下げている。
増山の気力が充実していく様を、口の端を歪めながら眺めていた。着ていた光沢のあるカルバン・クラインのシャツのボタンを無造作に外すと、音も無く脱ぎ捨てる芹沢。骨太な体躯があらわになり、増山に負けず劣らず、様々な傷を刻んだ獣と見紛う体。
冷えた道場に、耳が痛くなる程の静寂が訪れる。
「おめーと組み手すんのはいつぶりかな?」
静寂を破る芹沢の低い声。
『また、あの目だ……』
増山は思った。
縦に裂けて見える瞳孔。仄かな光を放ち、不気味な殺気を漂わせている。目眩がしそうなほどのプレッシャーが足元をすくう。
「一年ぶりでしょうかね」
殺気を反らすためか、平静を装い増山が答えた。
「死なない程度に遊んでやるよ」
その言葉に、増山のこめかみの血管がピクリと脈打つ。
『……舐められたもんだ』
左脚を畳に擦らせながら後方に送り、腰を深く落とす。
次の瞬間、ねじ切れんばかりの脚力で畳を蹴り出し、増山が芹沢に向かって跳躍した。
瞬きの間。
空中で右脚を床と水平に寝かせながら、飛び膝蹴りを見舞った。常人ならば、何が起こったのか気付く間もなく顔面を砕かれ畳に倒れているだろう。
しかし、芹沢は違った。
残像を残しながら、逆に前へ踏み込むと、紙一重の差で顔をずらし増山の膝を躱す。そのままがら空きになった増山の腹めがけて、ノーモーションの正拳を放った。全身の筋力を一点に集中したかのごとき拳。増山の膝が空を裂いた音と、芹沢の正拳の音が重なり合う。
ガスに火を点けた瞬間に似た破裂音が、道場の窓をビリビリと揺らした。
しかし、苦痛で顔を歪めたのは芹沢。
ノーモーションの正拳突き。完璧に増山の腹部を捕らえたかに見えたその突きだったが、インパクトの刹那、軌道を読んでいた増山の左肘が、芹沢の拳の甲を打ち落としたのだ。
芹沢の野性的な動体視力を持ってしても捕らえられない、驚異的速さの肘打ち。ゴキリという鈍い音とともに、芹沢が肩を斜めに落とす。
「ぐぅっ」
思わず痛みに呻く芹沢。
そんな芹沢を見て、増山は普段の姿からは想像もつかない、この男らしからぬ軽薄な笑みを浮かべた。 着地すると瞬時に前転しながら受け身をとり、芹沢から間合いを計る。
増山が着地したほんの一瞬あとに、芹沢の異様な太さの脚が、さっきまで増山がいた空間の畳を踏み潰していた。
陥没してひしゃげる畳。
芹沢が瞬時に切り替えして、着地の瞬間を狙うことすら増山は読んでいたのだ。
ふわりと立ち上がり、緊張を解かずに半身の構えをとる。ハンマーを彷彿とする威力を誇る渾身の蹴りを躱された芹沢は、傷めた手の甲をさすりながらほくそ笑む。
「やるじゃねぇか」
「……芹沢さん、俺はあんたが怖い。SEよりずっとね」
胸中を吐露し、表情を変えず呟く。
言葉とは裏腹の、殺意に満ちた冷ややかな笑み。拳の骨にヒビが入ったであろう芹沢だったが、笑みを浮かべると、赤くただれて見える口を開け、笑い声を発した。
瞳に殺意が宿る。
道場の冷たい空気が一層張り詰め出した。芹沢の表情の陰が濃くなったかと思うと、ボソリと音を出す。
「……殺しちまったら勘弁な」
増山が一呼吸する瞬間。芹沢が電光石火の速さで間合いを詰めてきた。
まばたきすら許されない、異様な速さ。
二発だった。
芹沢の両腕から残像を引きながら、左右の拳が増山を襲った。
「ヒュッ」
口笛に似た吐息を吐きながら、増山がその残像を、一つ、二つと体を揺らし、躱す。躱したはずだった。
増山の両腕から血しぶきが舞う。芹沢の放った両拳が、インパクトの瞬間、手刀に姿を変え、紙一重のリーチを補ったのだ。鋭利な刃物で切り付けられたのではと錯覚する程の痛みが、増山を襲う。
だが、表情を変えずにそのまま前へと踏み込んだ。
増山はこの瞬間を待っていた。勝利を確信した芹沢に、一瞬の隙が生じることを。
掌底を二つ作る。両足を前後に開脚して深く腰を落とし、足の指全てが畳を鷲掴みにした。
後ろに身を仰け反らせてバネのような反動をつけてから、全身の筋肉に溜めた力を一気に解き放つ。足の指で掴んでいた畳が、あまりの力に陥没し、ちぎれて皺が寄る。
爆発的な瞬発力で、斜め上の芹沢めがけ、二つの掌底を左、右と、ほんの微かな時間差をかけ、心臓に叩きこんだ。
「龍虎」
呟く増山。
モーションから攻撃が決まるまで、僅か一秒半。
自身が練り上げ、生み出した技だった。
「グブッ」
一瞬、体が振動してブレた動きを見せると、刮目し、苦悶の表情を見せた。
次の瞬間、閉じていた口の隙間から、湧水と見紛う程の真っ赤な血が溢れ出す。両膝を落とし崩れ落ちる芹沢。
だが、増山もわかっていた。自らの脇腹を見ると、異様な形に陥没している。
増山の放った「龍虎」と名付けられた技が到達する前に、芹沢の「指砕」が、自らの脇腹を食い破り、貫いていた。
あばらが折れ、内蔵を損傷したようだ。意識を失うほどの痛みに、増山は直立した姿勢から仰向けに倒れた。剥き出しのコンクリートの天井と、吊り下げられた蛍光灯が視界に満ちる。
「相討ちってとこですかね……芹沢さん」
口の中に鉄の味が広がり、意識が遠退く。
増山の放った「龍虎」は、心臓を停止せしめる威力を持っていた。だが、芹沢の「指砕」によるダメージのため、完全なる技の極地には至らなかったようだ。
口を拭いながらよたよたと立ち上がる芹沢。
「そういうことにしといてやらぁ」
芹沢も意識を失いかけている。
目の焦点が合っていない。
完全では無かったものの、増山の渾身の一撃は、芹沢の尋常ならざる耐久力を持ってしても、致命的なダメージを負わせるに至った。
「ちょっと!あんた達何やってんの!?」
顔面蒼白になりながら、社長が道場に飛びこんできた。所々陥没した畳と、殺人現場を彷彿とする血痕が辺りを赤く染めている。
「わりぃな社長……しばらく俺ら入院だわ」
虚ろな視線を社長に投げかけると、そのまま顔から畳に倒れこむ芹沢だった。




