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さて、ここまで読んでくれた優しい人には、真面目にタイトルの大鉄則を教えちゃおうかな。
『タイトルとはもっとも短い導入部である』
小説の冒頭って、これから続く長い物語を盛り上げるべく趣向が凝らされているでしょ? それでいて全てを語るわけではない。
タイトルも同じで、例えば……そっか、有名どこは出しちゃダメか……拙作で言えば『母親失格』、これはあまり出来の良くない母親の話だということを語りつつ、漢字で統一したからおちゃらけ感がないでしょ。それでいて母親として失格なのは誰か、なぜ母親として失格なのかは本文に書かれている。
このパターンはプロにも多いな。上手い人は一番最後のページをめくるまでタイトルの意味を気取らせないものだ、なんて言葉もあるしな。
あとは、本文中にでてくる名詞をそのままタイトルにしちゃうパターンとか……アザとーでいうとスリーワンとか、アザとーゼミ中学講座なんかもそのパターンだ。
え? さっきのパターンと被る? うにゃうにゃ。先ほどのタイトルがどれほど名詞を使っていようとテーマを表す言葉であるのに対し、これは歴然とした名詞として本文中に存在するのな。外国物のファンタジーとか、結構多いパターンなのな。
このときにコツがあって、現実の中では耳慣れない架空の名詞を選ぶとそれっぽく見える。つまり、読者に「んん? なにこれ?」と思わせるのが成功の秘訣ね。その場合はもったいぶってコネコネとシークレットワードにするのではなく、ずばーんと「このアイテム(人物・団体等)について書いたんですよ」と提示しちゃうものなのよね。
あとは語感、雰囲気とかも重要。漢字が並んでいると真面目っぽく見えるとか、語り言葉にすると親近感を抱いてもらえるとか……それは書き出し部分を「男は目覚めた。全身がだるい」にするか「指先から這い上がる蟲這の感触、全身を大地に係留する鈍重。それらが男を覚醒せしめた」にするか、みたいな感覚の問題であって、理屈で語れないところはあるんだけどね。
だけど、そういった基本は、重要ではあっても『絶対』ではないのです!
例えば昨今のラノベに多いやたらめったら長いタイトル、あれ、アザとー的にはアリなんですよね。だって、あそこに書かれているのは作品の導入部よ?
引っかからないように微変換しちゃお~♪
『僕の下に生まれた女の子がこんなに可愛いとは信用できないのですが』は、これから始まる物語の起点を読者に提示したものです。その後ろに『~だから、~しかし、~それゆえ』と続く物語があるのですよ(にやり)ってネタですよね。
そしてそれがネタだと歴然であるゆえ、中身は明るくお気楽な物語であろうと予想がつくわけです。まあ、ラノベが軽悪だって言われるのはそういうネタを臆面もなく扉においちゃうからなんだけどね。
そして、先人たちが残してくれた道があるから、俺たちはタイトルで遊べるのです。タイトルのパロディとか
……どの作品かは言わないけど、某有名な推理小説のタイトルをもじる事が異常に流行った時代がありまして……そういうの見てると、タイトルって自由だな……とか……
そして、最後に一つ。タイトルにばっかりこだわっててもしょうがないでしょう。
わざわざタイトルを「つけなくてはいけない」システムに踊らされて、本文とは別個のものとして考えるのはいかがなものかと、アザとーは思うのです。とは言え、タイトルだけで作品を選ぶシステムの中では重要なのも当然で、いかに受け入れられるか、どのようにすれば目立つかを工夫するのは至極当然。
ただその結果が、ちょもーんとしたキャラメル一個に箱と包装紙、おまけにリボンまでつけちゃいましたよでは恥ずかしいでしょう? ま、ネタとしてはありですが。
タイトルがネタであり、導入部であるのなら『本文のように練るもの』だってだけですよ。今回の仕込みどころはそこじゃない、と思ったら本当はつけなくても良いぐらい。でも、どうせつけるのなら本文と同じように、楽しませることを考えたいと、アザとーはそう思うのです。