武将 古田織部 第99話 前兆
慶長十八年(1613)。
大坂の空気が、わずかにざわつき始めていた。
豊臣家の周囲に人が集まり、
城下では噂が静かに広がっていた。
「大坂方、兵を集めているらしい」
「秀頼公の周りに、浪人が増えている」
「京にも、妙な動きがある」
そのざわめきは、
伏見にも届いた。
そして、
織部の周囲にも──
監視の影が落ち始めた。
ある朝、
織部が伏見の屋敷を出ると、
見慣れぬ侍が道の向こうに立っていた。
目が合うと、
侍は軽く頭を下げ、
何事もなかったように去っていく。
(……わしを見張るか。)
茶会に出れば、
その場に幕府の役人が混じっている。
器を献上すれば、
出所を細かく尋ねられる。
織部は、
その変化をすぐに理解した。
(……大坂が動けば、
わしも“疑い”の中に置かれる。)
豊臣と織部。
本来、何の関係もない。
だが、
家康にとっては“口実”になれば十分だった。
数日後、
江戸からの使者が伏見に来た。
「古田殿。
最近、大坂方と接触されたという噂が……
念のため、お伺いに参った次第。」
声は柔らかい。
だが、
その柔らかさこそが、
家康の“本気”を示していた。
織部は、
静かに笑った。
(……豊臣と通じる?
そんな暇はないわ。)
だが、
否定する必要もなかった。
(……流れだ。)
大坂が動けば、
徳川は“疑い”を探す。
その疑いの矛先が、
織部に向くのは自然なことだった。
家康は、
織部が豊臣と通じていないことを知っている。
だが、
織部の美が“秩序を揺らす”ことも知っている。
だからこそ、
疑いは“口実”として十分だった。
使者が去ったあと、
織部は庭に出て、
冬の風を受けながら空を見上げた。
(……わしの終わりが、近づいておる。)
恐れはなかった。
むしろ、
静かな納得があった。
利休の時代と、
秀吉の時代と、
家康の時代のあいだに立ち、
美を揺らし続けた者の終わり。
それは、
悲劇ではなく、
物語の自然な結末だった。
(……悪くない。)
織部は、
自分の影が少し長く伸びたことに気づきながら、
乾いた笑みを浮かべた。




