第1話 不協和音
はじめまして。お読みいただきありがとうございます。
本作は全4部構成のダーク能力者学園譚です。
1部は主人公の視点はすくなく、双子の視点が多いです。
※暴力・流血・死などの描写を含みます(「残酷な描写あり」設定)。苦手な方はご注意ください。
それでは、どうぞ。
(颯太。……起きてる?)
消灯後の女子寮、二〇四号室。パイプベッドの軋みを殺しながら、小鳥遊双葉は暗い天井へ思考を投げた。声は出していない。出す必要がない。
(起きてるよ。どうかした?)
棟をまたいだ先──男子寮の一室から、双子の弟、颯太の“声”がすぐに返ってきた。二人の能力は『感覚共有』。見ているもの、聞こえているもの、心のなかで呟いたことまでが、糸を伝うように片方へ流れ込む。だから双子は、離れていても隣にいる。物心つく前から、ずっとそうだった。
(今日さ、また陸くんに言われた。「お前ら感覚共有しかできないんだから、周りの情報くらいさっさと寄越せ」って)
(……あいつ、ほんっと変わんないな)
|颯太のため息が、双葉の胸の奥で鳴った。
(自分だって、まっすぐ走ることしかできないくせにさ。曲がるの下手だし、罠にも弱いし。……今回の班分け、僕たち完全に外れくじだよ)
外れくじ。認めたくないけれど、たぶんそうなのだろう、と双葉は思う。
この学園は、生徒をS・A・B・C・Dの五つのクラスに振り分ける。能力の強さと、その扱いの巧みさで。双子はC。平凡の、そのまた真ん中だ。しかも班を組まされた相手が、また濃い。
口だけは一人前の、迅雷陸
学年トップの特待生なのに、なぜかこの平凡クラスに交ざっている、神楽詩織
そして──
(葵ちゃんも、今日また陸に「おいブースター、ついでにお前も飯買ってこい」って言われてたんだよ)
(あー……昼の、食堂のあれな)
颯太の記憶が、映像ごと流れ込んでくる。
昼休みの食堂。陸が灰原葵にパンを買いに行かせようと顎をしゃくった、その瞬間だった。
テーブルに置かれていたステンレスのナイフが、ふっと浮いた。誰も触れていないのに。柄の向きをくるりと変え、吸い寄せられるように宙を滑って──陸の喉のすぐ手前で、ぴたりと止まった。
刃の延長線をたどった先に立っていたのは、神楽詩織だった。学年トップの、特待生。
その詩織が、微笑んでいた。
口元だけが、きれいな弧を描いていた。目は、まったく笑っていなかった。
『……葵様のお手を、煩わせるおつもり?』
陸は椅子を蹴倒して逃げ出した。詩織は何事もなかったように浮いたナイフをテーブルへ戻す──ように見えた。少なくとも、離れた席から見ていた颯太には、そう見えた。詩織がいつ手を触れたのか、本当に触れたのかどうかも、よく分からなかった。
(……あれ、何回思い出しても意味わかんないよな)
(うん。神楽さんって、なんであんなに葵ちゃんに執着してるんだろ。学年トップだよ? わざわざCクラスに出向してまで、地味なブースターの隣に張りついてさ)
双葉は、部屋の奥へ視線を移した。
同室の少女が、ベッドの端で文庫本を読んでいる。灰原葵。黒髪を後ろでひとつに束ね、サイズの合っていない制服をダボっと着た、どこにでもいる生徒だ。持っている能力は『微弱な能力増幅』。他人の力を一割ほど底上げするだけの、単体では何ひとつできないサポート系。
同室になって二ヶ月。葵はいつもこうして、隅のほうで静かに本を読んでいる。私物はやけに少ない。机の上に、写真の一枚も飾っていない。夜中にふと目が覚めると、たまに、葵のベッドが空になっていることがある。トイレかな、と思っているうちにまた眠ってしまうから、確かめたことはない。
……たぶん、深く考えることじゃないのだろう。
(まあ、詮索してもしょうがないよね。私達はどうせおまけなんだから、この班で波風立てずにやり過ごせば──)
その時だった。
ウゥゥゥン、と。校内スピーカーが、腹に響く重低音の唸りを上げた。
『緊急。全生徒に告ぐ。プロトコル・ザクロを発令。繰り返す──プロトコル・ザクロ』
双葉の指先から、すっと血の気が引いた。入学時に叩き込まれた暗号コードのひとつ。『ザクロ』が意味するのは──
(地下第一シェルターへ、即時退避……!)
颯太の視界が跳ねた。彼の部屋の窓から、第一訓練区が見えている。オレンジ色の光。膨れ上がる爆炎。黒煙が、校舎の稜線をゆっくりと舐めていた。
(テロだ。双葉、これテロだよ! ……あ、待って、陸のやつ飛び出してった!「俺が犯人を仕留めて手柄にする」って叫びながら現場に向かってる! 馬鹿なの!? 死ぬ気!?)
「葵ちゃん、私達も早くシェルターに──」
振り向いて、双葉は言葉を失った。
葵が、文庫本を閉じていた。
ぱたん、という小さな音が、やけに大きく耳に残った。栞も挟まずに。読みかけの、ページの途中で。
いつもの葵なら、こんな時こそ一番おろおろしているはずだった。「ど、どうしましょう双葉さん」と眉を下げて、双葉の背中に隠れるように縮こまって。
なのに、いま、こちらを見ている葵は──何も言わなかった。
眉ひとつ、動かさなかった。ただ、静かだった。
部屋の温度が、二度ばかり下がった気がした。
「双葉さん」
声まで、違っていた。低く、平らで、いつもの語尾の甘さが、根こそぎ抜け落ちていた。
「その放送の指示には、従わないで」
「え……?」
「シェルターには、行かないで。ここを出て、颯太くんと連絡を取り合って、鍵をかけた部屋から動かないで。……それが、いちばん安全だから」
なぜ、と訊く暇はなかった。
コン、コン、とドアが鳴った。返事も待たずに、外側から開く。
廊下に立っていたのは、神楽詩織だった。彼女は双葉には一瞥もくれず、葵に向かって、優雅に腰を折った。
「葵様。ご用意、整っておりますわ」
「ありがとう、詩織。……行こうか」
葵は机の引き出しを開けた。なかから取り出したのは、艶やかな黒い塗りの──狐の面。
双葉が何か言うより早く、葵はそれを手に、迷いのない足取りで部屋を出ていった。詩織が、影のようにその斜め後ろへ続く。開け放たれたドアの向こうで、二つの背中が、廊下の闇に溶けていった。
残された双葉は、動けなかった。いま、目の前で何が起きたのか、頭が処理を拒んでいた。
(……颯太)
(見てた。感覚共有で、全部見てた)
弟の声も、震えていた。
(葵ちゃん……あの子、誰なの?)
その問いに、双葉は答えられなかった。
言われたとおり、ドアに鍵をかける。かちり、という金属の音だけが、やけにはっきりと響いた。それから床にへたり込む。あの、温度の下がった声で告げられた指示に、逆らえる気がしなかった。
(颯太、陸くんは!? 見える!?)
(見えてる。窓から、第一訓練区がまっすぐ見下ろせるんだ──)
颯太の視界が流れ込んでくる。双葉は自分の目を閉じ、弟の目を借りて、戦場を見た。
黒煙の立ちこめる広場。黒い戦闘服の男たちが、五、六人。散開して、慣れた動きで陣を組んでいる。ただの愉快犯ではない。訓練された集団の動きだ。
そこへ、白い残像が突っ込んだ。
迅雷陸。速い。確かに、速い。彼の自慢は、嘘ではなかった。
だが──地面が、濡れていた。
陸の足が、噴き出した粘つく液体に絡め取られる。速さだけが取り柄の男が、その速さを完全に殺されて、無防備に固まった。止まった獲物へ、いくつもの銃口が、いっせいに向けられる。
(陸ッ──!)
颯太が叫んだ、その瞬間だった。
颯太の視界から、音が消えた。
いや、音だけじゃなかった。何かが、もっと根本的なところで、ごっそりと入れ替わった。
男たちの手にあった刃物が、いっせいに宙へ浮いた。誰も投げていない。誰も、触れていない。銀色の切っ先が、十も二十も、空中でぴたりと静止する。次の瞬間、見えない拳にまとめて殴られたように、男たちの体が後方へ吹き飛んだ。コンクリートの柱に叩きつけられ、そのまま貼りつけにされて、指一本動かせなくなる。
その中心に、いつのまにか二つの影が立っていた。
一人は、神楽詩織。彼女は、指の一本すら動かしていなかった。ただ、そこに立っているだけ。それだけで、男たちは見えない釘で壁に縫い留められていた。
もう一人は──漆黒の狐面をつけた、小柄な少女だった。
「地下の伏兵なら、もういないよ」
面越しの、くぐもった声。けれど双葉には、それが誰の声なのか、聞いた瞬間に分かってしまった。分かってしまって、背筋が凍った。
狐面の少女が、右手を、そっと持ち上げた。
(──っ、な、なに、これ……っ!)
颯太の悲鳴が、双葉の頭のなかで弾けた。同時に、双葉自身の視界までぐにゃりと歪む。感覚共有を通して、颯太が“見ているもの”が、双葉の脳を直接殴りつけてくる。
脳が、理解を拒んだ。
広場が、揺れた。積み上がっていた瓦礫が。まだ赤く燃えていた炎が。鼻を刺していたはずの焦げくさい匂いが。壁に貼りついていた男たちが。
──ぜんぶ。
空間ごと削り取られたのか。時間が巻き戻ったのか。それとも、はじめから何も、そこには無かったのか。双葉にも、颯太にも、目の前の出来事をどの言葉で捉えればいいのか、まるで分からなかった。ただ、“あった”はずのものが、“ない”。その事実だけが、ぽつんと残された。
ほんの、数秒の出来事だった。
狐面の少女が、持ち上げた手を、ゆっくりと閉じた。
黒煙が、晴れていた。
爆炎の跡も、崩れた壁も、粘ついた地面も、男たちの姿も、何ひとつ残っていなかった。傷ひとつない広場だけが、月明かりの下に広がっている。まるで、今夜この場所では、最初から何も起こらなかったかのように。
少女が、狐面を外した。
現れたのは、いつもの葵の顔だった。眉を下げた、気弱そうな、どこにでもいる生徒の顔。ほんの数秒前に、あの理解不能な“静けさ”をふるっていた者と、同じ人間だとは、とても思えなかった。
「陸くん、大丈夫ですか……?」
尻餅をついたまま、がたがたと震えている陸に、葵が手を差し伸べる。おずおずと、遠慮がちに。いつもの、あの葵の仕草で。
陸は、その手を取れなかった。歯をかちかちと鳴らし、腰を抜かしたまま、目の前の少女をただ見上げていた。
(……見ちゃった)
男子寮の暗い部屋で、颯太が呆然と呟いた。
(双葉。僕たち、たぶん……見ちゃいけないものを、見ちゃったんだ)
双葉は、鍵をかけたドアに背中を預けたまま、膝を抱えた。
あの広場で、何が起きたのか。いくら考えても、言葉にできなかった。ただ、心臓だけが、うるさいくらいに鳴っていた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
本日はこのあと、22時ごろに第2話、23時ごろに第3話を連続で投稿します。続けてお楽しみください。
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