ある男のモノローグ
私は、かの方のことを見誤っていたのだろう。
最初は公爵家である我が家のことを蔑ろにしてまで皇帝の妻の座に居座る図々しい女だと思っていた。
だからいくら王女と言っても後ろ盾もなく少し脅せば療養目的で隠居し、皇后の地位を降りることはなくとも国母の座は娘が継げると思っていた。
それが誤りであったと気づいたのは歴史ある公爵家の当主になった私にしては遅すぎた。
自惚れであるかもしれぬが、それだけの教育は受けたし王宮では海千山千を相手に宰相の地位まで上り詰めた。
そんな私が気づくことができなかったのは果たして落ち度なのだろうか。
いや、かの方が私よりも何倍も知力に優れていたというだけのことだ。
私は、かつて嫁いで間もないかの方を誘拐し、亡き者にしようとしたことがある。
だが失敗に終わり、実行犯は全員が処刑された。
元より裏稼業に精通した者を私が依頼したと分からぬように工作して準備をした。
その結果、黒幕が誰かは分からぬまま時は過ぎた。
知られなかったということは私を天狗にした。
先延ばしになっていたかの方との誓いの儀という華やかな場で皇帝陛下は凶刃に倒れた。
そこでも私はまだ気づいていなかった。
かの方が暫定的にでも女帝になれば息子を伴侶にするつもりで動いた。
我が公爵家は国で一番の降嫁数を誇っていた。
血筋でいけば何ら劣るものではなく、かの方と息子の間の子が次期皇帝になることも反論がでるはずもなかった。
誤算だったのは、かの方がすでに亡き皇帝の子を宿しており、さらには男子であったことだ。
産まれた子を次期皇帝とするのが自然であり、かの方の血筋を問題視する者もいたが小国とはいえ王女であり、帝国の労働問題と税収問題を解決に導いた女傑だ。
戦争で獲得した国の元王族たちの血を引くより政治的にも安全だった。
かの方の母国とは多少のいざこざはあったものの帝国の戦力に立ち向かえるほど強国ではない。
吹けば飛ぶように消えていった。
それでも次期皇帝に何かあったときのために皇帝の血筋を持つ子は必要だ。
私は諦めずに息子を伴侶にさせようと画策していた。
だが、それはかの方の前に無残にも散ってしまった。
私は、かの方を見誤っていた。
かの方は、自分を誘拐した者が誰なのかを正確に知っていらした。
そして、かの方は雨が降りしきる夜半に一人で現れて、私に協力を持ちかけてきた。
雨が降ると、かの方が背後に立っているのではないかと思う。
だが、かの方はいない。
女帝として諸外国と渡り歩き、そして国内外問わずに送られてくる刺客を全て跳ね除けたかの方は亡き皇帝陛下の一人息子が戴冠した日に凶刃に倒れた。
その日は亡き皇帝陛下が凶刃に倒れた日でもあった。
かの方を亡き者にした刺客は取り押さえられ、ひっそりと処刑された。
刺客は大した訓練も受けていない金で雇われただけの素人だった。
そんな御粗末な攻撃などかわせたはずだと、かの方を知る者は揃って答えただろう。
なぜ、かわさなかったのか。
私自身、又聞きであるから確かなことではないかもしれない。
かの方は、避ければ騒ぎになる。戴冠という目出度い日くらい無事に終えたい。自分ひとりがいなくなっても息子の晴れ姿に感極まり倒れたことにすれば、今日くらいは恙なく終えられる。
そう言い残し、息を引き取った。
かの方と亡き皇帝陛下との間に生まれた殿下は、素晴らしい才覚があり歴史に名を遺す賢君であると言われている。
戴冠式を迎えたのだから皇帝陛下と呼ぶべきなのは臣下のあるべき姿なのだが、私にとって仕えるべき主君は、かの方のみ。
亡き皇帝陛下ですら腹の中では見下していた。
だから私は未だに殿下と呼んでいる。
周りは諌めてくるが、殿下はなぜ私が殿下と呼び続けているのかを正確に理解している。
願わくば、生涯の主君と同じ場所に眠れることを。
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公爵家の執務室では初老に差し掛かろうとする男が苛立った様子で机を指で叩いていた。
自力で宰相の座まで上り詰めた男の余裕というものは無く、窓の外では横殴りの雨が降っており男の心境を表している。
「いったい、何があったというのだ」
思えば亡き皇帝に小国の王女が嫁いでからというもの上手くいかないと男は考えていた。
それは宰相の地位を降りたからというだけでは説明がつかないものだった。
皇帝が代替わりすると同時に要職に就いた者も次の世代に代替わりをするのが習わしで、男も譲ったばかりだ。
それでも影響力が皆無になるはずもなく、公爵家という権力は健在で男もそう考えている。
「いくら代替わりが世襲制でないと言っても私の影響力が無くなったわけではないはずだ」
歴史的に類を見ないことではあったが、一度宰相の座に就いた者が一世代空けて再び宰相に就くことを男は狙っていた。
ローバートが死去した今は妻であるセシーラが暫定的に女帝となることが決まり、混乱を避けるためにも最善ではないが悪くない手だった。
「なぜだ。なぜ、私が次期皇帝の宰相となることが却下されるのだ。私なら先代、いや先々代の皇帝に仕えた宰相だ。帝王学を学んだだけの小僧皇帝の右腕としては申し分ないはずだ。どいつもこいつも見る目がない。こうなったら・・・」
「こうなったら?」
「っ!?」
「失礼しますわね。ずいぶんと楽しいお話をしていらしたから、ついつい口を挟んでしまいましたの。どうぞお続けになって?」
いくら考え事をしていたからと言って執務室に入られてまで気づかないというのは間抜けなことだった。
男は回転椅子に座って扉に背を向ける形で考え事をしていた。
視線は雨がひどい窓を見ている。
「あぁ、できたらそのままでお願いしますわ。こちらを振り向かれると、わたくしとっても困りますの」
「どうやって・・・」
「どうやって? どうやって執務室に入ったのか? その疑問でしたら簡単ですのよ。玄関から真っすぐに入って来ましたの」
楽しそうに侵入者の女は笑う。
侵入した女の声に心当たりがある男は、忠告通りに振り向くことはせず肘掛けを握りしめた。
「外はすごい雨ですのよ。この分だと朝まで降り続きそうで、川の氾濫が気がかりですわね」
「雑談は結構。用向きをお聞かせ願おうか」
「あら川の氾濫は一大事ですのよ。まぁ貴方には興味のないことでしょうけど」
「用向きを」
「急いては事を仕損じるという言葉をご存じありませんの? まぁいいでしょう。用向きは、忠告をしに参りましたの」
侵入者は別に身分を明かしていないが、男が考える身分なら忠告という体裁は取っているものの死刑宣告に近い。
自分が調べた通りの人物なら今ここで自殺に見せかけて殺すこともできる。
「ほら貴方って野心家でいらっしゃるでしょう? だからわたくしを誘拐して殺害しようと企てた。上手く隠していらっしゃったから帝国も黒幕が誰か分からないままで真相は闇の中となっていたけど、蛇の道は蛇とも言いますでしょう?」
「なんのことをおっしゃっているのですか? 私には皆目見当がつきませんね」
「裏稼業の者には繋がりはないと思われがちですけど、仕事が被ったりしないように依頼を受けたら確認するのですよ」
「確認?」
「えぇ他の同業が同じ依頼を受けていないか。もちろん書面でやり取りなどしませんし、独特の暗号を使いますから一般の人には分かりませんけれど、それでも同業なら分かりますわ」
裏稼業にいる者が知ったからと言って誰かに知らせるということもない。
密かに表の人間に仕えている者がいても雇い主に危険がなければ沈黙する。
「それで私が黒幕だという証拠はあるのですか? 裏稼業の人間が言うだけでは証拠にはなりませんな」
「確かに貴方の言い分は最もですわね。ですが、お忘れではありませんこと? 貴方はわたくしを調べた。それも帝国が調べたのよりも詳しく」
「それが何か?」
「おかしいと思いません? 帝国の諜報部隊が小国の王女の情報をつかめないなどありえませんわ」
「・・・・・・」
「わたくしを皇帝の妻にするという話が出た頃には、まだ貴方の宰相としての影響力はあったのでしょう。だから諜報部が調べた情報で利用できそうだと思われる個所を意図的に伏せた。違いますか?」
男は侵入した女ーーセシーラの言葉を否定できなかった。
順番で言えば次は自分の娘が皇帝に嫁ぐことが暗黙の了解で決まっていた。
それがローバートの一言で白紙になり、そればかりか国かどうかも怪しい小国の王女を迎えるという。
公爵家としての矜持を傷つけられたとしてセシーラを恨んだ。
「ただ、わたくしの”石の加護”がもたらす恩恵を無視はできない。だから帝国に十分に“加護”が行き渡った頃に伏せていた情報を開示する予定だった。セシーラは暗殺術を極めており、それを黙ったまま嫁いだのは皇帝を暗殺し、自分が女帝となりマショワル王国による乗っ取りを考えていたからだ、と」
「それをして私に何の得が? それを伝えたとしても私が皇帝になることはない」
「えぇ、でも皇帝の暗殺を事前に防いだとして誉れが手に入る。もしかすれば宰相に返り咲くことができるかもしれない。自分は無理でも帝国の歴史上初の世襲宰相が誕生するかもしれない。全ては憶測にすぎませんが、貴方にとって得にはなれど損にはなりえない」
「たしかに、その妄想が実現すれば可能ではあるでしょうな」
セシーラの考えを否定するための材料を持っていない。
またセシーラも可能性の話はできても確定することはできない。
「そして貴方は皇帝に伝え、国民からも支持を得始めていたセシーラを追放しようと動いた。いえ、動こうとした。誤算は貴女の姪のミーツェ嬢・・・違うかしら?」
「はぁ、それを言うなら貴女の異母妹も同じだ」
「その言葉は、認めると取ってもよろしいのかしら?」
「・・・公爵家の警護は緩くない。それを単身で乗り込んで来られたのだ。全て分かった上でのこと、しらばっくれたところで時間の無駄であろう」
「ならば、答え合わせにもう少しお付き合いくださいな。外は大雨、止むまでは時間がかかりそうですもの」
回転椅子から降りて男は、初めてセシーラの顔を見た。
ローバートの傍にあったときとは違うその雰囲気に敗北したことを心から認めた。
「どうぞ、ソファにおかけください。セシーラ様」
「ありがとう。それで話の続きなのだけど、ミーツェ嬢は勘違いをしていた。いつかナルキエンス帝国の皇帝に嫁ぐのだと」
「あぁ。ワルダナ公国の公爵家の次男に嫁いだ妹の娘だ。幼い頃から婚約者もいて問題ないと聞いていた。まさかそんな勘違いをしていたとはな」
「言わなければ周りは気づきませんもの。気に病む必要はないかと。それに唆したのは異母妹ですわ。わたくしがきちんと国に帰していれば良かったのですよ」
ポーシャは己の嫉妬という理由だけで他国に嫁いだ異母姉に怪我を負わせようとした。
その目論見は外れてしまい共犯であったミーツェを襲うことになり、そして外交問題へと発展した。
「貴女を罰すれば必然的に殿下にまで累を及ぶ。継承権剝奪となれば帝位が空き、国は瓦解する。黙認するほかないでしょうな」
「帝位が空いたところで公爵家のどなたかが戴冠するだけのこと、何の問題もありませんでしょう」
「そうなれば公爵家同士の足の引っ張り合いが始まりますな。次が決まるまで国は持ちますまい」
戦争によって領土を広げたため未だに独立をしようと考えている者たちはいる。
そうなれば帝国は一気に内乱によって力を失う。
面白くはなくともセシーラを女帝として帝位を繋ぎ、生まれたばかりの殿下が戴冠するのを待つのが妥当であると言えた。
「話が少し逸れてしまいましたね。戻しましょう。貴方は娘を嫁がせられないと分かり、次の手を考えた。それは女帝となったわたくしに息子を嫁がせることだった。あぁ男性ですから婿入りですわね」
「えぇ、我が公爵家は皇家の血筋に負けず劣らずですからね。それと後継者が一人では心許ない、また他国から嫁がれたセシーラ妃を支えるため・・・いや、理由などは後付けですな。私の野心のためにとしておきましょう」
「・・・・・・答え合わせは終わりましたね」
「それで、私への処罰はどのように? 今の貴女なら私一人と言わず、公爵家のひとつくらいどうとでもできますよ」
「そうですわね。どうとでもできますわね。だからお願いがありますの」
窓の外の雨は穏やかになり、僅かながら光が見えてきた。
夜明けの時間が近い。
「貴方にもう一度、宰相になっていただき残りの公爵家を抑えていただきたいの」
「それは、正気ですかな?」
「えぇ、今はまだ皇帝陛下の喪が明けていませんから何も行動していませんけど、殿下の後見人となろうと水面下では動いていますわ。それは貴方も同じでしょう。ですが、他の公爵家と違い貴方はわたくしに弱みを握られている。わたくしが生きている間は後見人として宰相として分を弁えて行動する。それくらいの分別はできるのではありませんか?」
セシーラの言葉をゆっくりと考えた男は静かに目を閉じた。
申し出を受ければ、おそらくは宰相として返り咲き、そして他の公爵家よりも権力を握ることができる。
断れば表沙汰にする断罪なら誘拐殺害未遂事件の主犯としての処刑。
秘密裏にするなら今この場で自殺したように殺されるだろう。
「お受けいたします。セシーラ陛下」
「貴方ならそう答えてくれると信じていましたよ。では息子を頼みます」
来たときと同じようにセシーラは音もなく執務室を出て、誰にも見つかることなく公爵家から城に戻った。
ローバートの喪が明けてからセシーラは約束を守り、そして男は生涯を宰相として過ごし、家督を息子に譲り渡した。
息子は公爵家を継ぐだけの能力がなく一代で財を食いつぶし、没落させたとして後世に名を遺す。




